任天堂よりも先に
家庭用ゲーム機を普及させる
アーケードゲームを中心に好調だったAtariであるが、C-100(Home Pong)以降Pong系列だけでSuperPong/SuperPong 10/SuperPong ProAm/SuperPong ProAm 10/Ultra Pong Doubleと6製品も家庭向けにリリースしており、市場の動向が次第に家庭向けになりつつあることも理解していた。
そこでAtariは本格的な家庭向けゲーム機の開発に乗り出すことにしたが、これに先立ちWarner Communications(現Time Warner Inc.)の傘下に入る。
これは、家庭用ゲーム機の開発には同社の財政状態をもってしてもやや懸念が残るほど開発費がかかることを危惧してのものだ。安定株主に株を買ってもらおうというアイディアであったのだが、残念ながらこれはうまい策ではなかった。Warner Communicationsは金も出すが、それ以上に口も出す株主であった。その話はひとまず置いておこう。
Warnerの傘下でAtariは家庭用ゲーム機の開発を進め、1977年にAtari 2600を発売する。当初はAtari VCS(Video Computer Systemの略)という名称で出荷されたが、後でAtari 2600という名称に変っている。
画像の出典は、“Alarimuseum”
このAtari VCSでなにができたか? というのは下の画像を見ていただくのがわかりやすい。カートリッジを差し替えることでさまざまなゲームを遊べるというものだ。
画像の出典は、“Alarimuseum”
Atari VCSは199ドルで発売された。Home Pongの時と同様にSearsからもSears Video Arcadeの名前で販売され、Atariブランドの直販とあわせて初年度には25万台が発売されたという。
翌1978年には80万台生産されたものの、このうち販売されたのは55万台に留まった。当然損失が出るわけで、これをWarner Communicationsが被ることになる。
そこでWarner Communicationは家庭用ゲーム機のトップとしてRay Kassar氏を送り込む。彼は繊維業界を長らく勤めたやり手の営業マンであって、Atariのゲームそのものには興味を持たなかった。
Kassar氏は売り上げをなんとしても伸ばすことを命じられての着任であり、Atari VCSの売り上げの悪さに撤退を考えていたBushnell氏と意見が合うわけもない。結果、Bushnell氏は1978年にAtariの会長の座を解任され、Kassar氏がAtari全体を仕切ることになる。
もっともKassar氏もやり手ではあった。Atariの1977年の売り上げは7500万ドルだったのが、1979年には2億2000万ドルとほぼ3倍に増えている。ただこれも内実を見てみると、当初売り上げに貢献していたのはアーケード機の部門で、Atari VCSの方はさっぱり伸びない状態だった。
これが変化するのは、タイトーが開発したスペースインベーダーのライセンスを受けて、Atari VCS向けに発売したことで急に売り上げが増え始める。1980年の売り上げは4億1500万ドルとさらに倍増する。
1982年には、ナムコのパックマンのライセンスを受けて、これをAtari VCS向けに発売することで、さらに人気が高まった。この時点で、Atari VCSの累計販売台数は1000万台を超えている。
家庭用ゲーム機の王も
PC市場では惨敗
1979年にはAtari 400とAtari 800という2種類のパソコンも発売している(発表そのものは1978年だったが、発売がややずれ込んだ)。
こちらはApple IIの市場を多少なりとも奪えれば、という意図で作られたもので、MOS 6502に8KB(Atari 400)/16KB(Atari 800)のRAMを搭載した製品である。ただ低価格版のAtari 400でも495ドルとやや高めで、価格競争力はあまりなかった。
そこで1982年には後継製品としてAtari 1200XLを899ドルで発売するものの、こちらも芳しくなかった。次いで1983年にはハイエンドに1400XL/1450XLDといった製品を、ローエンドには600XL/800XLといった製品を配したが、やはりCommodore VIC-20の敵ではなかった。
1984年の数字だが、Atariはトータルで70万台ほどのパソコンを販売した。一方Commodoreは200万台以上を販売しており、ビジネスという意味では完敗である。とはいえ、家庭用ゲーム機の売り上げのお陰で、パソコンビジネスの失敗はあまり目立たなかった。
問題は、この家庭用ゲーム機のピークが1982年だったことだ。1981年、Atari VCSは家庭用ゲーム機の市場規模のおよそ80%を占めていたが、1982年には56%まで下落する。理由はいくつかあるが、まずは競合製品の登場である。
Atari VCSは1.2MHzのMOS 6507(MOS 6502の低価格版)に128バイトのRAM、というおそろしく貧弱なハードウェアである。ゲーム専用だからこれでも許された部分はあるのだが、当然後から出てきたCommodore C64のようなハードウェアに比べると機能面では敵わなかった。
また、プラットフォームとして80%以上のシェアを握っていれば、当然さまざまなソフトウェアメーカーがこれに向けたゲームを発売するのだが、控えめに言っても粗製乱造という言葉が適切というほどに質が低かった。
少なくともAtariは、発売されるゲームの品質に関してはなにも手を打っていなかったから、ある意味当然ではあったのだが。
これを助長したのが、後継製品のAtari 5200である。Atari 5200はAtari 800をベースにRAMの容量を減らすなどして低価格化を図った製品だが、構造はAtari VCS(Atari 5200の発表にあわせてAtari 2600に改称された)とほとんど同じにも関わらず、ソフトウェアの互換性がなかった。
結果、既存のAtari VCS/Atari 2600のソフトを持っているユーザーは、改めてAtari 5200用にゲームを買い直さないといけない羽目になった。こういうことをするとユーザーが一気に離れてゆくのは、説明の必要もないだろう。
かくして、「Video game crash of 1983」いわゆる「アタリショック」がやってくることになる。現象を端的に言えば、1982年末に32億ドルの市場規模だった家庭用ゲーム業界は、1984年に1億ドルまで縮小してしまった。
当然ここまで市場が縮小すると、多数の企業が消えてなくなる。理由はすでに述べたような話で、Atari 2600が急速に人気をなくしていき、ここでビジネスをしていた企業が全部路頭に迷った。
当然これだけ急速に市場が縮むと他への波及効果も著しい。市場が再び成長するのは、任天堂がNES(Nintendo Entertaiment System:ファミコンの海外向け表記)を引っさげてアメリカに乗り込んでからとなる。
もちろん、アタリショックによる不況はAtari本体をもモロに直撃し、1983年の第3四半期合計で5億ドルの損失を出した。これは親会社であるWarner Communicationsの懐を直撃し、同社の株価は60ドルから20ドルまで急落した。
おまけに、この損失を発表する23分前にKassar氏は、保有する5000株のWarner Communicationsの株を売却した。Kassar氏はインサイダー取引で司法当局から訴えられ、この件と業績不振の両方の責任を取る形でKassar氏は1983年7月に解任される。
後任にはタバコ会社のPhilip Morrisの副社長を務めていたJames Morgan氏が任じられるが、親会社のWarner Communicationsも買収攻勢を受けている最中ということであまり頼りにはできず、結果Morgan氏はリストラを進めつつ最終的には会社を2つに分割した。
その片方がAtari Gamesである。こちらはアーケードゲーム部門、それとゲームソフトの開発部門をまとめたもので、1985年に日本のナムコに売却されるが、次第に関係が希薄になっていく。
1989年頃からWarner Communicationsを合併したTime Warnerの子会社であるTime Warner Interactiveとの合併話が出て、1994年に一度合併する。ただその後、創始者のBushnell氏からの買収提案を却下した上で、Atari Games部門はWMS Industriesというアーケードゲームメーカーに売却され、その後Midway Games Westという名前で独立するものの、2003年に破産。破産した同社の資産をTime Warnerが再び買収するという、なにかよくわからない成り行きになっている。
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