らき☆すた放送からまもなく10年――聖地がこれからも聖地であるために

文●まつもとあつし 編集●村山剛史/ASCII.jp

2017年01月14日 17時00分

商工会鷲宮支所のホワイトボードには『らき☆すた』原作者や声優陣直筆のイラストが!

後編はこちら

今も『らき☆すた』で盛り上がる鷲宮

 『らき☆すた』が2007年春アニメとして放送されてからまもなく10年が経とうとしている。作中で姉妹の実家と目された埼玉県久喜市の鷲宮神社には、放送中から多くの“聖地巡礼客”が殺到。商工会主導による矢継ぎ早のイベント開催も功を奏し、一躍“アニメでまちおこし”の成功例として鷲宮の名は全国に広まった。

 今回は前後編で、ブレイク当時から一貫してらき☆すた関連イベントの企画実行を担っている久喜市商工会の坂田圧巳氏、久喜市商工会鷲宮支所の松本真治氏にお話を伺う。

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―― アニメコンテンツでの地方振興に注目が集まっている昨今、“『らき☆すた』の放送から約10年経つにもかかわらず、なぜ鷲宮は盛り上がりを持続できているのか?”に高い関心が寄せられています。そのあたりを踏まえて、色々とお話を伺えればと思います。まず、今現在『らき☆すた』関連の取り組みとしてどういったものが残っているのでしょうか?

久喜市商工会の坂田圧巳氏

久喜市商工会鷲宮支所の松本真治氏

松本 7月に行なわれる柊姉妹の誕生日イベントはずっと続けています。そして、9月の第一日曜日には地域の土師祭(はじさい)というお祭りがあります。そこにはらき☆すたの御神輿が出ます。昨年度と今年度は、らき☆すたの声優さんもいらっしゃいました。

 グッズ展開としては、通年で発売している「ツンダレソース」シリーズ、らき☆すたの醤油ラーメン、加えて初詣の時期に毎年新しいグッズを発売しています。

―― ひところからみると大分落ち着いてはきましたか?

松本 そうですね……。らき☆すた神輿に関しても担ぎ手は少し減ってしまっています。今年に関しては(募集に)苦労しているという状況です。

坂田 御神輿は最初、『オタクの人だけでは(通常の大きさの御神輿は)担げないだろう』という配慮がありまして、もう少し小さかったのですが、もの凄く盛り上がったのを機に2年目から大きくなったという経緯があります。

 最初の頃は、地元の人たちとしては『格好良く担がせたい』という気持ちがある一方、オタクの人たちは一歩引いて参加しているところもあったのですが、ここ何年かは、らき☆すた神輿も盛り上がるものですから、本来の御神輿を担いでいた人たちまでらき☆すたのほうにやってきてしまい(笑)

―― 段々とバージョンアップされてきたわけですね。地元のガチな人たちと、外から来てちょっとらき☆すた神輿を担いでみたいという人たちとのギャップみたいなものはどうしてもありますよね。それをどう埋めるのか? あるいはそこはギャップとして許容するのか、というのは今日のテーマとも通じる話かなと思ったりもします。

賑わいの中心となっている鷲宮神社と参道入口の大酉茶屋(写真は2008年)

「経済効果は測れない」

―― 実際どうでしょう? 盛り上がりという軸とは別に、具体的な「経済効果」のお話も伺いたいのですが、実際の数字や、その傾向などお話いただくことは可能でしょうか?

坂田 正直わからないんですよね……。

松本 ウチが測ったわけではないのですが(外部の調査機関が)2億とか3億と発表していただいている数字を、そのまま言っています(笑) TBSの「ひるおび!」で『君の名は。』が取り上げられていたのですが、(いわゆる聖地巡礼の)歴史紹介でセーラームーンの氷川神社、その次にらき☆すたの鷲宮神社が紹介され、経済効果が22億円だと表示されたのを見て『あ、そうなんだ』と。

―― 徳島のマチ★アソビが象徴的ですが、遠方からの巡礼にあたって宿泊のニーズが出てくるので、そのあたりは結構大きくなりませんか? 鷲宮の場合はいかがでしょう?

坂田 遠方からもいらっしゃるので、泊まってはおられると思います。ただ、鷲宮町には宿泊施設がないんです。担ぎ手たちは駅の集会場に泊まっていますので、宿泊料は発生していません。

―― もったいない気もします。集会場だといわばコストになるので、民宿でもあれば……。

松本 しかし民宿も鷲宮にはないのです。ラブホテルしかありません。

―― そうですか……御神輿を担いだ男同士がラブホテルに……。

坂田 BLになっちゃいますね(笑)

―― (笑)昔から神社があり、参道が伸びているところって宿があったりするものですが、現在まったくないというのは意外な感じがします。

坂田 昔はあったのかもしれませんね。古くは神社の傍らに遊郭があったそうです。その組み合わせが受けて、浅草が同じような形にして栄えたと聞いたことがありますね。

―― 鷲神社あたりでしょうか。

坂田 鷲神社の酉の市も鷲宮神社がオリジナルだったのが、結局あちらのほうが賑わってしまったと言われています。

松本 遠方から来られる方は、近隣に泊まると聞きました。

―― 隣町に経済効果が移ってしまっている?

坂田 そうかもしれませんね。

らき☆すたから拡がるオタク的おもてなし

―― 年表を見ると、最初の頃はらき☆すた関係のイベントとかグッズがずらりと並んでいますが、昨今はだいぶ濃度が薄くなり、それ以外にシフトしてきた、という感じでしょうか?

松本 そうですね、らき☆すた以外の部分では色々と遊ばせていただいています。最近になって「オタ部活」ということで、草野球チームを作ってまして、それも3年目になりますかね。これはらき☆すたファンもいますけれど、基本は野球に興味がある人たちでの活動です。月1回から2回、だいたい20人弱で栃木・群馬・東京・埼玉・山梨から集まっています。

 活動としては2010年から毎週日曜日「ラジオ鷲宮」と銘打ってミニFMの番組を続けていたり、オタクの運動会「萌☆輪ピック」というのをやったりとか。過去にはオタク向けの婚活としてオタ婚活もやりました。映画撮影にもチャレンジしましたね。それ以外にも、萌え川柳大会とか。結構自虐的なネタが多くて、ホント面白かったですよ。らき☆すた以外のことは思いついたらなんでも取りかかろうという意識でやってます。

ラジオ鷲宮はFM89.2MHz

―― 流れとしては、最初はらき☆すたのファンたちが来てくれたと。そして現在は作品にこだわらず、ファンとのコミュニケーションを掘り下げていこうという感じでしょうか?

松本 ファンのみんなに楽しんでもらいたいというのが純粋に思うところで。彼らが楽しめるものって何かなって考えたときに、たとえば運動会だったら、運動しそうにないオタクの人たちにあえて場を提供することで意外に喜んでもらえたりとか。そういう『なんか鷲宮に来ると楽しいな』と感じていただけるなら、なんでも良いかな、と。

―― オタクの人にとっての「非日常」なわけですよね。

松本 そうですね。いま特に野球をやっていて『楽しみにしてくださっているな』という実感があります。

―― 月2回ですよね?

松本 ヘタすると3回くらいやってますね。基本的には土日に20人弱で集まって、練習している感じです。試合はインターネット掲示板に載せてます(笑) ウチこういうチームですと言って、申し込んでいくんです。ホントに普通の草野球チームなんです。

坂田 KADOKAWAさんと対戦したこともあるよね。

松本 ありましたね(笑)

松本 急遽、『宮河家の空腹』の声優さんにお越しいただいて場内アナウンスしてもらったり。

―― 豪華ですね!

松本 一見、らき☆すたと関係ないようなことを我々やっても、版元の方々が協力してくださいます。婚活イベントの際は担当編集さんがわざわざ吹き出しを空白にした4コマ漫画を持って来てくださり、「男女4人グループでセリフを考えよう」という内容の特別講師をやってくれました。

「鷲宮におけるまちおこしの経緯」がまとめられた年表(商工会作成)。催し物の方向性が「らき☆すた」ありきから、聖地巡礼を好むおたく層全般を取り込むものに変化していくさまが読み取れる

アニメビジネスといかに呼吸を合わせるか?

―― とはいえ声優さんも本当に忙しい人たちですし、色んな大人の事情があると思います。たとえば、製作委員会としては作品に再び日の目があたって、BD-BOX化する際の特典映像にしたいとか、そういう相乗り的なものがあったりするのかな、と思ったりするのですけれど。そのあたり、商工会とらき☆すた製作委員会との調整はあったりするのですか?

坂田 版権契約って細かいことが書いていませんから、良い悪いの判断は結局、担当者との人間関係になると思います。ここなら大丈夫じゃないかなという信頼関係。多分、そこを構築できないと書類上の数字で判断する話になってしまうのでは。

松本 結構色々ありましたからね、もう止めちゃおうかということもありましたから。

坂田 あったね(笑) やはり現地と版元の温度差や、プロモーションしたいタイミングって違うじゃないですか。版元の担当者はわかってくださっても、今度は地元の人たちがわかってくれなかったり。

―― 権利元からは地元が暴走しているように見えたり。

松本 そうなんですよ。

坂田 精神的に(我々は)間に挟まれましたね。

―― 一般的には、地元が盛り上がるところまでが大変だと言われますよね。アニメを観たこともないし、観てもわからない人たちをどう盛り上げるかという点で。でも、よくよくお話を伺っていくと、逆に盛り上がってしまってからが大変だったということですね。

坂田 盛り上がるときは、なんだかわからない勢いで行ってしまいますから。

松本 作品の力が圧倒的だったので、あれよあれよという間にファンが集まりましたから。いま『君の名は。』がメディアに露出していますが、あれを見ると昔を思い出します。神社はもちろん、町中の何気ないところにも人がいっぱいいるという。『あーこんな感じだったなあ』と懐かしく(笑)

商工会の鷲宮支所には、らき☆すたグッズが所狭しと飾られていた

きっかけは1つの取材

―― そもそも最初のきっかけはどのようなものだったのですか?

坂田 「らき☆すた人気で鷲宮にオタクが集まって、治安が悪くなる」みたいな内容の個人ブログが話題となって、産経新聞さんが取材にいらしたんです。その時点では、私は舞台になっていることも知りませんでした。記者さんから説明を受けたくらい(笑)

 そしてその後、記事になったのですが、産経の記者さんは上手く書かれていて、「大酉茶屋を営む坂田さんは『賑わいが出るのは良いこと』」なんて語っている一方で、「地元商工会では『アニメを活かした施策を検討していきたい』という」って、わたしのコメントが1人二役で出てまして(笑)

一同 (笑)

坂田 それが引き金になって、今で言うまとめサイトを見た人たちが鷲宮に来るようになっちゃって、ワサワサし始めた。それが2007年の7月です。

松本 ヤフーニュースのトップも出ましたからね。

―― でも実際治安の問題ってなかったですよね。

坂田 全然ないんです。

―― 治安治安って言っていたのは、いわゆるオタクは危ない人たちだ、みたいな。

坂田 そうですね、当時はまだそういうイメージが強かったのだと思います。

スピード感でやる気を示したかった

坂田 訪れる人も増えて盛り上がっていたので、じゃあ1回版元に電話してみようかと。半分冗談ですね。

 そこで9月に電話しました。すると、企画書を出してくださいと淡々と言われまして。そこで「企画書を出すのか!」と驚きました。当時我々の仕事に企画書という概念はなかったので。そこで、「企画書を出す=OK」だと勝手に2人で勘違いしまして、計20案くらい、いま考えると恥ずかしい内容も含まれていますが、1週間くらいで送りました。そうしたら一度来ませんか? ということになったのが10月くらいですね。

 その結果、イベントができるという話になり、じゃあ12月にということになって、そこから慌ててなんだか訳がわからない間に開催してしまった、という流れです。

鷲宮商工会が版元に送った最初の企画書。このときの提案内容は、その後数年間でほとんど実現したという

提案書のチョココルネも地元の協力を得て実現、販売された(写真は2008年)

坂田 企画書もいま見るととんでもない内容ですけれど。それこそ中学生が考えたみたいな(笑)

―― それが逆に新鮮だったのかもしれませんね(笑)

坂田 しかし振り返ると、半分くらいは実現しているんです。

松本 「らき☆すたの石碑を……」みたいな案も実現しています。

―― 盛り上げたいという気持ちがあって、結果その多くが実現したというのは素晴らしいことですね。

松本 とにかく『企画は早く出さないと』という意識はありましたね。『(反応が遅いと)ソッポを向かれちゃうかも』と。

―― 版元から「1週間くらいで出して欲しい」と言われたわけではないんですよね?

坂田 はい。勝手に2人で「早くやったほうがいい」と。

松本 12月2日の公式参拝も、じつは別のイベントとバッティングしていたのですが、とにかく向こうから出てきたイベントを実現するために、何が何でもこの日に合わせろということで、商工会の職員を二手に分けて。

 会員向けに福利厚生の日帰りバスツアーがありまして、だいたい職員はそれに同乗して行くのですが、当時の商工会は職員5~6人でしたので、パートさんに来てもらったり、職務外の人が手伝ってくれたり。とにかくこの日だけは逃さず、うちの都合でキャンセルせずに……という感じでしたね。

―― 別の行事があるからダメですと言ったら、ひょっとするとそれきりになるかもしれない、と。正味、反対意見はなかったのでしょうか? なんでこんなことやるの? みたいな。

松本 内部からは意外となかったですね。おカネを少しつぎ込むとか、さすがにノリでやれない部分に関しては理事会で多数決をとりました。みんなわからないながら、手を挙げてくれるという不思議な感じでした。役員メンバーも把握しながら進めてきたので、それを止めてしまえとか、けしからんみたいな声は意外となかったですね。

―― そんな流れを止めかねないのが、「それってどんな効果があるの?」という一言だったりしますが、(利益よりも)盛り上がれば良いという雰囲気だったのでしょうか?

坂田 12月のイベントがスタートだったと思います。そのときの賑わいは通りの人もよく見ているわけです。商店街で販売したストラップの売れ行きも。ですから(ファンが集まる)威力をいきなり見せつけてしまった感じです。

―― 単純に、そのシンプルに人が集まり、物が売れる、ということは商売にプラスだろうということですか。

坂田 はい。そして最初はおカネも掛かっていないのです。いま思えば声優さんのギャラもお支払いしていませんでしたし。たぶんプロモーションの一環だったとは思うのですが。

ノリからビジネスへ移行できた理由

当初は版権契約などもなく、販促部門とのやり取りが主だったという

―― ここから本格的にキャラクターの利用が発生するわけですが、当時は利用料を支払っているわけではなかった?

坂田 最初は契約書もありませんでした。

松本 最初はなんでもOKで、しまいには絵を弄りましたからね。いまでは考えられないことですけれど。絶対に怒られる。

―― (笑)

松本 そのときはキャラクターの胴体をタヌキにしてしまったんですね。

―― (笑)

松本 ところが、OK出まして。

坂田 出たんですよ(笑) 最後は『もういいや』って感じだったかもしれませんが。

松本 当時はまだ版権契約を結んでいないので、管理部門への申請自体がありませんでした。だから通ったのでしょうね。

坂田 版権管理部門と販促部門ってなんとなく雰囲気違いますよね。

―― ノリもね。

松本 どんどん拡げるほうと、締めて守るほうと。

―― 契約書を結び始めるのは……?

松本 この後くらいですね。

当時は“商売として成り立つ規模”になるとは認識されていなかったのでは、とのこと

坂田 たぶん、版権のやり取りをしたところで商売として成立するとは思っていなかったのだと思います。一過性だと。

松本 だからあくまでも販促の一部だったと思います、最初は。

―― では、最初の頃は販促担当の人が良いよ、って感じでそのまま。

松本 ほとんど販促の人と。

―― あるときから版権の方が担当になって契約書がやってきて……。

松本 そうですね(笑)

―― 結構売ってるし、買われているという事実を製作委員会も現地で目の当たりにして、版権や監修を加える通常のビジネスの流れに変わっていった?

松本 おそらく。一回のイベントで(ムーブメントが)終わらなかったので。

―― しかしそのタイミングは結構ピンチと言いますか、それがきっかけで動きにくくなったり、面白さが削がれてしまいかねないと思うのですが、そのあたりはどのように解決されたのですか? 地元の人からの「なんで自由にできないの?」という反応もあるでしょうし……。

松本 まず我々自身、『あ、制約が出たな』という感覚がありました。もう本当に、うまく回っていかないと言いますか。いままで甘やかされていた時代から急にちゃんとしたルートに乗ってしまったので。

―― 急に仕事が増えますよね。たとえば各商店で出したい商品を取りまとめて、監修に出して、戻ってきて、修正事項を伝えてまた提出……とか。それはすでに版権管理会社みたいな作業ですね。途端に仕事が増えて、負荷がかかったタイミングだと思うのですが、それをうまく乗り越えられたのはなぜでしょう?

松本 事前に相談乗っていただいたり、そこは編集や販促の方たちにフォローいただいています。

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