世界初の100万台を売り上げたパソコン
VIC-20
SuperPETとほぼ並行するように、1981年に投入されたVIC-20は、爆発的に売れた。CPUは相変わらず1MHzの6502ながら、カラー表示が可能になり、3音のサウンド再生が可能になり、20KBのROM+5KBのRAMという構成で299、ドルというのはTandyのTRS-80をはるかに凌ぐインパクトがあった。
結果、このVIC-20は最終的に250万台を売り上げるヒットとなっており、また世界最初の「100万台を売り上げたパソコン」の称号も得ている。
画像の出典は、“Vintage-Computer.com”
余談だがこのVIC-20は米国での発売に先駆けて、日本でVIC-1001という名前で発表されている。そもそもVIC-20の企画そのものが、同社が新しく雇ったMichael Tomczyk氏(社長補佐兼戦略マーケティング担当といった役回り)、英国Commodoreのマーケティング担当のKit Spencer氏、それとコモドールジャパン社長(この当時はまだ副社長)だったTony Tokai氏(東海太郎氏:故人)の3人が主になって定めたものだ。
VIC-20の開発を率いたのはYash Terakura氏というこれまた日本人で、その意味ではVIC-20(やその後継のCommodore 64)は日本と縁が深かった。
またBrian Bagnell著のCommodore:A Company on the Edgeによれば、PET 2001のプロトタイプ作成にはNobuo Aojiという日本人エンジニアやTakemoriという日系アメリカ人のエンジニアが携わっていたなど、いろいろと日本との係わり合いがあったことがうかがえる。
またその関係は単にコモドールジャパンだけではなく、さまざまな日本の企業との関係もあった。例えば旧HAL研究所が開発したソフトが本国のCommodoreで発売される、ということもあったそうで、その結果下のような写真も残されている。
画像の出典は、“Commodore:A Company on the Edge”
これはまだHAL研究所ができる前の話で、コモドールジャパンが日本でPETユーザーグループを形成した頃の話で、当時はまだ東工大の学生だった岩田氏が頻繁にTerakura氏のオフィスを尋ねては話を聞いていた頃の写真らしい。
そのPETユーザーグループを母体にHAL研究所ができたというあたり、いろいろなつながりに思いをはせたくなる。
ゲーム機の市場をも取り込んだ
Commodore 64
さて話をCommodoreに戻そう。VIC-20の成功に続き、1982年にはCommodore 64を発売する。当初はVIC-40という型番で開発されたが、最終的にCommodore 64という名称になったのは64KBのRAMを搭載していたからだ。
価格は595ドルとVIC-20の倍になったものの、当時の競合製品がいずれも64KB搭載の製品が1000ドルを軽く超えていたため、それに比べるとやはり大バーゲン価格であった。
Commodore 64の発売と、これに続く同社の非常にアグレッシブな市場戦略は、「アタリショック」あるいは"Video game crash of 1983"と呼ばれる、1983年の家庭向けゲーム機市場崩壊の引き金になった、という説もある。
結果から言うと、1983年にAtari社を初め多くのメーカーが家庭用ゲーム機から撤退を余儀なくされた(どころか倒産に追い込まれた)ところが多かったのに対し、Commodore社は、Commodore 64の価格そのものは下がった(1980年代末には100ドル程度で購入できるようになった)にも関わらず生き延びることに成功する。
しかも、多くのゲームメーカーが家庭用ゲーム機の代わりにCommodore 64向けにゲームを提供するようになったことで、従来の家庭用ゲーム機の市場も入手できた。Commodore 64は最終的に同社が倒産する1995年まで生産が続き、総生産台数は1500万台に達している。
AtariとAmigaを買収するも
市場規模の縮小で倒産
さて、このあたりから同社の運命はダッチロールを始めるようになる。Tramiel氏は引き続き低価格路線に邁進するつもりだったが、同社の経営陣はもう少し高価格帯の製品群にシフトすることを目論んだ。そこで深刻な社内紛争が勃発、最終的に1984年にTramiel氏が辞任することになる。
ただしTramiel氏もただでは転ばなかった。彼はCommodore社内の開発陣を大挙引き抜き、直ちにTramiel Technologyという会社を設立、さらにはAtari社のコンシューマー部門を買収、Atari Corp.として再出発する。
その一方、AtariでAtari 800などを開発してたJay Miner氏は1983年頃に独立してAmigaという会社を設立、ベンチャーキャピタルなどから資金を得て新しいビデオゲームコンソールを開発しようとしていた。
このAmigaにCommodoreが注目、1984年8月にCommodoreがAmigaを2500万ドルで買収して丸ごと子会社化した。
このAmigaの系列がCommodoreの次の製品になった。まず1985年に16bitのAmiga 1000を発表する。
画像の出典は、“OLD-COMPUTERS.COM”
CPUに7.14MHzの68000を搭載、メモリーは256KB~最大8MBまで搭載でき、最大4096色表示のカラーディスプレーなどさまざまな特徴を兼ね備えたものとなる。特にそのグラフィック能力を示すBoing Ballは、この当時のマイコンとしては驚異的なものであった。これにより、ゲーム機だけでなくCGアーティストがAmigaに着目するようになる。
Amigaが一挙に広がったのは、1987年に投入された廉価版のAmiga 500や高性能版のAmiga 2000の投入からである。
Amiga 500は699ドルと廉価ながらグラフィック性能はそうい変わらず、おまけに4ch/8bit PCMステレオ音源を搭載するなどゲームやCGの実行には最適だった。Amiga 2000は大量の拡張スロットを搭載してさまざまな機能追加が可能だった。
1989年~1991年にかけてはAmiga 1500/2500/3000といった上位製品を次々に展開していく。Amiga 3000ではCPUが16/25MHzのMC68030になって処理性能は大幅に強化され、この頃にはOSとしてUnix SVR4も動作するようになっている。
1992年にはAmiga 1000/500の後継としてMC68020を搭載したAmiga 1200や、ついにMC68040を搭載したAmiga 4000もラインナップされるなど、CommodoreはAmigaのラインナップを強化していった。
他にも、1990年にはカートリッジベースのCommodore 64 Game Systemや、1993年にはCDベースのAmiga CD32といったゲーム専用機をリリースしたりもしていた。
ただもう1994年というと、パソコンの市場は完全にWindowsベースのPC/AT互換機か、もしくはMacintoshといった具合で、熱狂的なAmigaファンのみが製品を購入する、という具合だった。
1980年代には優れたCGや音楽作成のプラットフォームではあったが、1990年代に入るとMacintoshやWindowsベースでほとんどが置き換えられてしまった、というのも衰退の大きな理由の1つかもしれない。
家庭用ゲーム機の市場はもっと悲惨で、1994年には初代PlayStationが登場するが、その前にはスーパーファミコンが世界を席巻していた(日本国内はまたいろいろあるのだが、そこは今回は触れない)わけで、Amiga CD32は倒産までに10万台程度売れたかどうか、という程度でしかなかった。
結局こうした競合による市場の縮小を受け、Commodoreは1994年4月29日に倒産する。当然各国の支社も連鎖倒産することになったが、唯一英国のCommodore UKのみ倒産を免れ、ここが本社やその他支社の資産を継承して事業を続けていたが、最終的には1995年にドイツのEscomが1400万ドルで買収する。
もっともそのEscomも1996年に1億8500万ドイツマルクの赤字を出して倒産、Commodoreの名前はその後オランダのTulip Computersが買収するものも、ここも2009年には倒産している。
一方Amigaのブランドはその後Gateway2000に買収されるものの、結局ここはAmigaの名を冠した製品を販売することなく手放してしまっている。
次週は、このCommodoreと取っ組み合いの争いを繰り広げたAtariの話をご紹介したい。
※お詫びと訂正:Commodoreが発売したゲーム専用機の一部に誤りがありました。記事を訂正してお詫びします。(2016年6月27日)
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