海中でPCを冷却するだと? なにを言っている?

文●林 佑樹(@necamax) 編集●北村/ASCII.jp

2017年02月24日 12時00分

ASCII.jpでは、油没冷却PCを過去に何度か検証している。直近では、Core m版スティックPCの油没を行ない、Core mまでならば問題なく冷却できるローコストなフォーマットを生み出す成果を得た。

では、次はというと、デスクトップPCをどうにかしたい。とはいえ、過去の実験ではAPUの「A10-6800K」の熱に完全敗北しており、方法が思い浮かばない。

そこで、なにかヒントを得られるかもしれないと思い、海没コンピューターの実験を行なっている国立情報学研究所 鯉渕研究室の門を叩いてみることにした。

えっ、海没? そう、その名の通り「海に没して冷却するPC」である。

研究室に入ると水没PCがあった。研究を進めているのは、国立情報学研究所アーキテクチャ科学研究系准教授・鯉渕道紘氏(写真左)、前国立情報学研究所アーキテクチャ科学研究系特任准教授(現情報通信研究機構ユニバーサルコミュニケーション研究所データ駆動知能システム研究センター主任研究員博士)・藤原一毅氏(写真右)

直接自然水冷PCのラベル。パワー溢れるワードである

ASCIIが海没コンピューターを調べているとき
国立情報学研究所はASCIIの油没PCをチェックしていた

PCの冷却は、ファンや自然流入を利用した空冷が主流だ。これは自宅のPCを見てもわかるだろう(ASCII.jp読者の一部は水冷や液体窒素冷却かもしれないが)。ただ空冷では大規模なPCの発熱への対応に限界があり、また施設の規模も大きくなってしまう。

これはサーバーやスーパーコンピューターでもそうだし、小型PCにパワフルな構成をインストールしようとすると、冷却問題にぶつかるため、自作PCファンであればおなじみのジレンマともいえる。

自作PCでおなじみの空冷

大規模サーバーも空冷である

それに対して、スーパーコンピューターではフロリナートやNOVAC、オイルなどを使用した液浸冷却が進んでいる。空冷よりも冷却効率に優れ、小規模で済むメリットが大きい。デメリットとしては液体のコストがあり、おいそれと導入は難しく、まだ普及しているとはいえない状況だ。

フッ素系不活性液体のフロリナートを循環させて温度を下げるスーパーコンピューター。フロリナート自体の冷却は室外機を使用している

では、高価な液体を使用しないで済む手段があればいいということで、マイクロソフトは海底データサーバー「Project Natick」の実験を開始、国内では国立情報学研究所も海没コンピューターの技術開発を進めている。自然にある膨大な冷却源を使用するというわけだ。

ふわふわっと進めているASCIIの油没PCもカテゴリーとしては液浸冷却であり、なにげに最先端に属する(と、書いていて気がついた)。

海底データサーバー「Project Natick」

ASCIIで実証したCore m版スティックPCの油没冷却

ただ、マイクロソフトの「Project Natick」は、金属製の巨大な容器内に機器を設置して沈める。それに対して、国立情報学研究所は基板にコーディングを施すことで、直接的に冷却を行なう。つまり、これまでの油没と同じ路線というわけだ。

国立情報学研究所の直接自然水冷PC。水道水による長期間浸水耐久試験中のもの

「類似する実験のひとつとして、アスキーのA10-6800K油没冷却記事を見ました」と鯉渕准教授

「改造バカ一代こと高橋敏也さんが液浸PCを以前やっていましたが、我々のやっていることも同じかもしれません」と藤原准教授は語る

1年で動かなくなった
油没デスクトップPC

ASCII.jpで以前油没させた「A10-6800K」一式は、6ヵ月目の時点での起動を確認していたが、2017年2月の起動実験では、ファンは回転するものの、ブート画面が出ない結果になった。マザーボード上の液体電解コンデンサ周りに油が浸透して起動しなくなった可能性がありそうだ。

なお、油没デスクトップPCよりも前に制作した油没スティックPCは、油を交換せず1年経過したが元気に動いている。これは、スティックPCには液体電解コンデンサが搭載されていないからだと考えられる。

発熱に翻弄されまくった記憶のあるA10-6800K油没。油の冷却法を検討したりして、高負荷時でも運用できる方法を模索中だ

ともあれ、マザーボードに対してとくに保護をかけない場合、1年ほどで起動しなくなるというデータを得た。この点については後日の記事で触れる。

PCを海や湖に沈めてしまえば
冷却コストはほぼゼロになる

藤原准教授によると、後付けでスマホに防水機能を持たせるコーディングのニュースを見て「マザーボードでもいけるんじゃないか?」と思ったのが液浸冷却のきっかけだという。

また鯉渕准教授は「楽しそうだったから」と自作PCファン特有のノリも見せた。藤原准教授は、川や海、もしくは水で冷却できれば、安価で扱いやすく、かつ効率的なシステムを構築できるのではないかと考えたそうだ。

実験開始は2013年から。藤原准教授は、気化させた樹脂が基板の部品内部まで入り込んで均一な皮膜を形成する化学的気相成長法に注目。パリレン樹脂でマザーボードを防水加工する方法に至った。パリレン樹脂の厚さが薄いと防水機能が弱まるので、製造工程で最大の厚さである120μmにしているという。

2016年の実験では海で40日間、水道水で約3ヵ月間(53日間)の連続動作実験をクリアしている。

パリレン樹脂でコーティングされたASRock製マザーボード「Q1900DC-ITX」

パリレン樹脂での蒸着をする前に、マザーボードのUSBピンなどを折ったり、半田吸引器で必要のないインターフェースを外したり、ショートしそうな箇所を極力排除している

鯉渕「海没させたバージョンは、PCの熱で貝が群がり養殖みたいになってしまいました。養殖場とセットでの運用がいいかもしれないですね。それに、海水はダメージがあるのでやっぱりダメかもしれない。まだこのあたりは不明な部分が多いです」

ギリギリの浮力で浮かぶ箱を作って、潮の満ち干きで回転しないようにふたつのいかりで固定。55日後に引き上げたときには、箱に貝がビッシリとついていたそうだ。

2016年5月11日、海に沈める直前の機材画像提供:国立情報学研究所
5月11日の設置時の様子。いかりで固定し、波にさらわれないよう工夫がされている画像提供:国立情報学研究所
6月2日に引き上げた際の様子。この状態で動作しているのだから驚きだ画像提供:国立情報学研究所
7月27日に引き上げた直後の様子は、簡易養殖場状態。鯉渕准教授も藤原准教授もこれは予想しておらず、爆笑したそうだ。引き上げ時は貝の重みで重量が5~6kg増加してしまい、6人がかりで引き上げたという画像提供:国立情報学研究所

成功の裏には数々の失敗も

パリレン樹脂の厚さはどれがいいのか、どれくらい耐えるのか、それ以前にどのマザーボードがいいか、などは最近の研究結果だという。もちろん、そこに行き着くまでには数々の困難に直面してきた。

藤原「開始当初は試行錯誤ばかりでした。エポキシ樹脂でコーティングしてみたり、容器に密封しようとしたり、いろいろやりました。ホント失敗の連続でしたよ」

そう言いながら、数々の失敗作を披露してくれた。

エポキシ樹脂にどぶ漬けしてみたテストモデル。粘度が高いと浸透させるのが難しく、粘度が低いと硬化する前に垂れてしまうので、塗布するのに苦労したそうだ。どぶ漬けなので、塗布というより封入に近い樹脂の塊になっている

だが、水没以前に陸上で起動しなかったという。ボード上に貼り付けた温度計の配線が樹脂封入時に基板上の配線に触れた可能性があるが、原因究明には至っていないそうだ

Project Natickのように、密閉容器内にPCを入れて冷却しようとしてみた試作品。フランス人のFabien Chaix特任研究員が制作したもの

蓋周辺を防水加工+20ヵ所のネジ止めでバッチリな自作ケース(フランス人の特任研究員談)だったが、微妙に歪みがあり、実験開始からわずか3日後に浸水し、テスト終了となった

防水設計の産業向けPCケースでの実験。コネクター類も防水処置が施されている。先の手作り試作機に比べると、安心感がとてもある。実際に海没実験もクリアしているが、冷却性能は思ったほどではなかったそうだ

ASCII読者向けにお手軽なやり方の提案として、「密封したPCケース内をフロリナートや油で満たせば、カンタンに液浸環境ができますよ」と藤原准教授からアドバイスを受けた。

空冷のように安価で済ませつつ
液浸冷却のメリットを出したい

失敗作や研究室にあるPCパーツを見ると、やたらとASRockのマザーボードが目立っていた。というよりASRockマザーしか研究室にはないことに気づいた。

鯉渕「当時、ASRockのQ1900DC-ITXしか条件に合うものがなかったんです。秋葉原にあった在庫の大半を買い占めたかもしれません。」

マザーボードにも条件があり、CPUがオンボードであり、かつACアダプターで動作するものとして、Celeron J1900を搭載するASRock「Q1900DC-ITX」が選ばれている。

CPUがオンボードであれば、ソケット周りのコーティングが簡単である。電源もACアダプターなら取り回しがしやすく電源回路の分離も容易だ。

「Q1900DC-ITX」ならば突起物が少ないうえに低発熱。しかも液浸の際に不要なパーツ(サウンドやLANの端子)をハンダ吸い取り器で取り外すことで、水に触れてショートする危険性を極力抑えられるのだという。

長期水没試験中のASRock「Q1900DC-ITX」。現時点の目標稼働時間は2年で、これはその前段実験だ。長期間になると数ヵ月では出てこない問題の発生が予想される。2年になると経年劣化もあるし、熱による膨張・収縮もありと、よりヘヴィーな状況になってしまう

デモで負荷をかけてもらったところ。普段は一定間隔でPingを打って生存確認をしているとのこと

初めて見る水道水による液浸冷却なのだが、油没冷却の経験があるので見慣れた光景に感じてしまう

記事で制作したスティックPCのエンジンオイル浸けを持参したところ、鯉渕准教授が興味を示し、しばらく質疑応答になるシーンがあった(編注:取材というよりは、情報交換会でした)

次はオーバークロック実験

3月からは、「Core-i7 6700K」をオーバークロックしたものを沈めて、実証データを得るという。極端に安価で高クロック動作が安定するのであれば、それだけで大きな一歩になる。また、他の液浸冷却との違いを明瞭にできるため、よりわかりやすいデータの提示にもつながるだろう。

将来的には、ハイブリッド養殖棚サーバーがあるかもしれないわけだ

鯉渕・藤原「ジップロックは意外と二次冷却用のケースにいいかもしれません。うちではまだ試してませんので、アスキーさんでぜひ! これからもいっしょに液浸冷却を進めていきましょう!!」

そんなわけでASCIIはASCIIで自作PC感覚な液浸冷却を考えつつ、次期実験の取材に行きたいと思う。というか、我らのマザーボードも沈めたい。海に。

【関連サイト】

【取材協力】

■関連記事