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いまどきの高校生アプリとIoT

2014年11月11日 13時00分更新

文● 遠藤諭/角川アスキー総合研究所

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プログラミングの必要性はさけばれているが……

 このコラムで半年ほど前、私は「人事部が《新入社員にプログラミングを教えて欲しい》といってきた」という話を書かせてもらった。株式会社KADOKAWA(出版社=メディア企業)にとってプログラミング体験は、いままでの印刷会社で輪転機がゴーゴーとうなりながら回るのを見物したり、書店実習をしたり、売れ残った本の裁断を目の当たりにするようなものかもしれないと書いた。

 それから、「Tech Institute」という早稲田大学エクステンションセンターで7月に開講したプログラミング講座のカリキュラム作成や運営のお手伝いをさせてもらっていて、それの準備の過程で調査した結果についても触れた。13~35歳の男女の17%が、アプリ開発者講座への参加意欲があり、15~19歳の男性では、実に30%という高い関心が持たれていると紹介させてもらった。

Tech Instituteの講義のようす

 ちなみに、この「Tech Institute」の来年1月から始まる第2期を11月12日消印有効で募集中。今回は東京にくわえて大阪でも開催予定となっている。プログラミングの世界は、東京でしかできないわけではなくて、地域振興でも大きな目玉になる可能性がある。大阪地区では、グランフロント大阪 ナレッジキャピタルと角川アスキー総研の共催となる(サムスン電子ジャパンが社会貢献活動の一貫としてスポンサードしており130時間の講座が20歳以下無料!)。

 そして、私自身が少しひっかかっていたのは、「昔のほうがプログラミングヘ誘ってくれるよい入り口があったような気がする」と書いたことだった。いまはネットもあるし書店で売っているプログラミング入門書の数も確実に多いが、1970年代から1980年代のはじめにかけてのほうが、なんとなく日本全体で機運としてコンピューターに興味を持っていたような気さえしてしまうのだ。

コンピューター教育をとりまく年表(β版)

 NHK教育テレビでは、1969年から1975年までコンピュータ講座を放送していたし、学習研究社は1972年には『学習コンピューター』という雑誌を創刊、ホビーではなく、世の中が時代的要請としてコンピューターを求めていたことが明示的に示されていた。『わが友石頭計算機』(安野光雅著、犬伏茂之監修)なんて、礼賛するだけでなく本質をついた本も話題になった。もちろん、これは日本だけでばなく、米国ではレーガン政権の時代に“Educating America for the 21st Century”といった教育改革もあり小中学校にPCがどんどん入った。

 ところがたまたまここに、『日本経済新聞』(1984年11月19日付け)の「小・中学校でパソコン教育、操作・ソフト作り、来年度からモデル校で」という記事のスクラップがある。日本は学校へのPCの導入が大幅に遅れていて、文部省の一昨年の調査で小学校0.1%、中学校1.6%しか導入されていない。米国では小学校で64.2%、中学校で80.5%、シンガポールや韓国でもPCの導入が進んでいるのにというものだ。

 1970年代まで、日本の経済成長を支えたキーワードの1つである“オートメーション”の延長線上で、コンピューターは受け入れられたところがあると思う。集積回路やメモリーなどの半導体の重要性をみぬいて、“日本株式会社”などと揶揄されながらも産業政策的にも、大手コンピューターベンダーから家電・民生品メーカーまで、エレクトロニクスでごはんを食べようと考えていた。

 ところが、個人が1人でつかう“パソコン”になったとたんに日本はコンピューター導入が鈍化したように思える。産業がエレクトロニクスに邁進しているのに、個人が使うパソコンには冷淡になったのはキーボードなどに対する苦手意識からだという意見がある。しかし、1980年代にワープロは人気があったのでそういう問題ではないような気もする。

 図の「コンピューター教育をとりまく年表」は、私の記憶や『計算機屋かく戦えり』(アスキー刊)のために30人以上の日本のコンピューターのパイオニアの方々にインタビューしたときの資料などをもとに書いたものだ(不完全なので80年代まで掲載=この間もコンピューター教育に尽力された方々もおられ全然足りないのだが)。これを見ていただくと私のイメージをとらえていただけないだろうか?

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