若手ディープテック研究者の育成を支援する産業技術総合研究所(産総研)の「覚醒プロジェクト」。この連載では、2023年度の覚醒プロジェクトに採択された研究者の研究内容を紹介する。
今回は、工場の機器などの異常音を検知するAIを開発する、名古屋大学大学院博士課程の藤村拓弥さんだ。
- 研究実施者:藤村拓弥(名古屋大学大学院)
- 研究テーマ:精度と安定性を両立した異常音検知手法の開発
- 担当PM:井本桂右(同志社大学 文化情報学部 准教授)
機器動作音からの異常動作検知手法の精度と安定性の向上を目指す
機械製品や電気製品などを製造する工場では、さまざまな材料加工装置や製造装置、アームロボットなどが使われている。こうした機器類は、長年稼働を続けているとギヤやベアリングなどが摩耗したり、モーターが壊れたりして、正常に動作しなくなってくる。製造機器が壊れると、製品の品質が低下したり、製品が製造できなくなったりするだけでなく、重大な事故を引き起こす可能性もある。
定期的なメンテナンスや状態確認を行なっていても、壊れるときには壊れるのが機械だが、完全に壊れる前には動作音が変わったり、振動が大きくなったりといった予兆が現れることも多い。特に、音はセンサーも安く、外から見えない製造機器内部の異常を早期に発見できる可能性があるため、実際に機械学習によって動作音から異常を検知するシステムが開発され、工場などでの導入も一部では進んでいる。
こうした機器の正常動作時に発する音を正常音、そこから外れた故障の予兆となる音を異常音と呼ぶ。
異常音検知システムに求められる3つの要件
異常音検知システムが、実社会で広く使われるためには、「正常音のみでのモデル学習」「高い精度」「高い安定性」という3つの要件を満たす必要がある。
まず、機器の故障は稀であり、しかもさまざまな故障パターンがあるため、教師データとして利用できる網羅的な異常音データを入手することは事実上不可能だ。2つめの、高い精度が求められることについては言うまでもない。ポイントとなるのが3つめの「安定性」である。環境や機械の機種に依存せず、調整せずに動作する安定性が異常音検知システムの普及には必須となる。
今回の覚醒プロジェクトで「精度と安定性を両立した異常音検知手法の開発」という研究テーマが採択された名古屋大学大学院博士課程の藤村拓弥さんは、機械学習を利用した異常音検知手法が必要とされる理由を次のように説明する。
「これまでは職人さんが、機器が動作しているときの音を聞いて、それによって故障の予兆を判断していたのですが、それは熟練した職人さんにしかできない芸当です。そうした職人さんを育てるには時間とコストがかかり、人材の確保も難しいことから、異常音検知システムが期待されています」
職人の高齢化が進み、人手不足が深刻になっている現状で、熟練した職人と同等以上の精度で異常音から故障の予兆を検知するシステムへの期待は大きい。すでに機械学習による異常音検知システムを導入している工場もあるが、前に示した3つの要件がすべてクリアされているわけではないことから、さらなる技術の向上が求められているのだ。
生成的手法と識別的手法のいいとこ取りを目指す
現在主流の機械学習を利用した異常音検知手法は大きく「生成的手法」と「識別的手法」の2つに分けられる。
生成的手法は、正常音の音響特徴量を学習させた正常音モデルを作り、観測音が正常音からどれだけ逸脱しているかによって異常度を算出する仕組みだ。この手法は、上記の3つの要件のうち、1つめと3つめの要件は満たすが、異常検知性能は低く、100点満点で言えば55〜65点程度となる。
識別的手法は、正常音と疑似異常音を用いて、特徴量空間での識別境界を学習し、観測音の識別特徴量によって異常度を算出するもので、生成的手法より高い精度を出せる反面、識別器の過学習などによって異常検知可能な特徴量空間が得られない場合もある。100点満点で言えば、80、90点のような高い性能を達成できるポテンシャルがありながら、稀に10点のような致命的に低い性能に陥ってしまう。つまり、安定性が低いのだ。
現在主流の生成的手法と識別的手法では、精度と安定性の面で一長一短があり、精度と安定性を両立させることは非常に困難である。
正常音のみでのモデル学習 | 高精度 | 安定性 | |
---|---|---|---|
生成的手法 | ◯ | ✕ | ◯ |
識別的手法 | ◯ | ◯ | ✕ |
藤村さんのアプローチ | ◯ | ◯ | ◯ |
藤村さんのテーマは、従来の手法では達成されていなかった精度と安定性の両立であり、生成的手法と識別的手法のいいとこ取りを目指すというものだ。藤村さんは、精度と安定性を両立させるために生成的手法と識別的手法を統合するアプローチを採用することにした。ただし、単純に統合する手法では上手くいかないという。
「2つの手法の統合としてよくあるのが、生成的手法が出した異常度と識別的手法が出した異常度を重み付き平均などで足し合わせて最終的なスコアにする方法です。ですが、それだと安定性の低い識別的手法が完全に失敗している場合、異常度を足し算してしまうことでかえって性能が悪くなってしまいます」
そこで藤村さんは、最終的な異常度の次元で組み合わせるのではなく、その前の段階の特徴量空間の時点で両者を上手く組み合わせる方法を考案した。識別的手法によって作られた特徴量空間上での位置関係を生成的手法によって算出された異常度に反映させることで、生成法の精度を改善するというものだ。
ABCIを利用して時間を短縮、メンバーとの交流も糧に
藤村さんの今回の覚醒プロジェクトにおけるゴールは、「研究成果を国際会議に投稿し、ジャーナル論文も執筆すること」だという。今のところ研究は順調に進んでおり、すでに国際会議の原稿を執筆し、公開している。
藤村さんは覚醒プロジェクトへの期待として、覚醒プロジェクトメンバーとの交流を大切にしたいと語った。
「プロジェクトマネージャー(PM)の先生も他の研究実施者の方も、優秀な研究者の方ばかり。そういった方々とコミュニケーションして情報を共有したり、議論したりできる意義は、とても大きいと感じています。これから報告会なども予定されていますが、そうしたイベントも大事にしていきたい。研究に関しても、PMの井本桂右先生や他の実施者からもたくさん意見をもらいながら進められるので、そういった点でも採択されて良かったなと思っています」
藤村さんは、高専時代や修士時代に機械学習による雑音除去の研究をしていた。雑音が一切入っていないクリーンな音声の収録が大変なので、雑音が入っている音声だけで、どうやって雑音除去モデルを構築するかという問題に取り組んできたという。
今回の異常音検知も、異常音無しで異常を識別するモデルを作らないといけないことから、似たような特徴がある。正解無しデータでどうやって学習するかということにずっと取り組んできた、というわけだ。藤村さんは、そうした専門性を活かして今後も研究を続けていきたいと考えている。今回の覚醒プロジェクトの採択は、それを後押しする大きなきっかけとなったようだ。
■覚醒プロジェクト 公式Webサイト
http://kakusei.aist.go.jp/
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