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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第402回

業界に痕跡を残して消えたメーカー MS-DOS誕生のきっかけとなったOS「CP/M」を生みだしたDigital Research

2017年04月10日 11時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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 今回紹介するのは、かなり有名というか、MS-DOS時代のユーザーはご存知であろうDigital Researchだ。Digital Researchを知らなくてもCP/Mをご存知の方は多いだろうが、このCP/Mの開発・販売元がDigital Researchである。

MS-DOSが真似たOSとして有名なCP/M

 創業者はGary Arlen Kildall氏であるが、実はDigital Researchの設立以前の話もおもしろいので、まずはKildall氏の経歴を追ってみたい。

米海軍大学校の准教授だった
創業者のKildall氏

 Kildall氏は1942年、ワシントン州シアトルの生まれである。1963年にワシントン大に入学、同時に最初の妻であるDorothy McEwenさんと結婚している。そのワシントン大のコンピューター科学学科の最初の学生となり、バロースのB5500を夜間に使ってプログラミングに勤しんだらしい。

 もともとKildall氏は数学が好きで、数学教師を目指した時期もあったそうだが、プログラミングは彼の才能にピッタリとマッチしたらしい。おりしもアメリカはベトナム戦争を始めた頃で、徴兵されてベトナムに送られるのを避けるため、米海軍の幹部候補生学校に入るが、後に米海軍大学校でコンピューター科学の准教授を務めることになる。

 1972年に徴兵期限が明けた後も米海軍大学校の准教授を務めていたが、インテルがマイクロプロセッサーの4004を発表するとこれに魅了され、米海軍大学校にあったIBMのメインフレームを使って4004のシミュレーションをしたらしい。

 運が良いことに、米海軍大学校はカルフォルニア州のモントレーに所在しており、シリコンバレーまで車で1時間ちょっと(渋滞の状況次第だが、試しにGoogle Mapで調べたら米海軍大学校からインテル本社まで1時間15分と出た)の距離である。

 この4004のシミュレーション、という話がきっかけとなり、当時インテルのMSG(Microcomputer Systems Group)を率いていたHank Smith氏との間で、インテルのプロセッサー向けの高級言語を提供する、というコンサルタント契約が結ばれることになる。これがPL/M(Programming Language for Microcomputers)言語である。

 最初のターゲットは8008向けであるが、これの開発中に氏は8008の載ったボードに直接8インチのFDDを接続する必要に迫られた。そこで、このFDDの制御用に作ったソフトウェアがControl Program for Microcomputersのプロトタイプである。これはCP/Mという名前で知られる、いわゆるDOS(Disk Operating System)の先駆けである。

 さて、PL/Mはインテルに無事納入され、8008に続き8080や8085、8086/8088、80186/80188、80286あたりまで利用された。ほかにもIntel 8048/8051/8061/8096といった、同社のマイクロコントローラーでもPL/Mがサポートされている。

 インテルは1975年頃からMDS(Microcomputer Development System)と呼ばれる開発システムを提供しているが、この開発システム上で動くプログラミング言語はアセンブラとPL/Mの2つであった。

MDS-I(MDS-800)のハードウェアマニュアル。この当時インテルは、システムにはIntellecというブランド名を使っていた。マニュアルを見るとCycle Timeが2μsとなっており、動作速度はわずか500KHzということになる。価格は最小構成で2395ドルだったそうだ

 ただPL/Mは全面採用されたものの、CP/Mに関してはインテルは興味を持たず、その代わりに独自のISIS(Intel Systems Imprementation Supervisor)を提供してこれに代えている。そこでKildall氏は、まずCP/Mを8080用に書き直した後で、これを商用販売することを思いつく。

 1975年、まずDigital Systemという会社、それとOmron of Americaの2社にCP/Mをライセンス供与する契約が結ばれた。当時まだKildall氏は米海軍大学校の准教授の職を務めていたが、これと並行してCP/Mを販売する会社として、妻と2人でIntergalactic Digital Researchを1976年に設立する。ただこの社名は長すぎたようで、数年後にDigital Researchに改称された。

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