みなさん、こんにちは。宮原です。今、私はエデンの東にいます、と言っても分かりにくいですね。アメリカはCalifornia州Salinasという町にいます。この町はJohn Steinbeckの生まれ故郷であり、若かりしJames Deanの主演映画『エデンの東』の舞台となった町でもあります(実際のロケはSalinasでは行なわれなかったらしいですが……)。
LinuxWorldが行なわれたSan Joseから一気に2時間ほど車を飛ばして南下して、この辺り一面レタス畑ばかりの町までやってきました。とてものどかな町なのですが、それでもAOLのアクセスポイントがちゃんとあったりするのが凄いですね。
さて、少し映画の話になりますが、『エデンの東』でJames Dean扮する主人公は、父親が出したレタスの冷蔵輸送の損を埋める為に、戦争で価格が上がった大豆で儲けて父親の誕生日に渡そうとします。しかし厳格な父親は、「徴兵委員として戦場に若者を送りこまざるを得ない戦争で儲けたお金など受け取れない」と受け取りません。
戦争による値上がりを見込んで大豆に投資した主人公の行動、これはビジネスです。ただし、戦争を悪であると捉える立場から見れば、その行動自体が悪です。戦争=悪、という判断基準は非常に分かりやすいのでいいとして、何が善であるか、という判断もまた同じぐらい難しいように感じます。
今回のLinuxWorldで一番感じたのは「果たしてどの会社が儲かっているのか分からない」ということです。Linuxがビジネスの一部の会社の場合にはトータルで儲かればいいとして、「Linux専業」とした場合、まだまだアメリカでも明確なオープンソースのビジネスモデルが描けていない、ということです。
たとえばビジネスとしては順調に成長しているDell ComputerのMichael Dell会長の基調講演でも、会社としてオープンソースに対してどのような貢献をしているのか、という会場の質問に明確に答えることができていなかった。同社の成長に貢献を美徳とするオープンソース的最善解が伴っているわけではないということです。
映画では、主人公とは正反対に善良な息子として描かれている双子の兄弟は、父親からの愛を得られずに失意の主人公から、死んだはずの母親の現実を明かされ、あまりの受け入れがたさから発狂してしまい戦場へ向かう列車に乗り込んでしまいます。さらにそれを知った父親も脳卒中を起こし、息を引き取ってしまいます。あまりにも悲劇的な終わり方で少し極端ではありますが、厳格主義や絶対的な善良さが必ずしも現実では通用しない、というSteinbeckの価値観が出ているような気がします。
オープンソースを語る場合、あまりにも厳格な貢献主義が唱えられる場合があります。一見非常に理想的に感じますが、やはり理想であって残念ながら現実からかなり乖離している主義主張のような気がします。何をもってオープンソース的最善解とするか、まだ完全に答は出ておらず、もしかすると永遠に見つからないのかもしれませんが、少しでも最善に近づけるように、と思い直す機会となったことだけは間違いありません。
今回は書いている自分でもちょっと難しい話になってしまいました。ぜひ皆さんが考えるオープンソース的ビジネスの最善解とは何かを教えてもらえればと思います。
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