【前編】『この世界の片隅に』片渕須直監督インタビュー
片渕監督「この映画は、すずさんが案内人のテーマパーク」
2017年05月27日 18時00分更新
―― すずさんも呉の港をスケッチして憲兵に怒られていました。では、当時の記録が残っていない部分も多いんですね。手がかりが少ないなかから、どうやって呉の様子を描かれたのですか。
片渕 当時の写真自体は少ないです。でも呉を取り巻く山の姿は今そこに行ってもありますね。そこで呉の市史編纂室や進駐軍が撮影した戦後すぐの写真を集めてきて、かろうじて写っていた山の格好を元に、現在と照らし合わせています。
街の通りにあった建物も、呉市史編纂室からお借りした写真1枚1枚を分類して、何丁目のどの建物かという照合をやっています。(画像を指して)これも集めた写真の中に何気なく入っていたんだけど、この梅田医院という建物は、原作ですずさんが周作さんとデートしている呉の小春橋の横にあった建物だということがわかったんですよ。
―― 小春橋を描くには、付近の建物を描かなければいけないからそうした作業が必要なのですね。
片渕 はい。描ける建物、描ける風景が出来てくると、カメラアングルを選べるようになります。これが見える方向にならカメラを向けても良い、と。
白土 アニメ制作的に言えば、写真でわかる範囲内であればレイアウト(画面構成)が自由にできる、ということですね。
片渕 そうそう、そういうことなんです。小春橋というのは、じつはこうのさんが調べ切れていなかった場所なんです。こうのさんもたくさん調べていたのに、連載が始まってからお忙しくなって、調査が途中で見切り発車になってしまっている箇所があるんですよ。それが残念だとこうのさんも仰っていたので、こちらとしては調査を引き継ぐ形にして、当時の世界を描くための作業を埋めていく、ということをやっていたんですね。
現存する建物が、現在と作中を重ねる“トンボ”の役割を果たす
片渕 それから、広島市中島本町の大正屋呉服店。すずさんが子どもの頃、おつかいで海苔を届けに行ったシーンで出ています。ここは今も平和記念公園のレストハウスとして現存しています。
ここを当時の姿として映像にしようと思うと、通りにある他の店も描かなきゃいけない。画面的に言うと、手前にある「大津屋モスリン堂」ですね。
ところが、当時の通りの写真が残ってないんですよ。
―― またもや写真が残っていないという壁が。どうされましたか。
片渕 大正屋呉服店は、例えばこんな写真が残っています。「大正屋ハココ」って看板に書いてあるんだけど、その向こう側にその隣の店の看板が見えているんです。その後、別の写真で看板の裏側を見つけました。
その別の写真だと、看板の文字がわかるんです。画像を拡大すると「モスリン」という文字が見えている。
白土 ああ、『これは、やった!』という感じですね。
―― えっ、なんで『やった!』なんですか?
白土 一軒のお店について、色んな方向から撮った写真の断片を照合することで回答にたどり着いたからです。少ない資料から一軒の店を割り出すのって超大変なんですよ!
なるほど。呉服屋さんの隣に「モスリン」という、布地を売る店の看板があるのはうなずけます。布地を売っているから、店先はガラス台になっているんですね。
片渕 「大津屋モスリン堂」があって、そのとなりには「大正屋呉服店」。大正屋は原作には出てきませんが映画の画面にはどうしても入れたかったんです。
―― 原作では描かれていなかった店を、なぜそこまでして入れようと思われたのですか。
片渕 この中島本町は爆心地に一番近い町で、建物はみんな破壊されてしまいました。この大正屋呉服店が、今でも残っている唯一の建物なんです。映画を観た人がここへ行けば、この現存する建物には触れることすら出来る。それが大事だと思いました。ここを起点に「世界」を映画のスクリーンの外側にまで広げていくことが出来る。
そんな場所ですから、地元の方に「違う」と言われないようにしたいなと思いました。そこに嘘がまぎれこんでしまうと僕らが本当に描きたい世界は広がらず、映画は作りごとの中で閉じてしまうことになってしまいます。だからこそ、当時のことを知っている人が見て「ああ、確かに昔はああだった」と言ってもらえるものをつくる必要があるなと思ったんです。
―― 実際にあったものを調べて間違いがないように入れることで、当時を知る人が納得できるようにしたのですね。
大きな地図で見る
周辺で唯一現存する建物がこの大正屋呉服店(現・広島市レストハウス)。広島平和記念公園はずっと公園だったのではなく、戦前は広島市内有数の繁華街だった。
片渕 ということで、現存する建物を入れた理由なのですが、当時から残っている建造物は、その映画を観たお客さんがその場所に行ったときに、想像力を膨らませる起点になるわけです。
先ほどの『マイマイ新子と千年の魔法』でも、「この道は千年前からある」と新子の祖父が語りますが、大正屋呉服店など今でも現存する建物は、お客さんが頭の中で時代のレイヤーを重ねていくときの“トンボ”になるんじゃないかなと思いました。
―― 印刷で言う、4色の版を重ねるときの位置合わせの目印ですね。
片渕 はい。時代を経ても不動の目印があると、頭の中でレイヤーを重ねやすい。もし今、平和記念公園のレストハウスに行けば、「自分が今いるこの建物は、かつてすずさんが立っていた大正屋呉服店で、ここから街が広がっていたんだなと思うことができます。
大正屋呉服店は、子どもの頃のすずさんが壁にもたれて一休みしているから、そこに行けば今でももたれられますよね(笑) すずさんが里帰りのときにスケッチした八丁堀のデパートさんは、今も福屋百貨店という同じ名前でやっぱり同じ場所にあります。この建物は戦後増築されていて、今は八丁座という映画館が入っていて『この世界の片隅に』を上映しています。
―― それはすごいですね。八丁座で映画を観ていたら、自分たちが今いる場所が劇中に登場するという。現存することで、実際に行けるのですね。
片渕 そうです。映画を見た方がロケ地巡りとかでその場所に行ったなら、映画と同じ構図で写真を撮ってくるのもいいんですが、それだけじゃなくて、ここに確かにすずさんがいたんだな、あるいは、すずさんがいた時代っていうのは本当にあった時代なんだなっていう、手触りの感覚を味わってもらいたいなと思います。
今はこの建物しか残っていないけれども、画面で描かれていた場所のまわりにあった建物も、確かにあったんだなということを味わってもらいたいなと思います。
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