競合他社に抜かれ
あっさり開発中止
さてこのBSP、1977年に発表された後でどうなったかというと、1980年にあっさり開発中止が宣言されてしまった。理由は簡単で、性能が50MFLOPS程度では話にならなかったからだ。
おそらく開発開始の時点では、CDC 7600あたりが競合製品になるとBurroughsでは考えていたのだろう。CDC 7600はピーク性能で36MFLOPS程度だったから、50MFLOPSならそう悪くない。
ただしそれは1973年頃の話である。1977年というと、すでにCRIがCRAY-1の1号機を納入した時期である。CRAY-1が80MHz動作で理論性能160MFLOPSを実現していたのに対し、BSPはたったの50MFLOPSでしかない。
1979年には、若干速度を上げたCRAY-1Sも投入されたのに対し、BSPはこの時点でもまだ製品が完成しなかった。これでは勝負にならないのは明白である。
後知恵で考えれば、例えばBSPを複数個並べて1つのB7700/7800に接続できる、あるいは複数個のBSPが結合できるような機能があれば、もう少し性能差は縮まったかもしれない。
またAUの中もパイプライン構造化してスループットを1サイクルにできれば、性能は軽く倍にできたはずだ。
あるいはCRAY-1がそうだったように、ICを使うなどして動作周波数を引き上げる工夫があれば、また違った展開があったかもしれない。
ただ、製造技術に関してはBurroughsのメインフレーム向けと同じものが使われていた。もっともそのB7700の場合、システム全体は8MHz動作ながらプロセッサー部は16MHz動作だったため、もう少しなんとかできなかったのかという気もするが、このあたりは資料がないのでわからない。
その後BurroughsはUNIVAC(この頃には社名がまたSperryに戻っていた)を合併し、UNISYSに名前を変えるが、もう自社でスーパーコンピューターを開発することはなく、むしろCRAYなどからマシンを購入して、それをシステムとして顧客に納入するシステムインテグレーターのようなビジネスに転換することになった。
とはいえ、BSPは初期のアレイプロセッサーの一例としてその後も長く記憶されることになったのは、はたしてUNISYSのビジネス的に幸運だったのかどうか、筆者には判断がつかないところだ。
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