遠藤諭の「0(ゼロ)グラム」へようこそは、毎週火曜日、アスキー総合研究所のウェブサイトで更新されます
NHKの人形劇『ひょっこりひょうたん島』(1964年~1969年)は、テレビのカラー放送のために企画されたという話がある。トラヒゲの赤白のボーダーシャツやブルーのバンダナ、ドン・ガバチョのひげの動き、サンデー先生の金髪なんかが、そのままカラー放送のお披露目だったわけだ。(NHKの人形劇シリーズについては、私も仕込みで係わった『NHK連続人形劇のすべて』<池田憲章・伊藤秀明編著、アスキー刊>をご覧あれ)。
テレパソ(録画機能のあるテレビ)が流行りはじめた頃、記事の準備をしながら、テレビの歴史を調べたことがある。米国や日本で使われている「NTSC」と呼ばれるテレビの規格は、1941年にFCC(連邦通信委員会)に認証されたものである。ところが、1950年頃にはカラー放送が求められるようになる。そこで、モノクロのテレビ受像器でもカラー放送をモノクロとして見られるようにするために、「マトリックス」と呼ばれる電子回路で、カラー信号をモノクロの輝度信号の中に紛れこませるという手法が採られた。
しかし、これだけではうまくいかず、30fps(フレーム/秒)だった走査周波数を1000分の1回遅らせるという魔術的な手法で回避したと言われている(そのためにNTSCの走査周波数は29.97fpsという中途半な数値なのだ)。そんなふうに、70年も昔に考え出され、カラー化という課題も乗り越えてしまったテレビ放送の電波は、以来50年にわたって営々と流され続けてきた。