DRMに対する過度な期待は禁物?
ただし、これに対しては批判もある。法政大学 社会学部 准教授の白田秀彰氏は、まず「閲覧権」という言葉の使い方自体に違和感があると話す。
著作権法の規定では「著作者は~~権を専有する」といった表現がとられることが一般的だ。ここで、「著作者は閲覧権を専有する」と規定するならば、ある作品が合法に目の前に提示されたとしても、著作権者の許諾なく見てはならないことになる。これは、精神の自由や身体の自由を強く制約することにつながる。
また、私的領域での自由を制約しないよう、閲覧権を「公に閲覧する権利」であるとするなら、現在すでに規定されている上演権、上映権、展示権等を、受け手の側の行為を制約する形で重ねて規定することになり、既存の権利と整合性が取れないという。
白田氏は「DRM技術に対する過度な期待」に対しても疑問を呈する。完全なDRMというのは技術的に非常に難しいものであり、過去に実現された例はない。
仮にIPアドレスを利用してどのマシンでコンテンツが再生されたかを把握できたとしても、実際に観た人間が誰なのかを正確に把握するのは難しい。さらに、著作権法には「制限規定」(著作権法第30条~同47条の4)があり、私的利用や学術利用等には著作権が及ばない。どのような状況で作品が使用されたかまで仔細に把握し自動で判断するような、人工知能的DRM技術は不可能だろうという。
また、個人の使用状況を細かにトレースするということは、精神的自由権(プライバシー)の侵害という重要な問題もはらんでいると白田氏は指摘する。