劣等感を味わい、そこから挽回した子供時代
北原氏はいわゆる団塊の世代で、1948年に東京の京橋で生まれ育った。4人兄弟の末っ子で小学生の頃は体育以外の成績がほぼオール1。他の兄弟が優秀だったぶん余計に“落ちこぼれ”度合いが目立ったという。
北原 なぜ勉強ができないの? なんて言われてね。なんで僕だけって落ち込んだ。
ご両親はそんな北原氏を見て、兄弟と比較されないようにと別の地域の中学校へ越境入学させる。だがそこで北原氏の落ちこぼれ度合いは加速してしまう。新しい中学は進学校で、クラス分けは成績順、当然北原氏は最下位のクラスに入った。新しい中学では頑張ろう、と希望に燃えていた北原氏だったが、授業前に担任の先生が全員に言ったことは“他のクラスの邪魔はするな”。子供心にも傷ついて、生活は荒れ、卒業間近には退学までいたった。
北原 義務教育で退学なんて、企業でいえば倒産したようなもの。まるで人間失格だよね。
そんな北原氏の転機は高校時代。ある日テストで60点をとったのである。
北原 それは三択式の試験だったから。でも先生が「やればできるじゃないか、すごいな!」って喜んで誉めてくれる。それがうれしくってね。それからは机にかじりついた。
先生の一言は劣等感でいっぱいの彼の心を溶かした。のちに恩師と仰ぐまでになった先生と出会ったのは本郷高校。水泳の北島康介選手や、「こちら亀有駅前派出所」の漫画家である秋本 治氏やアーティストの村上 隆氏も卒業した学校である。
ちなみに当時どのくらい勉強ができなかったかというと、アルファベットが全部書けなかったというから推して知るべし。だが、ほめられたら頑張るという北原氏の素直な性格が功を成し、高校3年時には総代として卒業するまでになった。
北原 総代ですよ、総代! ビリからトップ! それでもう、自信がついちゃって。やればできるって。
物を大事にする欧州の文化を見てコレクターの道に
その後、青山学院大学へ合格した北原氏は、さっそく勉学に励もうと意気込んだはいいものの、当時は大学紛争の真っ最中。大学に行ってもそもそも講義が行なわれていない。
なんて僕はツイていないんだ、と考えていたときに第二の転機が訪れる。北原氏の実家はスポーツ用品店だったため家業を継ぐことを考えていた。それもありご両親からスキー留学を勧められ、オーストリアで感動的な現地生活を体験した。オーストリアで触れた生活の豊かさに心を大きく揺さぶられたのである。
北原 みんな古い物も大事にしているんですよ。「これはお婆ちゃんの代から使っている鍋」なんて話すのを聞いて、ああ、物を大切にするっていいなあって。当時は戦後だったから新品がもてはやされる時代だったし、古い物を捨ててしまう日本の消費文化が恥ずかしくなった。
帰国後、粗大ゴミにあった古時計を拾い、自宅で油を指してみたらボーンボーンと時報の鐘が動いた。北原照久、20歳にしてコレクターとしてデビューした瞬間だった。
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