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アスキー総研遠藤が語る

急逝されたジャーナリストの元麻布春男氏を偲んで

2011年06月23日 14時54分更新

文● ASCII.jp編集部

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元麻布春男氏(1999年)

 6月21日、PC業界の各媒体で長年多くの記事を寄稿されていたフリージャーナリストの元麻布春男(本名:橋本 潤)氏が死去した。取材先に向かう途中で倒れ、病院に搬送されたものの亡くなられたとのことだ。

 同日午後に急逝を伝える報がTwitter上に流れた際には、故人と親交のある人々が、あまりにも急な訃報に驚きの声を上げていた。この記事を担当する記者も、その前日に元麻布氏とお目にかかったばかりで、にわかには信じがたい思いだった。Facebookでは故人を偲ぶページが開設され、訃報を聞いた人々による追悼のコメントが多数投稿されている。

 元麻布氏との親交も深い、元月刊アスキー編集長でアスキー総研の遠藤 諭所長に、故人との思い出を聞いた。


いままで会ったことのないタイプのPCユーザー

 私が元麻布春男氏と初めて会ったのは、渋谷で開かれた「AX協議会」のイベント会場で、そのときのことはとても鮮明に覚えています。参加したパネルディスカッションが終わったあとに声をかけてくれたのですが、名刺をみると「株式会社アスキー」と書いてありました。追悼サイトをご覧になってお気づきの方もおられると思いますが、彼はその頃、アスキー社内のヘッドクォーターに近い部署にいたのですね。

 そのときも、いきなりディスカッションの内容について、あの調子で(といっても会ったことのある人しかわかりませんが)まくしたてるように意見を述べられました。私は最初のほんの二言三言で、「ああ、この人は相当に詳しい人だな」とわかり、いままで会ったことのないタイプのPCユーザーだと思いました。

 1980年代の終わりから1990年代の始めにかけて、PC関係者の間で世界標準の「IBM PC」の注目が高まっていました。国内ではNECのPC-9800シリーズが、60%というシェアを持っていた時代※1。「Lotus 1-2-3」を始めとしたソフトウェアが全世界的な規模で広がったことと、低価格のIBM PC/AT互換機が出てきたことで、業界がひっくり返りそうな感覚に襲われました。
※1 16bit CPU以上を搭載するパソコンでのシェア。

 優れたソフトウェアがたくさんあって、PC-9800用に移植されるのを待たなくても自由に使える。パソコン通信のおかげで、海外のフリーソフトウェアも楽しそうだ……などなど。そのパネルディスカッションでも、いかに低価格で強力なシステムが可能かという議論がいくつも出ました(例えば、キャッシュカードの発行システムをIBM PCベースで作ると、当時の日本のシステム価格の何分の一になるとか)。

 今ちょうどネットの世界で、グーグルやFacebook、アップルなどのプラットフォーマーの軒を借りるかどうかという話に、似たところがあった時代と言ってもいいと思います。当時、日本の主要コンピューターメーカーはすでにPC/AT互換機を作っていましたし、先進的な企業はすでに取り入れているところもありました(実は最初期のPC/AT互換機は、日本メーカーが作っていた)。

 そこで、アスキーが家庭用の共通規格であった「MSX」の次に、オフィス向けの共通規格として準備していたのが「OAX」でした。これは諸般の事情で、アスキーとマイクロソフトの共同規格である「AX」という規格に引き継がれることになります。私と元麻布氏が参加したのは、このAX関連のイベントでした。

 当時、PCメーカーや企業はPC/AT互換機に注目していて、東芝やエプソン、NECは海外でPC/AT互換機を販売していましたが、一般のユーザーでIBM PCに興味を持っている人は、本当に少なかったと思います。「月刊アスキー」1987年11月号は「IBM PC特集」でしたが、これのために私が書いた稟議書は200万円以上でした。その後、コンパックがIBMに先駆けて発売した386搭載マシンが、300万円以上という時代のことです。

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