GPU黒歴史 高い前評判を裏切るおそまつな実力 Intel 740

文●大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/)

2012年02月06日 12時00分

「Intel 740」搭載カードのサンプル

 GPU黒歴史の今回は、インテルが今までに唯一発売したディスクリート向けのグラフィックチップである「Intel 740」の話をしたい。グラフィックコアそのものは、インテルもチップセット「Intel 810」以降延々と作り続けているが、このIntel 810に搭載された「IGT」(Intel Graphics Technology)の元となったのが、Intel 740である。

GEグループのフライトシミュレーター部門から
スピンアウトして誕生したReal3D

 Intel 740が登場する前の話になる。1993年、米国のGeneral Electric(GE)グループで軍用機関連ビジネスを行なっていた「GE Aerospace」という部門が、兵器/航空機メーカー大手のロッキード(現ロッキード・マーチン)に買収された。このGE Aerospaceの中でフライトシミュレーターなどを手がけていた部隊がスピンアウトして、「Real3D」という会社を設立する。

 Real3Dという会社名に聞き覚えのある方もいるかもしれない。同社の最初の仕事は、セガと組んで業務用ゲーム基板向けのグラフィックチップを作ることで、これが「Sega Model 2/Model 3」に採用される。厳密に言えば、「Sega Model 1」に採用された富士通の「MB86233」という3Dグラフィックチップの設計は、Real3Dとしてスピンアウトする前のGE Aerospaceの部隊との共同開発であった。だからSega Model 1/2/3に採用されたのが、Real3D最初の大きなビジネスということになる。

 これに続く第2弾のビジネスとして同社が目論んだのが、PC向けディスクリートグラフィック市場である。ただし、これは同社だけでは不可能である。そこでReal3Dとインテル、Chips&Technology(C&T)の3社が組んで、ディスクリートグラフィックを目指すことになった。

 C&Tという社名はもうすっかり忘れ去られた感があるが、実はPC向け製品ではかなりの老舗で、インテル互換チップセットやグラフィックチップなどを幅広く手がけていた。C&Tはi8086/286/386向けのワンチップ構成のチップセットや、i386互換のCPU/i387互換のFPU、あるいは「82C441」というVGA互換チップなどをリリースしていた企業だ。CPUそのものでは当然インテルの方が技術力が上だが、こうした周辺回路に関してはC&Tの方が技術力が上、というのが当時の一般的な評価であった。

 その技術力はともかくとして、重要なのはC&Tが2Dグラフィックとチップセットの技術を持っていたことである。Real3Dは3Dグラフィックに特化したベンダーで、あいにくとVGA互換の2Dに関してはあまり経験がない。インテルはそもそもグラフィックコアをこの当時持ち合わせていなかったから、外部からグラフィックコアを持っているベンダーの協力を仰ぐことが必要だった。

 インテルはインテルで、別の事情があった。この当時、インテルのチップセットのビジネスはようやく軌道に乗ってきていたが、グラフィックスカードの分野はまったく手付かずだった。しかも“Windows 9x+DirectX”の普及で、高額の3Dグラフィックスカードがかなり売れていることを理解していたから、こちらに色目を使うのも無理ないことである。

 また、当時インテルはグラフィック統合チップセットを持っておらず、特にバリューPCやノートPC向けにこれがハンデとなることは明らかだった。というのは、VIAやSiSといった当時の互換チップセットベンダーはいずれも、1997~1998年頃にグラフィック統合チップセットをリリースしていた。やや遅れたALiも、1999年には「Aladdin TNT2」をリリースして、こうした市場に高いシェアを持っていたからだ。ディスクリートグラフィックだけでなく、こうした統合チップセットの市場も、インテルは当然にらんでいたと思われる。

 インテルにはもうひとつ思惑があった。同社は1996年に鳴り物入りで「AGP 1.0」を発表すると同時に、これに対応した「Intel 440LX」「Intel 440BX」といったチップセットを発表したものの、グラフィックスカードベンダー側の反応は今ひとつであった。そこでAGPのてこ入れを行なうために、それなりの性能を持つAGP対応の、3Dグラフィックカードが必要だったという事情もある。

 C&T側の思惑はどうだったのか? というのは、正直もう藪の中である。82C441は世界最初のVGA互換チップでもあり、幅広く売れた。例えば、ATIが初期にリリースした「VIP VGA」というグラフィックチップの中身は、82C441そのものだったりする。ただし、所詮は「単なるVGA互換チップ」であった。同社はその後、「82C45x」というSuperVGAチップもリリースするが、DOSの時代はともかくWindows環境に対応した2Dアクセラレーション機能は、事実上皆無だった。

 C&Tはその後、「CT643xx "WinGine"」チップを開発するが、これはISAでもVL-BusでもPCIでもない、独自のローカルバスが必要とあって、PC市場ではまったく売れなかった。面白いのは、あのNeXTStepがWinGineに対応したことである。結果としてNeXTStep環境では最速のビデオチップだったので、黒歴史入りはしなくて済んだというあたりか。それに続いて、改めてPC向けに「CT655xx」シリーズを用意するが、これはノートPCあるいはバリュー向け低価格製品で、少なくともハイエンドグラフィックに関しては完全に乗り遅れていた。

 そういう状況だから、C&TがReal3Dと組んで3Dグラフィック市場に乗り出せれば、面白いことになると考えても無理はない。少なくとも、これによって2Dグラフィックに関する部分のライセンス料が入るだけでも、十分元が取れると思ったのかもしれない。

前評判は高かったIntel 740
ところが実態は……

 理由はともかく、そんな事情で3社により「Auburn」というコード名で開発されたグラフィックチップは、1998年1月に「Intel 740」として発表されることになる。実のところIntel 740は前評判が非常に高かった(これはインテルのマーケティング能力の賜物と言ってもいいだろう、関連記事)。製品が登場したら、既存のグラフィックチップベンダーのいくつかは廃業に追い込まれかねない、といった話まで出ていた。

 それが蓋を開けたらどうなったか? と言えば、まるで期待外れであった。非常にラフに言うと、Intel 740カードの性能はNVIDIAが1997年に発表した「RIVA 128」よりやや遅い程度でしかなく、同じく1998年に発表されたNVIDIAの「RIVA TNT」には、まるで及ばなかった。

 この理由は何か? 一言で言えば設計の古さだろう。3Dグラフィックは「HyperPipeline」なる構造をとると説明されたが、パイプラインの本数そのものは1本で、またグラフィック側のメモリーバス構成は64bit/100MHzでしかなかった。コアクロックそのものは未公表だが、ブロック図を見るとローカルメモリーコントローラーと3Dグラフィックパイプラインに同じクロックソースから供給されているように見えるので、おそらくこちらも100MHzと思われる。

「Intel 740 Graphics Accelerator Datasheet」より抜粋。これはHyperPipelineの一部である「BatchProcessing」の説明。CPUからの描画命令をバッチ単位で送り込み、これを740側でキューイングして保持しておけるので、CPUの開放も早いしGPUの処理も結果として無駄がなくなるという話

 これをRIVA 128と比較した場合、コアクロックは同等だがRIVA 128のメモリーバス幅は128bit(だからRIVA 128という名称)であり、ここで明らかに見劣りする。恐らく小さなトライアングルを多数描画なケースでは、メモリーよりも3Dパイプラインがボトルネックになるので、この場合はおおむね同等になる。だが、大きなトライアングルを描画するケースでは、今度はメモリーバスがボトルネックになりやすいので、ここで性能差がつくことになる。こと構成だけ考えれば、RIVA 128よりやや遅いという評価は非常に妥当である。

 Intel 740で誤算だったのは、AGPの効果がほとんどなかったことだろう。AGPは要するに、テクスチャーデータをメインメモリーからグラフィックスカードのローカルフレームバッファに送る際に、PCIバス経由よりも高速に転送する仕組みである。Intel 740はAGP 2X(最大533MB/秒)の転送に対応していた。そのため、例えばゲームが動作中にテクスチャーをメモリーから読み込むシーンがあれば、明確に高速化が可能だった。

 ところが、実際にゲーム中でそんなことをしたら、AGPだろうがPCIだろうが遅くてプレイに激しく支障が出る。そのためほとんどの3Dゲームは、描画を始める前に必要なテクスチャーをグラフィックスカード側のローカルフレームバッファにロードしておき、3D描画中はメインメモリーにアクセスしたりしない。こうした使われ方だとAGPに対応しようがしまいが、ほとんど性能差は出ないことになる。

ベンチマークでのトリックがばれて
さらに評価を落とす

 もっとも、これがインテル最初の製品ということを考えれば、このあたりは生温かい目で見てあげるべきだったのかもしれないが、そうならなかったのはやはり、マーケティングがちょっとやりすぎだったためだ。インテルは製品発売前に、当時利用されていたZiff-Davis社のベンチマークプログラム「3D WinBench98」のスコアを示してその性能を誇っていた。その数字だけ見れば、RIVA 128はおろか次に登場したRIVA TNTとも互角に近いはずだったのだが、実はこれに嘘が混じっていた。

 3D WinBench98は8種類のベンチマークから構成されるが、このうち結果として利用されるのは「3D WinMark」というテストであり、これは25種類のシーンを使い、描画の平均フレームレートから算出される。ただしこの3D WinMarkを実施する前に「3D Quality」というテストを実施し、25種類の描画が「正しく行なえるか」を確認する必要がある。この頃はまだグラフィックスカードのドライバーの中には、機能を正しく実装できていないとか、そもそもサポートしていないものもあった。そうしたケースではDirect 3D HAL(グラフィックスカードのハードウェア)ではなく、Direct 3D HEL(ソフトウェアエミュレーション)でカバーしていた。ただしソフトウェアエミュレーションでは、当然性能は落ちる。

 そこでIntel 740のデバイスドライバーが何をやったかというと、正しく表示できないような項目であっても、「全部動作します」とレポートしたわけだ。当時、ほかのベンダーのグラフィックスカードでは、できないものは「できません」とレポートされてソフトウェアエミュレーションで性能が落ちていたので、これは明らかに問題がある。

これはIntel 740で見た「3D WinBench 98」のDirect 3D HALの設定画面。テクスチャー関連以外全部できます(ON)とレポートしているが、まっかな嘘

 特にこれが顕著だったのは全画面のアンチエイリアス。当時Intel 740以外のグラフィックスカードは、すべてこれを「OFF」(サポートしない)とレポートしていたのに、Intel 740はこれを「ON」(サポートする)とレポートしていたので、これがIntel 740のスコアを思いっきり押し上げることになった。

これはQuality Testの様子。左が合格、右が不合格のサンプルで、中央がIntel 740のテスト結果。アンチエイリアスがかかってないわけではないが、合格のQualityには達していないので、本来はここでNoと答えないといけないのだが……

 こうしたトリックがバレた後は、ネガティブ方向に働くのは今もこの当時も同じである。結果としてIntel 740は、必要以上にけなされた嫌いは否定できないが、それも致し方ないところではある。

 それでも、次があればまだ挽回できたのかもしれないが、インテルはここでも遅れをとった。この頃のグラフィックチップ市場は、NVIDIA/ATI/Matrox/3dfxといったベンダーがしのぎを削っており、特にNVIDIAはその当時、半年~1年ごとに新製品を投入していた。RIVA TNTは1998年3月、RIVA TNT2は1999年3月だったが、1999年10月には「GeForce 256」、2000年2月には「GeForce 256 DDR」、さらに2000年4月には「GeForce 2 GTS」と、このあたりから急速にペースが上がってゆく。

 対するインテルはというと第2世代製品であるコード名「Portola」を「Intel 752」として1999年4月に発表(関連記事)。さらにその後続として、「Intel 754」という製品も開発中という話だったものの、結局これらを搭載したグラフィックスカードはついに出荷されることがなかった。

出荷すると発表はされたものの、搭載製品が登場しなかった「Intel 752」

 Intel 740はDirectX 5対応の製品だったが、競合製品はいずれもDirectX 6やDirectX 7に対応するなど、市場の急速な進化に追いついてゆくのが難しいと判断したためだろう。結局1999年8月には、Intel 740のオーダー受注を停止する。Real3Dは1999年10月に、自社の持つ資産をインテルに売却して廃業、ほとんどの従業員はATIに移った。C&Tはこれに先立つ1999年7月に、インテルに買収されている。

 そうは言っても、Intel 740が消えて何も残らなかったわけではない。Intel 752コアはそのまま、Intel 810チップセットに「IGT」として内蔵され、現在まで改良を繰り返しながら生き延びているとも言える。ある意味では息の長いグラフィックチップとも言えるのだが、お世辞にも高い性能とは言えないあたりで、決して評価が高くはないがちょっと残念である。

 性能だけ見れば、あの当時としてはぎりぎり及第点程度であり、NVIDIAなどと同等のペースで新製品を投入できれば、あるいは評価は変わったのかもしれない。ただそうした後継にも恵まれず、かつインテルお得意のキャンペーンが見事に裏目に出たという2点が、Intel 740を黒歴史入りさせることになったと言えよう。

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