今回の一連の新製品発表のなかで、おそらく多くの日本のユーザーにとって、最も印象に残っただろうプロダクトが『iPad Pro』だろう。実際のところ、iPad Proはテクノロジー的にも非常にレベルの高い実装をしていて、アピールの手法も巧みだった。会場に全世界から集まったプレスの目を釘付けにするに十分な魅力を備えていた。
発表会のなかでは2番目だったiPadセッションの冒頭、ティム・クックCEOは「The biggest news in iPad since iPad」というジョークめいたコピーを見せ、壇上で過去最大サイズのiPadを披露した。
噂はされていたものの、誰も見たことがない大きさのiPad。
液晶は12.9インチ。持ち歩きには大きすぎると指摘される前に、サイズの必然性を「Air2のアプリがフル2画面で使える広さにした」というロジックで説明する。ちなみに実際には長辺はAir2の2倍には少し足りない2732ドット(短辺の解像度はAir2の長辺と同じ)。ppiはAir2と同じ264ppiだ。それでも、発表会場に詰めかけたプレスを勢いで納得させてしまったのは、製品が魅力的だったからだ。
ハンズオンで実機に触れてみると、これだけ大きいのに、重量は初代iPad 3Gモデル(730g)とWiFiモデル(680g)の中間の713g。数字から感じる印象のとおり、実物も画面サイズを考慮すると驚くほど軽く、それでいて剛性面の不安はかけらも感じない。
本体側面に2基ずつ、合計4基搭載されるユニークなスピーカーは、本体が縦向きか横向きかに応じて、ステレオLRのサウンドを自動的にいまの向きに合わせて入れ替える機能を持つ。どの向きでも良好なステレオサラウンドが得られるようにだ。
このスピーカー部分は、贅沢なエンクロージャー構造(空洞)にしているとアップルは説明している。個人的印象では、マーケティング上の理由で、初代iPad並みの重量にするためにあえてバッテリーを詰め込まず空洞にしたんじゃないか、という気がしている。10時間のバッテリー駆動ができるなら、より軽くすることで製品の魅力がさらに高まるという考え方だ。
真相はともかく、アップルの狙いはバッチリ当たった。誰もが「不思議なほど軽い」と思わせるパンチの強いタブレットマシンになっていた。
■ペンとキーボード、近いようで遠い、SurfaceとiPad Pro
iPad Proのさまざまな特徴の中で、本格的なキーボードと、筆圧センサーに加えて傾きセンサーも搭載し、ペンの側面を使った表現を可能にした独創的なApple Pencilは、いまから注目に値する出来栄えだ。
まず、Apple Pencilについて。描き味が非常に高精度で技術的にもユニークだった。描き味は驚くほどなめらか。遅延も、ペン先の位置ズレも感じない。筆圧の入力感覚もごく自然だ。デモ映像にもあるように、ペンの側面部分を使ってクレヨンのように面で塗る表現もできる。傾きセンサーを搭載していない他の方式では、ここまでのペンのシミュレートはできない。
展示スタッフに「どうやってこの、なめらかでレイテンシの低そうな描き味を実現したの?」と聞いてみたが、残念ながらペンのセンシング技術の話しかしてもらえなかった。描き味には相当こだわっていそうで、OS側もセットでチューニングしないとこのレベルのスムーズさは実現できないように思えるが、この辺の技術的な背景は今後徐々に表に出てくるのではないだろうか。
もう一方の複雑な折りたたみ機構を持つキーボードは、MacBookよりストロークがあって、キーの反発力がとても低く、それでいてふにゃりとはしていない独特の心地良さがあるタッチだ。iPad Proでは新たに、コマンドキーを長押しすると、いまのアプリ画面で有効な"ショートカットキーを表示する機能"があることもわかった。
iPad Proは、分割ウインドウによるマルチタスキングに対応し、2つのマルチタスキングをしながらさらに動画のオーバーレイ表示もできる。今まで以上にデスクトップOSっぽく振る舞うようになったから、カーソル操作にタッチパッドがないのが逆に違和感を感じる。
さて、ペンとキーボードとタブレット、という組み合わせは、装備としてはマイクロソフトのSurfaceと同じだ。ただし触った印象は、Surfaceはややラップトップ寄りで、iPad Proはややクリエイティブなタブレット寄り。この性格の違いが、ペンにも表れている。同じペン入力であっても、iPadはよりデザイナーやクリエイターの手のストロークを再現できるような高精度なモノを目指して独自開発をしたというわけだ。目指す方向性は似ていても、そこに至るルートが違う感覚だ。
iPadの方向性として明確になったのは、これまでの"仕事も(やろうと思えば)できる、コンテンツ消費のためのタブレット”路線から脱して、次のフェーズに入ったということだ。
このことは、アップルの2つの製品ラインに影響を及ぼすことになりそうだ。1つは、当然iPad Pro以外のiPad。特に今後でてくるだろうiPad Air3(仮)のような次期製品だ。iPad Pro以外にも、たてばAirシリーズにもこのペン機能に対応する装備が入ってくるんじゃないだろうか。
もう1つは、Proを含むMacBookシリーズだ。
iPad Proが目指す先がクリエイティブなタブレットであるならば、これまではMacが担っていた領域にiPadが入り込んでくるということになる。
デモを見ている限りでは、快適なペン入力、3ストリームまで使える4Kビデオ編集など、クリエイティブ性能でも”iPad Pro > MacBook”という、ある種の性能逆転の構図が見える。
ひょっとすると、アップルは製品を従来のブランド(Mac、iPad、iPhoneなど)という縦軸で分けるのに加えて、Proシリーズとnot Proシリーズという横軸でも分けようとしているのかもしれない。Macでやっていたカテゴリ分けをMac以外にも広げた形だ。
だとすれば、MacBookは「非プロユーザー向けのMac」だし、iPad Proは「プロユーザー向けのiPad」になるから、製品ラインナップ上も違和感はない。
iPad Proは素養十分、アップルとサードパーティーのアプリ次第
発表会のデモでは、マイクロソフトやアドビが登壇してOffice書類作成にもデザイン作業にも使えることをアピールしていた。ただ、現実問題として、職業イラストレーターが本格的な制作作業をiPadだけで行うにはまだ不十分なのも事実だ。
本格的なクリエイティブ環境には、アップルが2つの障壁を乗り越える必要がある。1つは、WindowsやMac版と同等のプロ向けアプリを用意できるか。たとえば、フル機能のiPad版アドビ Creative Suitなどだ。
2つめは、それら作業を「iPadでもできる」だけではなく、「iPadでつくるほうが快適」というレベルまでもっていけるかどうか。
ハンズオンで短時間触ったレベルの評価ではあるものの、iPad ProとApple Pencilの組み合わせは一度触ってみる価値がある。iPadの新しいユースケースを感じさせるに十分なワクワク感もある。価格は、最大容量の128GBモデル(WiFi+セルラー)本体が1079ドル、Smart Keyboardは169ドル、Apple Pencilが99ドルと、合計1347ドル。日本円換算でざっと16万3000円という、iPadとしては新次元の価格帯だが、価格を納得させられるかは結局どんな体験ができるか次第だ。
注目を浴びる製品だけに、ユーザーのアップルに対する期待値は高い。性能と体験をクリエイティブ作業全般に"進んで使いたくなる"レベルに昇華させユーザーに納得させられるか、アップルの腕の見せ所だ。