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メタルG-SHOCK“MR-G”誕生秘話「とんでもない嘘ついた」

2016年06月16日 11時00分更新

文● 盛田 諒(Ryo Morita)

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 カシオ計算機の腕時計G-SHOCKシリーズ上位機種「MR-G」シリーズは今年で発売20周年。アニバーサリーモデル「MRG-G1000HT」は6月発売だ。MR-G史上最高額の70万円(税抜)、限定300本。刀装具や装身具に使われる槌起(ついき)加工を施した。「MRG-G1000」ベースでケースとブレスレットはチタン製。GPSハイブリッド電波ソーラー、2都市時刻同時表示可。

 20年前、樹脂製だったG-SHOCKを金属製にした裏にはどんな苦労があったのか。初代G-SHOCK生みの親である伊部菊雄さんにMR-G誕生秘話を聞く。

「G-SHOCK」生みの親・エンジニア伊部菊雄さん

挑戦促した「思いのマジック」

── 初代G-SHOCKは33年前、1983年に商品化されました。

 当初のターゲットは本当にワークマンでした。当時たまたま技術センターの近くで道路工事をやっていたんです。削岩機をやっている人は当然すごい振動が来るので腕時計をしていなかった。「こういう人にしてほしいな」と考えたんです。とはいえ発売時は時代に逆行していました。「大きくゴツイ」というのが評価される時代ではなかったので、まったくと言っていいほど売れませんでした。

 しかし1990年代に入ってストリートファッションに変わってからはアメリカで流行って、若い人に広まるようになっていったんですね。これはまったく想定外でした。若い人たちを見ていたら、「せっかくファンになってもらってるんだからずっとG-SHOCKファンでいてほしい」と思うようになった。年齢が上がって、スーツにも合うG-SHOCKを作りたい。結論としてはフルメタルだろうと。

 初代G-SHOCKは自分で作りたいといって開発したので、今度はプロジェクトとして作ろうと。しかしフルメタルは自分でも絶対にできないと思っていたもの。まともに呼びかけても「できません」と言われることはわかっていました。

 そして、何人かに「自分たちが本当に欲しい時計を開発しないか」と声をかけました。集まったのは30代で、みんなG-SHOCKで育ってきた世代でした。話の交通整理をしているうちに、自然と「耐衝撃性を持ったフルメタル」に行きついたんです。“思いのマジック”のような感じですね。

 開発でいちばん難しかったのは、衝撃をどうやって吸収させるか。自動車のバンパーと同じようにぶつかると衝撃を吸収するのと同じ構造になっていて、ベゼルとケース本体の間に少し隙間を開けてあるんです。ぐっと入ったとき緩衝材がつぶれるようになり吸収される。しかし人が押して緩衝材があるとわかったら不良品のように感じてしまいます。

 素材も特別なものではなく、汎用の素材でなければならない。丸型、角型、ステンレス、チタンそれぞれを出してみて、形状と構造でとにかくクリアしようという考え方をしたんです。そこにいちばん苦労させられました。

「絶対に取材が入る」というウソ

MR-G初代機。丸型=MRG-100T-8(Ti)、角型=MRG-110-7(SUS白文字板)

── 難題に挑むチームをまとめるのも大変そうです。

 初代G-SHOCKを作ったときは誰にも相談できませんでした。しかしそれは気の毒だなと思って、「悩みはなんでも引き受けるよ」と言ってあったんですね。

 しかし自分で言ったから仕方ないんですが、ちょっとしたことで「できません」「あきらめましょう」と言われるようになってきた。そのたびに「君じゃないとダメだ」「君はやっぱり天才だな」みたいなことを言い続けていたんです。

 こっちも初代G-SHOCKを作った経験があるから文句は言いたくなるんですよ。「もっと新しいこと考えろよ」とか「そんなのダメに決まってるだろ」とか。

 でも、あえて「ダメそうです」と言われたときだけ、モチベーションを上げるようなことを言っていた。おかげで「ヨイショの伊部」と呼ばれてました。でも、そのうちに励ましの言葉、モチベーションを上げる言葉も使いきってしまい、困り果てた時にとんでもないウソをついてしまったんです。

 「これが商品化されたら絶対に取材が入る。取材が入ったら全員で雑誌に載っけてもらおうじゃないか」と言ってしまったんですよね。当然そんなもの何の根拠もないんですが、それが原動力のひとつになって開発が進みました。

 開発が終わったあと、わたしにとっていちばんの悩みは雑誌が取材に来るかどうかになりました。フルメタルのG-SHOCKはおかげさまで話題になって即日完売ということになりましたが、ふしぎと取材はこない。取材が決まるかどうかが気になって仕方がなかった。私には売れる売れないより大きな気がかりでした。

 やっとメンズファッション誌の取材が入ることになった。女性編集者が来たときに、「大事なお願いがあります。全員で写真撮らせてもらえないですか、それが許されるなら取材を受けたい」と伝えたんです。向こうはそういう話をいきなり聞いてびっくりしてましたけど、わたしはこれを逃したら二度とチャンスはないかもしれないと焦っていた。なんとか一応全員の写真が載ることになり、一緒にやってた人が「家宝にします」と喜んでくれた。そんな形で、初代MR-Gができました。

 面白いことは、プロジェクトが終わって普通の仕事に戻ると「ウソでもいいからほめてほしい」と思うようになるんです。普段の仕事はなかなかメリハリがつかないもの。ちょっとしたことでモチベーションが生まれて実力以上のものが出る可能性はありますよ。それに、ほめるのにお金はかからないですしね。

「らしさ」「挑戦」両立の難しさ

── 20周年モデル「MRG-G1000HT」はどう感じましたか。

 すばらしいですよね。ジャパン・クラフトマンシップを感じます。

 日本の良さはたくさんあります。微々たる力ですが、腕時計と融合することで日本の良さが発信できたら一番いいなと。昔は日本の技術はそれだけで評価されていたんですが、だんだん難しくなってきた。われわれが知らないだけで本当に頑張っておられる方は多い。これからもコラボレーションできたらうれしいですね。

 それに時計をコンコン叩いて傷をつけるというのもなかなか考えづらい。スイスブランドでこれをやったら、「冗談じゃない」と言われるんじゃないでしょうか。「こんなにきれいに仕上げたベゼルをどうして槌で叩く必要があるのか」とね。これぞG-SHOCK、口でなかなか言えない「らしさ」の象徴だと思います。

 G-SHOCKで難しいのは、表現がうまくできませんが「G-SHOCKらしさ」。何かで決められているわけじゃありませんが、「らしさ」にこだわりがある。社内でも誰でもG-SHOCKに関しては自分のこだわりを持っています。

 たとえば超薄モデルを作ろうと思ったこともあるんですね。本当によければ何人か集めて開発しようと思いましたが、認められなかった。チラッと「もしG-SHOCKが超薄になったら」という話をしてみたんですが「伊部さん、それはG-SHOCKじゃないよ」と言われてしまう。社員だけじゃなく、外でも同じでした。

 しかし、変わらない良さがあったとしても、新陳代謝をしないかぎりはマンネリ化に陥ってしまう。そこに自分から何か提案できるようにはしたいんですよね。新しいチャレンジをしないと不安がある。「らしさ」も大事なものとして踏襲しなければいけないんですが、それだけではいつか魅力あるものと思っていただけなくなってしまうのではないか、と感じています。

 たとえば去年のバーゼル(スイス・バーゼルで開催される時計・宝飾品見本市「バーゼルワールド」)では金無垢のG-SHOCKをコンセプトモデルとして出しました。すると、とにかくほしい、(製品として)作ってくれという声をいただけて、チャレンジしてよかったと。ただ1点モノなので、普通のG-SHOCKと同じように評価ができないのが残念でした。お金が無尽蔵にあればいいんですが……そういう意味で、G-SHOCKにはチャレンジの歴史があります。

 技術が進化していくと大方のものができるようになり、商品があふれてしまう。ただ新しいものだけではなく、作る以上は独自性があって、本当に喜んでもらえるものは何かを探しださなければならない。そのコンセプトさえ見つかればおそらく技術はあとからついてくるんじゃないかと思うんですよ。



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盛田 諒(Ryo Morita)

1983年生まれ、記者自由型。戦う人が好き。一緒にいいことしましょう。Facebookでおたより募集中

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