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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第329回

スーパーコンピューターの系譜 INMOSから独立したMeiko Scientific

2015年11月09日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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Transputerを超並列で搭載する
Meiko Computer Surface

 さて、話を脇道から元に戻そう。このT800の開発遅延が明らかになったことで、「ではT800のFPUに頼らずに、超並列を作ろう」と考えたのが冒頭のスピンアウト6人組だったようだ。

 彼らはまずT414の前に同社が開発したT2シリーズという16bitのプロセッサーをベースにした超並列のプロトタイプを9週間で作り上げ、1985年にSIGGRAPHで展示する。翌年、プロセッサーをT414ベース(後にはT800も追加)に切り替えてMeiko CS-1を開発。これはMeiko Computing Surfaceとさらに名前を変えて発売された。

Meiko Computing Surface。横倒しにすれば普通の作業テーブルの下に設置できる程度の大きさだったようだ。後述のOwen F Ransen氏の日記の中にも「Meiko Computing Surfaceは机の下に隠れてる」という記述がある

 Meiko Computing Surfaceの本体は、2ドア冷蔵庫より少し小さい程度だったらしい。内部は下の画像のように、VMEのダブルサイズのカードが最大40枚(20枚×2)収まる形だ。

カード単体を動かしている動画(https://www.youtube.com/watch?v=RrfEzJP0YWY)を見る限り、カードの幅は233.35mmという通常のVME規格に準拠しているものだったように見える

 下の画像がシステム構成の概略図であるが、さまざまな種類のカードが用意され、その上に最低1つのT414(後にT800も追加)が搭載され、このT414同士がリンクでつながる形でシステムを構成するという、まるでTransputerのカタログに出てくるかのような構成になっているのがわかる。

システム構成の概略図。すべてのカードにPEとしてT414があることがわかる

 当初はT414ベースのカードのみが提供されたが、INMOSがT800を出荷すると、これに対応したT800ベースのカードも追加され、さらにインテルのi860、あるいはSunのSPARCを載せたカードも追加されることになった。

 Meiko Computer Surfaceが成功した理由の1つは、ソフトウェア環境をしっかり提供できたことだろう。当初こそOPS(Occum Programming System)なる非常に原始的なOSしかなかったが、後追いでMultiOPSというマルチユーザー環境のOSにバージョンアップ、後にM2VCS(Meiko Multiple Virtual Computing Surfaces)という、ある種の仮想化OSも提供された。

 さらにMeikOSという、UNIXライクなOSも一時期は提供されている。ソフトウェア環境としてはOCCAMではなくCやFortranなども提供されるなど、かなり充実していた。

 また、少なくとも当初のMeiko Computer Surfaceは、必ずしもスーパーコンピューターのトップを狙っていたわけでもなかったのがかえってよかったという話がある。

 実際スパコン市場のトップを狙うには、T414やT800ベースのシステムでは無理があっただろう。その代わり、Meiko Computer SurfaceはCGなどの低価格帯向けシステムを狙い、これが見事に当たることになった。

 加えて、Meikoは当初T800の次にINMOSが予定していたT9000を採用する計画だったらしいが、こちらはT800に輪をかけて遅れた結果、i860やSPARCを利用することにした。だが、このSPARCの利用がMeiko Computer Surfaceをさらに広く普及させることになった。

 1988年、同社はIn-Sun Computing Surfaceという製品を発表するが、これはフロントエンドにSunのワークステーションを置き、バックエンドにMeiko Computer Surfaceを置く構成で、ユーザーは使い慣れたSunのワークステーションの環境でComputer Surfaceの演算性能を享受できることになった。

In-Sun Computing Surface。MK200はT800を4つと最大12MBのメモリーを積んだボードである。1989年の同社のアメリカ市場向けカタログより

 1990年までに同社は300以上のMeiko Computer SurfaceやIn-Sun Computing Surfaceを販売している。少なくともこのうちの1台は、日本で活躍していたらしい。

 英国人のOwen F Ransen氏が1985年~1987年に日本でアートディレクターをやっていた日記(関連リンク)によれば、CGの製作のためにMeiko Computer Surfaceを利用していたという記述が出てくる。

 当時Meiko Computer Surfaceの価格がどの程度だったかははっきりしない。なにしろ構成次第でだいぶ変わるわけだが、たった2人で構成される会社でもなんとか導入できる程度の価格だったことは間違いなさそうだ。

 ここでまた脇道にそれるが、この当時Meiko ScientificとINMOSの関係は非常に良好だったようだ。もともとINMOSからスピンアウトしたとは言え、そのINMOSの製品を利用して多くのシステムを出荷していたメーカーであるため、INMOSにとってみればむしろ願ったり叶ったりだったのだろう。

 1992年にInmosが主催したTransputer Initiative Symposiumの写真(関連リンク)を見ると、Meiko Scientificがブースを出しているのが確認できる。

 また同社は英ケント大学に32個のT800を搭載したComputing Surfaceを寄贈している(関連リンク)など、創業から1990年代初頭は同社にとって非常に良い時期だったようだ。

→次のページヘ続く (後継機はTransputerと決別

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