オードリー・タン氏「台湾のデジタル社会イノベーションはどう実現したか」
文●谷崎朋子 編集● 大塚/TECH.ASCII.jp
2020年11月11日 08時00分
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大で世界各国の経済や社会が混乱する中、2020年10月末時点で国内の新規感染者数を「200日間連続ゼロ」に抑えた国がある。台湾だ。その成果の背景に国民の努力や忍耐があるのはもちろんだが、デジタル化とソーシャルネットワークをうまく活用した“デジタルソーシャルイノベーション”の果たした役割も大きい。
10月末にオンライン開催されたセキュリティカンファレンス「CODE BLUE 2020」では、台湾政府でデジタル担当大臣を務めるオードリー・タン氏が特別講演を行った。デジタルソーシャルイノベーションを成功に導いた要因は「Fast(速さ)」「Fair(公平さ)」「Fun(楽しさ)」の三本柱だと紹介したタン氏は、聴講者からの質問にもじっくりと答えつつ、現在進行形で進むさまざまなイノベーションや取り組みを紹介した。
「集合知に基づく迅速な対応」「公平性の担保」が鍵を握る
三本柱のひとつめ「Fast」は、集合知に基づく迅速な対応を意味する。
「完全に開かれた自由な社会では、表現の自由が集合知となる」。そう述べたタン氏は、国民の自由な発言を科学的理解に基づき判断し、知見に変えて、透明性をもって対応するのが政府のあるべき姿だと断言。COVID-19感染拡大において台湾が早期対応できたのは、そうした理念があるからと述べた。
集合知の一例としてタン氏が挙げたのは、“台湾版5ちゃんねる”とも言われる大規模インターネット掲示板「PTT」だ。
衛生福利部(日本の厚生労働省に相当)疾病管制署 副署長、羅一鈞(ロー・イーチュン)氏は昨年12月31日、PTTで前日(12月30日)付のある投稿を発見した。その投稿は台湾の元医療従事者によるもので、中国の武漢市で原因不明の肺炎患者が増えており、同様の症状の患者がいないか武漢市衛生局に報告してほしいという内容とともに、中国のオンラインフォーラムの画面キャプチャがいくつか添付されていた。その中には、武漢市での感染発生初期にその情報を共有し、武漢市公安局から「虚偽の噂を流布した」として訓戒処分を受けた眼科医の李文亮(リー・ウェンリャン)氏と他の医師のやり取りもあった。副署長はこの情報をすぐにエスカレーションし、同日にはWHO(世界保健機関)にも注意喚起のメールを送ったという。
反応の素早さは、国民ひとりひとりの声に対しても向けられている。
あるとき、衛生福利部の相談窓口(中央伝染病コマンドセンター)にひとりの少年が電話してきた。少年は「配給されたマスクがピンク色で(当時、マスクの色や柄はランダムに配給されていた)、友人にからかわれたらと思うと着けて登校するのが不安だ」と述べた。その話を知った衛生福利部の部長で、新型コロナウイルスの政府対策本部長である陳時中(チェン・シーチョン)氏は、新型コロナウイルス政府対策本部が主催する定例記者会見にピンク色のマスクを着けて登場。各閣僚や国会議員もピンク色のマスクを着用し、さらに蔡英文総統は自身のFacebookで「男の子にとっても女の子にとっても、ピンク色は素敵な色」と投稿。台湾のマスク製造大手「中衛」は、1日限定で10万枚の「桜ピンク色」マスクを製造、販売した。
「その男の子は『新型コロナと戦うヒーローと同じマスクを着けている』と、学校で一躍人気者になったそうだ」とタン氏は微笑む。
2つめの「Fair」は、公平性の担保だ。
台湾政府には、2月初旬には全国民がマスクを購入できるようにするという目標があった。これは同国が採用した感染拡大予測の数理モデルから、「国民の約4分の3がマスク着用と手洗いを徹底できればワクチンと同等の効果がある」との計算結果が得られたからだ。
そこでタン氏は、衛生福利部とともに6000軒に上る健康保険特約薬局と協力し、各薬局のマスク在庫状況を30秒ごとに更新するオープンデータを提供、シビックテックコミュニティとともにAPIの仕様を決めて、公開した。それを受けて、さまざまな企業や技術者たちがマスク在庫確認アプリを競って開発。その数は100を超えた。まさに「シビックテックの力だ」とタン氏は言う。
マスク購入には、事前に全民健康保険カードによる本人登録を行い、全員が確実に受け取れる仕組みも構築した。また、当初は薬局のみでしか購入できなかったが、交通の便や移動距離を考えると近くに薬局がない人に対して公平性が保たれないという意見が挙がり、すぐにコンビニでも受け取れるよう対応したという。おかげで、24時間いつでもマスクを受け取れるシステムに進化した。
「3月には、国民の4分の3にマスクを行き渡らせるという目標が達成できた」と述べるタン氏。入手可能であれば大多数の人がきちんとマスクを着用してくれることも証明されたのは、嬉しい副産物だった。
「お尻はみんなひとつしかないよ」大変なときこそユーモアを忘れずに
そして最後の「Fun」は、災禍で流れるデマや誤情報に対してユーモアで対抗し、封じ込めようというものだ。
「私たちは、デマがSNSのトレンドに入ったら『2時間以内に200文字以内の面白い文章と2枚の画像を拡散する』という目標を設定している。面白いミームは拡散力が高く、どんなデマを読んだ後でも、面白い投稿の方が印象に残って冷静になれる」(タン氏)
実際、台湾でも「マスクとティッシュペーパーは同じ原料・産地だから在庫切れになる」というデマが広がり、一時はティッシュペーパーの買い占めが起こった。しかし、その拡散が始まってから数時間後には、お尻を振るマンガ絵の行政院長が「お尻はみんなひとつしかないよ」と語り、「マスクの原料は台湾産、ティッシュペーパーは南米産」と説明したポスターを投稿。こちらが拡散し、事態は悪化せずに済んだという。
こうしたユーモアは、ほかの取り組みでも実践されている。たとえばソーシャルディスタンスについては、衛生福利部のイメージキャラクターである柴犬(總柴)を使い「相手との距離は、柴犬2匹分」といった広報ポスターを作成した。
コードという「共通言語」でエンジニアは世界に貢献できる
講演の後半、タン氏はたっぷり時間をとってオンライン参加者からの質問に答えた。
セキュリティイベントということもあり、多くの質問は「セキュリティエンジニアやハッカーがコロナ禍の世界にどう貢献できるか」という内容に集中した。これに対してタン氏は、まずはGitHubなどで自作のコードを公開し、「自分ができること」を広く知ってもらうよう努めてみてはどうかと提案した。
これには実例もある。3月初旬、韓国政府が台湾と同様のマスク在庫状況確認マップを開発しようとしている話を聞いた台南市在住のエンジニアが、韓国政府が公開しているAPIを使ってそのマップを開発、提供した。これは韓国初の公式配給マップとして公開されたという。
「台南市のエンジニアは韓国語が話せない。でも、JavaScriptは話せる」(タン氏)
タン氏自身も、東京都の委託でCode for Japanが開発した東京都公式の新型コロナウイルス感染症対策サイトに対して、設定ファイルにあった誤字脱字のプルリクエストを送った。「プログラミング言語という共通言語でつながる世界は広い」と、タン氏は強調する。
また、そうしたエンジニアの意欲を政府がしっかり受け止めて、具体化するのを支援することも大切だ。
今年5月、台湾政府は米国政府と共同で「cohack」ハッカソンを開催した。これは接触確認やPCR検査を効率的かつ迅速に実施するための技術、クライシスコミュニケーションなど、コロナ関連の課題を解決するサービスやツールを提案するハッカソンで、7か国から53チーム、215人が参加。優勝した5チームからは、地域の感染状況をマップで確認できるシステム、医療施設での診断を効率化するシステムなど、行政として今すぐにでも役立てたいアイディアが飛び出したという。
最後にタン氏は、レインボーフラッグのマスクでスタートレックのヴァルカン人式挨拶をしながら、こう締めくくった。
「(COVID-19で)友達や家族と離ればなれになったと感じているかもしれないけど、実はデジタルが、これまで以上に私たちの距離を縮めてくれている。つながり、協力しあうことが、いま以上に大切な意味を持ったことはない。台湾と日本は“カワイイ”などさまざまな文化を共有している。今後も協力していけたら幸いだ」(タン氏)
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