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ベンダー、パートナー、ユーザーで製品を育てた1990年代を追う

ヤマハルーター立ち上げの舞台裏、販売現場から見えたもの

2015年12月22日 06時00分更新

文● 大谷イビサ/TECH.ASCII.jp

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小田急線の読売ランド前駅を降り、歩いて5分。マンションの一室にある匠技術研究所のオフィスにその人物はいた。ヤマハルーターの初号機である「RT100i」のビジネス立ち上げに深く関わった谷山亮治氏。日本のインターネット黎明期に生まれた国産ルーター立ち上げまでの道程に迫る。

豪快に笑いながらヤマハルーターの立ち上げ期を語る匠技術研究所の谷山亮治氏

商売するのにルーターがなんだかわからなかった

 1995年に発売されたヤマハのルーターの初号機「RT100i」。日本のインターネットの歴史に大きな影響を与える国産ルーターは製造をヤマハ、販売を住友商事が担当する形でスタートした。このヤマハルーターのビジネス拡大に大きく関わったのが、当時住友商事側に所属していた谷山亮治氏になる。

 話は1995年4月に谷山氏が住友商事のヤマハルータープロジェクトに参加するところからスタートする。谷山氏は長らくエンタープライズのネットワーク監視・制御システム開発を担当しており、自動運用の仕組みをUNIXで作っていた。さまざまな通信機器をつなぐだけでなく、ヤマハのLSIチップをベースにした通信機器の開発環境を構築していたという。そんな中、住友商事からの転職の話が持ち上がる。「当時は転職しませんか?という電話がオフィスにかかってきたような時代。そんな中、プラントを作っている商社がネットワークエンジニアを求めていると聞いて、アジアの片隅で第二の人生でも送れればいいかなあと思って、話を聞いてみることにした」という。

 そこで谷山氏が出会ったのが、ヤマハルーターの販売を手がけることになった住友商事名古屋支社次長(当時)だった吉井氏だ。吉井氏は「これからルーターというものを仕事にするのだけど、正直よくわからないんです」ときりだし、RT100iのカタログのゲラ刷りを渡される。

 谷山氏は、今までネットワークにまったく関わってこなかった商社、ルーターがなにかわからないという人たちが、通信機器を売ろうとしている事実に時代の転換を感じたという。「ゲラを見た瞬間、ヤマハのチップでこれ(ルーター)を作ればよかったんだと思った。なにか人生が変わる縁を感じた」という谷山氏は、ルーターを売るためにはなにが必要か、持論を吉井氏にとうとうと語り、そのまま住友商事のプロジェクトにジョイン。ヤマハルーターの販売側の技術系開発を手がけることになる。

ネットワークのセミナーで100回以上話した

 1990年代後半、日本でもインターネットの本格的な商用化がスタートし、ネットワークのTCP/IP化も進みつつあった。しかし、中小企業のLANはベンダー独自のネットワークが一般的で、基盤のプロトコル自体が異なっていた。「当時の企業ネットワークはPCに通信機能を追加するNetWare(IPX)でした。Windows 3.1で一生懸命ドライバー入れていた時代です。だからいきなりIPを導入しても、PC環境が追いついて来ない。実際、住友商事や関連事業会社も、IPネットワークではなかった(笑)」と谷山氏は振り返る。そこで谷山氏はまず社内のネットワーク化から着手。社内LANを構築し、会社だけではなく、自宅にもISDNを導入した。「名古屋に転勤となったのですが、自宅にISDN引いたのは個人では初めてだったらしいです」(谷山氏)という時代だった。

 谷山氏がヤマハルーターを販売するために最初に取り組んだことは、シスコのセミナーに出ることだった。「彼らは教育事業で成功していたが、どうやっているのか知りたかった。シスコの資格試験もない時代に、入門と中級のセミナーを受けました」。これで、シスコがどのような教育プログラムを持っているかを理解した。そして、その2ヶ月後から自身がセミナーに登壇し、ネットワーク技術の啓蒙に努めた。「知らない人ばかりだったので、みんな集めてやりましょうと。100回以上話して、もうこれ以上話せませんというところまでやった」と谷山さんは語る。

 もう1つの取り組みはISDN疑似回線交換機の導入だ。疑似回線交換機の両端にRT100iを接続し、きちんと通信できるところを確認するとともに、セミナーに持ち込んだ。「RT100iと疑似交換機をリュックサックに入れて、デモをやりました。本当に重かったです。リュックサックは3ヶ月くらいで壊れました(笑)」(谷山氏)。とにかく実物を触ることで、ネットワークに慣れ親しんでもらい、ヤマハルーターでできることを理解してもらった。「RT100iはコマンドを7行書けばつながった。その簡単さを試してもらいたかった」(谷山氏)。

「RT100iと疑似交換機をリュックサックに入れて、デモをやりました」(谷山氏)

(次ページ、砂に水をまくようにネットワークが拡がった1996年)


 

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