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月刊アスキー 2001年9月号 Key personインタビュー

「次世代ゲーム機の覇者は、ゲームキューブです」 任天堂株式会社 取締役経営企画室室長 岩田聡氏

2001年09月14日 14時05分更新

文● 撮影:広岡雅樹、聞き手・構成:内田幸二、月刊アスキー・大槻眞美子

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岩田聡(いわた さとる)氏プロフィール

岩田氏

1959年12月生まれ。北海道出身。高校時代からプログラミングに親しむ。'82年東京工業大学工学部情報工学科卒業後、ハル研究所入社。プログラマーとして任天堂のゲームソフト開発などに携わる。'93年に同社代表取締役に就任。'99年よりハル研究所相談役就任と同時に、任天堂にて現職。「バルーンファイト」('85年/ファミコン用)、「星のカービィ」シリーズ('92年/ゲームボーイ用ほか)、「MOTHER2ギーグの逆襲」('84年/スーパーファミコン用)などを手がけた(いずれも発売は任天堂)。



筐体の中身とコントローラ
「ゲームキューブ」という商品名は、デザイン決定後の形状から付けられた。デザイン案には、NINTENDO64のような平たい形状のものもあったという。デザインは、NINTENDO64を担当した内部デザイナーによるもの。

[Q] ゲームキューブの発売まで、あと1カ月ほどになりましたね。E3(世界最大のゲームショウ。開催国は米国)での評判もたいへんなものだったそうで。

[岩田] おかげさまで。まず、現物を大々的に展示したのが、今年5月のE3が最初だったのですが、寸法は発表ずみなのに、皆さん目の当たりにしたとき、筐体の小ささにまず驚かれるんですね。

[Q] ほんとうに小さくて、初めて見たときは驚きました。

[岩田] ええ。私も基板ができあがってきたときに、その小ささを見て、驚きました。そして、「これはイケる」と確信しました。

[Q] 基板も四角いですが、最初からゲームキューブはこういう四角いデザインでいくことは決まっていたのですか。

[岩田] いえ、最初はいろいろな案がありまして、平べったいデザイン案もありました。ゲームキューブのネーミングは、デザイン決定後に出てきたものです。(ゲームキューブ本体を前に)この取っ手も賛否両論あったのですが、私たちは、ゲーム機は、状況によって棚などにしまったり、部屋を移動して遊んだりするものだと考えて付けました。結果的に取っ手を付けて正解だったと自負しています。

[Q] ところでゲームキューブの開発は、どのような経緯で始まったのですか?

[岩田] NINTENDO64の開発が終わり、現場で実際に使ってみて、その問題点を洗い出すところから、ゲームキューブの開発が始まりましたね。

[Q] NINTENDO64の問題点とは?

[岩田] NINTENDO64の前のスーパーファミコンでは、たとえばキャラクタを画面に表示するスプライトが1画面に何個表示できるだとか、画面を何枚まで重ねられるかといった、ハードの仕様制限がハッキリしていました。つまり、仕様書に「画面は4枚重ね合わせることができる」と書いてあれば、Aさんが書いたプログラムでもBさんが書いたプログラムでも同じように4枚の重ね合わせができ、誰がつくってもその仕様制限は一緒だったのです。しかし、グラフィックが3Dになってから、ハードの規制が変質したため「処理時間さえかければ何でもできますよ。すべての自由は開発者にあります」ということになったのです。

[Q] やりたいことができる自由度が高まったということですね。

[岩田] そうなんですが、これがクセ者で、ハードの能力と自由度が上がったことで、逆にゲームにおけるハードの限界が明確でなくなってしまって、プログラマーにとってはどこまでハードの性能を出せるのかがわかりにくくなってしまったんです。

[Q] たとえば?

[岩田] そうですね。1フレームに何千ポリゴン表示できるのか、1つのキャラクタには何ポリゴンまで使えるのか、ゲーム思考ルーチンなどにどれくらいの時間をかけても表示品質に影響を与えずに済むのか……といったところの判断が難しくなってきましたね。いずれも「やってみないとわからない」状態になってしまった。そのため、“オプティマイズ”や“チューニング”といった工程が必要となり、これにものすごい手間とエネルギーがかかるようになったんです。

[Q] 具体的にはどのくらいの負担でしたか?

[岩田] 自分の実感では、“オプティマイズ”や“チューニング”といった本来のゲームをつくる部分ではない仕事に、全工程の4割くらいの時間とエネルギーを使っていたと思います。NINTENDO64のソフト開発では、プログラマーやデザイナーがハードの仕様に合わせて、試行錯誤しながら小手先の技を駆使し、少しでも性能が出るように工夫していたんです。つまり、NINTENDO64時代は、ゲーム制作の本質とは違う仕事が爆発的に増え、つくり手は思ったとおりにゲーム制作ができなくなってしまったのです。それによって開発はどんどん長期化し、最悪の場合は発売中止という事態まで起きてしまいました。このまま、クリエイティブとは言えない無駄な作業が増えていくのであれば、ゲーム産業そのものに未来はないと我々は考ええたのです。



月刊アスキーでは、9/18発売の10月号でも「特集・ゲームキューブハードの秘密」を掲載する。筐体の中身の徹底的分析から岩田取締役ほか開発担当竹田取締役のインタビュー、ソニックチームの中氏ほかソフトメーカー開発者インタビューなど満載。

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