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印南敦史の「ベストセラーを読む」 第2回

『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(坂本龍一 著、新潮社)を読む

死を目前にした坂本龍一さん 想いと強さがあらわれたことば

2023年08月31日 07時00分更新

文● 印南敦史 編集●ASCII

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“生きる意欲”のようなものをはっきり感じる

 もちろん、ときには病気のおかげで気が滅入ってしまったことも隠してはいない。だが、そうした不安感でさえ坂本龍一という人を構成する要素のひとつだと考えたほうがいいのかもしれない。なぜなら彼は、不安や恐怖の所在を認めたうえで、“これから、こなしていくべきひとつひとつの仕事”とストイックに向き合い、動いているからだ。

 いま、目の前にあるものをどう見るか、どう解釈するか、そこから誰に向け、どんな音楽を生み出すかーーそうした思いや姿勢、行動がはっきりと、そして前向きな形で表現されている。

 だからこそ、読んでいると“生きる意欲”のようなものをはっきりと感じることができるのだ。

 しかも視線の先に捉えているのは、自身の音楽に関することばかりではない。たとえば東日本大震災のあとに訪れた被災地では「人間が作ったものはすべて、いつかは壊されるんだ」と痛感し、「こどもの音楽再生基金」などの活動にも尽力。沖縄・辺野古の米軍新基地建設に関しても、寄付をするだけではなく実際に足を運び、いかにそれが馬鹿げたことであるかを“感じて”いる。

 この美しい自然を壊して基地を造るなんて、どうかしているとしか思えません。アメリカと日本に主従関係があるように、日本国内にも本土と沖縄の主従関係があり、沖から広大な米軍基地の建設予定地を見て、その差別的な非対称性を痛感せずにはいられませんでした。福島原発と同じく、中央が必要とする危険な施設を、遠く離れた地域にだけ押し付けているのが今の日本だと思います。民主主義がまったく機能していない。(219ページより)

 死の直前、明治神宮外苑地区再開発の見直しを求める手紙を小池百合子東京都知事らに送っていたことも含め、坂本さんは自分ができること、すべきことを行動に移していた。本書を読むと、そのことをあらためて痛感できる。

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