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ミスチルを目指して終わるな──坂本龍一かく語りき

2009年03月09日 11時30分更新

文● 広田稔/トレンド編集部

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武満徹のコンサートに「けしからん」とビラをまきに

坂本 (影響を受けた人々の話において)日本の作家では、武満さん(武満徹氏)を尊敬していたわけですけど、これ、結構屈折した尊敬なんです。この写真は琵琶を弾いているんですけど、「ノヴェンバー・ステップス」と言う武満さんの曲があって、初めて日本の楽器を現代音楽に取り入れた曲だったんですよ。

大谷 近代クラシック側からの……。

坂本 取り入れですね。琵琶と尺八を入れて、ニューヨークで初演したんですけど、それに一介の学生だった僕が猛反発して。その何と言うか、和を……何と言ったらいいのかな。

大谷 ご自分ではその時の怒りというか、「許し難い」と思ったのはどの辺りですかね?

坂本 今となってはよく分からなくなりましたね(笑) なんでそんなに頭に来たのか。

大谷 具体的に「ノヴェンバー・ステップス」という曲に抗議する形だったんですか?

坂本 曲に対してというよりは、やはりジャパネスクを安易に取り入れて、日本人が日本的なモノを……。例えば、芸者の格好をして、アメリカに行ってウケるみたいなことですよ。

大谷 そういう風に見えたという?

坂本 そういう風に見えたということですよね、そのときは。で、そういう態度が「けしからん」と思って、友達と二人で、今はないでしょうけど「ガリ版刷り」というものがありまして、ガリガリ書いてね、手で刷るんですよ。今のようなプリンターがなかった時代にね。だから結構苦労するんです。間違えると、またいちから書き直しなんですけど。

大谷 坂本さんがガリ版刷っている姿って、面白そうですね。

坂本 で、書いて何百枚と刷ってですね、武満さんがやっているコンサート会場にビラ巻きにいって、「けしからん」とね。しつこく2ヵ所くらい行ったんですよ(笑)

 で、2度目のときに、武満さん本人がそのビラを持って出てきていらっしゃって、「これを書いたのは君か」と言ってきてね。それで立ち話で30分くらい話し込んで。ホント、気の弱い学生だから、ビラほどには追求はできないんですけど、きっと口ごもりながらも「何で……、和楽器を取り入れたんでしょうか?」とか結構丁寧な言葉で聞いたような気がします(笑)

大谷 (笑) こういう話はすごい学生っぽいです。

坂本 ぽいでしょ? それは結構忘れられない思い出ですね。


「ミスチル」を目指すだけで終わるな

坂本 (同じく影響を受けた人物の話の途中で)ゴダールも結局スイス人だから、ゲルマン文化とフランス文化の両方を受け継いでいるのね。で、イタリア人のベルトルッチは、ローマ文化も、ドイツもフランスも、ヨーロッパ大陸全部の文学や哲学、絵画、音楽というのを吸収して下地にしている。だからヨーロッパ人アーティストのありかたというのは、本当にうらやましいなと思いました。

 日本も実はちょっと前まではそういうところがあって、結局、中国文化圏のひとつだったわけです。中国があって、日本、朝鮮半島、ベトナムまでふくめて漢字文化圏だった。もうひとつ言えば仏教で、インドまで含めて大きな大きな文化圏を作っていて、何千年という大きな土壌の上で、ものを書いたり、思考したりしていたわけです。(夏目)漱石だってそうですよね。漱石は漢学という……。

大谷 漢文、漢学の知識がものすごいあった方ですよね。

坂本 それを受容して育ってきて、英文学もやったわけですけど、あまり屈折のない形で受け継いでいるんです。

大谷 もしかすると、われわれがそういうインド文化、中国文化を持っていたかもしれないという形で、(ヨーロッパ出身のアーティストは)ヨーロッパ文化を全部持っていると言う?

坂本 そうですね。「体の中に入っている」という。そういうあり方というのはうらやましいとともに、それだけ過去がとても生き生きと目の目の前にあると、例えば音楽でも100年前、200年前の音楽が、すごい素晴らしい形で残っていることになる。それを超えるというのはものすごく大変。

 日本のようにあまり過去が引き継がれないで、10年くらいするとどんどん忘れられていくような社会だと、簡単と言えば簡単かもしれない。その代わり、いつも同じようなところに留まっているのかもしれない。時間的に積み重なって進化しているような感覚は持たないかもしれませんね。

大谷 アメリカのアーティストはどうですか?

坂本 基本的にアメリカはヨーロッパ型に近いと思います。高尚なことだけではなくて、例えば、ロックの受容のされ方を見ても、「厚み」というのを大事にしている。今の10代のアメリカ人の子たちも、僕や僕の上の世代が聞いている「クラシックロック」をちゃんと聞いていて知っているんです。下手すると、親子三代でツェッペリン見にいくとかね。それも割と馬鹿にしない。そういう伝統がありますね。その点がずいぶん日本とは違う感じ。

 僕が見聞きしているところはすごい狭いところかもしれませんが、見知った日本の若いバンドはだいたい「ミスチル」(Mr.Children)とかを目指してやっているんですね。でも、そこで終わっているような気がする。ミスチルは、例えば、エルビス・コステロとか、元になっているネタがいろいろあるわけですが、どうもそこまで想像力が及ばないんじゃないかなと、そう見える感じがします。映画でも、もしかすると文学でも、ずっと過去の引用の積み重ねになってますよね。

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