世界最初のパソコン
Altair 8800をリリース
1975年1月に、Popular Electronicsの表紙を飾ったのが、Altair 8800である。当然ながらRoberts氏による解説記事も同じ号に掲載されている。
当初の価格はキットが395ドル、完成品が495ドルであったが、その後キットが439ドル、完成品は621ドルに値上げされる。これは主にIntel 8080の価格のためである。
当時Intel 8080の価格は360ドルとされたが、Altair 8800の発表当時は特別価格ということで1個75ドルで卸しており、この価格で入手できた初期ロットのみ395ドル/495ドルで販売できた。
構造的に見れば、筐体には18スロットのS-100バスのバックプレーンが収められ、ここにCPUとI/Fカードのみ差さった状態が標準であった。入出力はフロントパネルのLEDとスイッチのみで、メモリーはわずか256バイトしかなかった。
もっとも機能に関しては、多数のオプションが用意された。ウェブアーカイブに当時のオプションリストが掲載されているが、CRTターミナルやテレタイプ/ラインプリンターなどの入出力、SRAM/DRAMカード、PROMカード、FDDコントローラー、カセットI/F、パラレル/シリアルI/Oポート、RTC、カメラなどさまざまななものが用意されているのがわかる。
もっともこれらの中には、最終的に販売されずにリストから消えたものも少なくなかったようだが。
1975年1月にAltair 8800を発表した結果、最初の2~3週間で4000台を超える注文が殺到したといわれる。とはいえ、なにしろピーク時と異なり20人まで社員数が縮小した会社が、いきなりこんな大量の注文をさばけるわけもない。
注文から発注までの待ち時間は2ヵ月というのが公式な発表であったが、実際はさらに長かった。
1975年中の出荷台数は諸説あり、実際には2000台程度という記録と5000台を超えたという記録が共存しているのでわからないのだが、1975年末時点でのAltairの累計売り上げは100万ドルを超えており、1976年のMITS社の売り上げは600万ドルに達していた。
このAltair 8800のお陰で生まれた会社がマイクロソフトであるのも、これまた有名な話である。
昨年戦艦武蔵を海底で発見したことでも有名なPaul Allen氏は、Bill Gates氏と一緒にこのAltair 8800にBASIC言語を移植し、これのライセンス料として3000ドル+ロイヤリティーとしてMITSがBASICを販売するたびに1本あたり30~60ドルを受け取るという契約を結ぶ。
これにあたって設立されたのがマイクロソフトであり、この後MS-DOSの開発や移植、IBMとの契約で飛躍的に大きな会社になるのだが、発端はこのAltair 8800であった。
競合メーカーが乱立し経営が悪化
PertecがMITSを買収
話をMITSに戻すとAltair 8800の成功にともない、これまた必然的に競合メーカーが登場することになる。
特にAltair 8800は仕様をオープンにしていたので、S-100バスに対応した互換の拡張カードを出荷するメーカーも多数存在しており、さらにシステム全体のクローンメーカー(その最右翼がIMS Associates, Incで、ここが出した製品がIMSAI 8080である)も登場するなど、ビジネスは急速に難しくなってきていた。
MITSは1975年11月には、MotorolaのMC6800を搭載したAltair 680をリリースしたものの、こちらは思ったほどには売れなかった。このあたりでRoberts氏はMITSの経営から離れたくなったらしい。
1976年12月、Pertec Computer Corporationは株式交換の形でMITSを買収する。Pertec Computer CorporationはAltair 8800用のFDDを提供していた会社であり、1997年5月に買収は完了する。
Pertecは全米に26のAltair Storeを展開してホビイスト向けの製品展開を続けるが、そのPertecも1978年には(当時西ドイツの)Triumph-Adlerに買収されてしまう。
もともとPertec自身がカルフォルニアに所在を置いていたこともあり、アルバカーキのMITSの施設はPCC-2000というマシンを製造していたものの、1980年には閉鎖されてしまった。Roberts氏はこれに先駆け1977年末にPertec/MITSから離れている。
ちなみにMITS設立時にRoberts氏がお手本としたDaniel Meyer氏のSWTPCは、1975年にはコンピュータターミナルキットの販売を開始、1980年台までそのビジネスを継続する。
1987年にはPOSシステムの製造販売に参入、1990年にはPoint Systemに改称して、その数年後にビジネスをたたむに至る。
名前が売れたという意味ではMITS(とAltair)の方がはるかに上であったが、ビジネスとしてはMITSはお手本であったSWTPCには及ばなかった、というべきなのかもしれない。
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