Linux Conference '99で、XFree86の過去から将来までを総括した特別講演「XFree86 Past - Present - Future」レポート
1999年12月23日 08時01分更新
JLA会長の生越昌己氏から紹介されたDirk Hohndel氏は、手元のラップトップコンピュータを指して、「ここに、プレゼンテーション用の画面が写っているのですが、Xがあるおかげでディスプレイにグラフィックを表示することができます。そして、XFree86は標準的なXの実装で、もちろんLinuxでも走らせることができます。今日はXFree86の過去と現在と将来についてお話ししたいと思います」と語り始めた。
XFree86以前
Hohndel氏は、まずX Window System以前について触れ、
- 1980年代初期にStanford大学で研究用に開発された、「V」という分散型OS上で走る「VGTS」と呼ばれるWindow Systemが最初にあった
- そののち「W」という、分散型でネットワーク上で使うことができるWindow Systemが開発された
- Wによって初めてネットワーク上でグラフィックが転送できるようになった
- Wの問題点として、Wはサーバ同士が同期していなければならなかったために、ネットワークの効率が悪かった
- これがまた、Xの開発動機でもあった
またXについて、
- Xという名前はアルファベットでWの次の文字であることからつけられた
- 1984年にXの最初のバージョンが開発された
- 今日のWindow System(たとえばWindows 98)でも、Network上で使うことができるWindow Systemというのはまだ難しく、Xの革新性は保たれている
- 1986年のX11のプロトコルの開発以来、13年間同じプロトコルが使用されている事実は、その設計の正しさを証明している
ことなどが語られた。
X386とXFree86
次にXFree86がリリースされるまでの経緯として、
- 1992年にX11R5の実装の一部としてX386がリリースされたが、安定性にもパフォーマンスにも問題があった
- X386は使い物にならなかったので一部の人がパッチを作り始め、4人の人間がそれを統合してX386 1.2Eとしてリリースした
- X386 1.2EのEはEnhancementのEである
- 1992年9月、X386 1.2Eのための商用ソフトウェアを作る際に、X11R5に含まれるX386と紛らわしいので名前を変えてくれとの要望があったため、XFree86と名前を変更した
- XFree86のFreeはX386の3(three)と発音が似ていて、Free SoftwareのFreeでもあるのでこのように名付けられた
が挙げられた。
Version 2からVersion 3
1993年第4四半期にリリースされたVersion 2では
- PC上でパフォーマンスを保てる最初のリリースだった
- Generic VGA Serverの実装によってXの汎用性が高まった
- ソースツリーにOSを抽象化するレイヤが加えられたので、メンテナンスしやすくなった
ことなどが重要だったという。
また、1994年4月リリースのVersion 3では
- X11R6の実装
- XFree86のために開発したソースコードを、X Consortiumが管理するX11R6のソースコードへ統合するために「The XFree86 Project, Inc」を設立
- 個人的に仕事を変わったりしたのでXFree86の作業が遅れ、そのために3.0ではX11R6の実装は実際には機能していなかった。機能するようになったのは1994年9月リリースの3.1からである
- 「XF86Config」の初めての実装
- 16bitと32bitの色深度(画面で表示できる色の多さをbit数で表わしたもの)のサポート
- 1996年10月リリースの3.2で「XF86Config」を加えたことによりXFree86の設定が容易になった
- SVGA Serverの実装によりビデオチップの性能を損なわずに汎用性を高めることができるようになった
- XAA(XFree86 Acceleration Architecture)の開発により新しいビデオチップに対応しやすくなった
などのことが行なわれたという。
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