2028年、リモートワークが消えた日

文●大谷イビサ イラスト●まふにゃん 編集●ASCII

2020年04月10日 09時00分

出社と満員電車が消え、「リアル」がイレギュラーとなる

 ノートパソコンを開くと、顔認証が走り、ワークスペースが開く。昨日までの業務の進捗と今日のTo Doはエージェントが教えてくれるし、しかも面倒な作業はボットが夜のうちに済ませてくれる。不動産会社で賃貸住宅の更新を担当している私の場合、時間をとっていたのは家賃の値上げを希望するオーナーのリクエストに応えて、近隣にある物件の家賃相場を調べること。今では家賃が適正の価格かどうかをボットが調べてくれるので、更新時の家賃交渉は以前に比べてはるかに楽になった。

 なにより以前ともっとも違うのは、こうした業務のすべてが自宅にいながら行なえるということだ。2028年の現在、都内に社屋を抱えている会社は、上場企業のうち半分に過ぎず、半分は神奈川・千葉・埼玉の副都心、あるいは札幌や仙台、大阪、福岡などの地方都市に移転した。首都圏を悩ませていた「満員電車」はすでに過去の遺物となり、都内から副都心や近郊都市に通う「下り組」も珍しくない。

 多くの業界でビジネスはデジタル化され、リモートワークは当たり前の存在になった。いや、当たり前となりすぎて、もはや死語のような存在だ。「今さら紙に印鑑を押している」「満員電車で会社に行かないと仕事が進まない」「会場に集まって面接やイベントをやっている」。そんなレガシーな会社をあてこする先進的な仕事のやり方として2020年の流行語大賞にもなった「リモートワーク」だが、あらゆる業務がリモートでできるようになった今、それは単なる「ワーク」になった。

 もはや学校の授業も、株主総会も、面接も、国会もオンラインが当たり前。大学生になった次男は「今日はリアル授業だから」と珍しく出て行った。

出社への義務感と恐怖で板挟みとなった私

 こうなったきっかけは、今から8年前の2020年に起こった新型コロナウイルスの厄災だ。東京でオリンピックが開催される予定だった2020年に世界を大きく揺るがせた新型コロナウイルスは、経済・社会面で大きな爪痕を残しただけではなく、私たちの仕事のやり方にも大きな変化をもたらした。当時、ビジネスをデジタルの力で変革するという意味で「デジタルトランスフォーメーション」という言葉が大新聞を賑わせていたが、新型コロナウイルスはある意味、デジタルへの移行を強制的に実現してしまった。私の勤めていた不動産会社はまさにその典型例だった。

 21世紀に入って20年を経ても、不動産会社はITからほど遠い業種だった。オーナーや店子とのやりとりはいまだに電話が主流で、間取りはFAXで送られていた。契約書はすべて紙なので、押印処理と郵送が必要。シャチハタはNGだったので、間違った書面が送られてきたら、再度郵送し直してもらわなければならなかった。大手財閥系グループでありながら、業界10位の賃貸管理企業のうちの会社でもそんな状況だったので、中小や零細の不動産会社であれば、業務はなおさら古めかしいものだっただろう。そんな業界にも、新型コロナウイルスは容赦なく襲いかかってきた。

 2020年2月・3月、都知事からの度重なる在宅勤務の要請に対して、会社は表向き「在宅勤務を強く推奨」を表明してきた。会社用のPCは支給されているし、社内接続用のスマートフォンが貸与されているので、在宅勤務は可能という判断になる。しかし、業務に必要な契約書や印鑑を家に持ち帰るわけにはいかないし、業務システムも社内からしかアクセスできなかったので、事実上在宅勤務は難しかった。結果的に、今までと変わらず会社に来ている社員がほとんど。産休間近の妊婦さんまで出社していたため、「もしうつしたらどうしよう」と不安になったのを覚えている。

 うちのような会社はそれほど多くないかと思ったら、実は同じような会社だらけだったようだ。大手ニュースサイトに載った新型コロナウイルスの記事のコメント欄には「会社に行きたくないのに、出社しないと仕事ができない」というサラリーマンの怨嗟の声があふれていた。そして当時の調査では在宅勤務できる会社は全体の5%に過ぎなかったという。その5%の会社に入っていたIT企業勤務の夫からは「なんでこんなときに会社行くの?」と言われ、けんかになったことも一度や二度ではない。「嫌だけど、会社に行かなければ」。そんな義務感と感染病への恐怖が、日々私の心をすり減らしていった。

レガシー産業を容赦なく破壊した新型コロナウイルス

 潮目が変わったのは、都内での感染者が3桁を超え、まさにパンデミックの危機に瀕した4月初旬に出された緊急事態宣言だった。民間の経済活動に影響が出ても、新型コロナウイルスに対抗していくという姿勢が明らかになったことで、「長くて数週間で終わる」と考えていた多くの企業は、恒久的なリモートワーク体制の構築にようやく重い腰を上げた。今となってはこれがサバイバルの始まりだった。

 私の会社にも外部からコンサルが招聘され、IT部門と経営管理室が増員され、契約書のデジタル化とデータベース化、電子押印システムや社内ワークフローの整備が同時並行で進んだ。手つかずだったリモートワークに向けた労務管理制度の改正やマネジメント研修も急ピッチで整備され、ゴールデンウィーク明けからは在宅勤務の試験運用が開始された。今まででは考えられないスピードだ。

 長らく在宅勤務を続けてきた夫の席の前で、私も会社貸与のノートPCを開き、慣れないながらもデジタル化された業務に打ち込むようになる。在宅に慣れた夫は、家事と仕事のペース配分もできており、意外にも仕事に集中できた。すでに子供の和室はワークスペース、居間は生活スペースに分離されていたので、ふすまを開けたらそこは会社というイメージだった。当初はすぐに隣に話しかけられるオフィスが恋しかったが、在宅勤務の日数が伸びてくるとともにチャット経由の会話にも慣れてきた。

 新型コロナウイルス対応で電話受付の時間は大きく短縮されたが、クレームはまったくなかったという。更新手続きのチャットボット導入や自動契約化も進めたが、こちらも混乱はほとんどなかった。そして、複数回に渡るチェック業務は、ロボット化されたことで人手の作業よりかえって精度は高くなった。これら一連の業務のデジタル化・サービスの効率化で困ったお客さまはおらず、今までやってきた残業の多くはすべて「不要不急」だったことが明らかになった。これが私の会社の「デジタルトランスフォーメーション」の顛末だ。

ポストコロナ時代に改めて問い直す「人間の仕事」とは?

 緊急事態宣言以降、社員に出社を強いていた企業は減っていたが、そうした会社の多くは事業を縮小したり、継続できなくなっていった。都内のオフィスでの新型コロナウイルスの患者は日に日に増えており、従業員の恐怖はすでに限界に達していたからだ。経済的な便益と生存への安全性を天秤にかけた結果、ゴールデンウィーク以降は雪崩を打ったように「脱オフィス・脱通勤」の流れは加速し、夏には労働力不足を理由とした倒産も相次ぐようになった。

 そして2021年の東京オリンピック以降、前年の新型コロナウイルスの影響がぬぐいきれない日本は、大きな不況に見舞われる。大手企業も例外でもなく、変化に対応できない企業は市場からの退場を余儀なくされた。また在宅勤務を前提とした新しいワークスタイルについていけない会社員も、容赦なく会社から駆逐された。結局、オンラインが常態化し、人々が巣ごもりする中で経済活動を行なっていくという流れを見越した企業や人だけが生き残ることができたわけだ。

 あれから8年が経った。今の私の仕事は、電話を希望するご高齢のオーナーや店子に自宅から電話をかけて、手続き完了にまで持って行くことだ。2028年の時点で65歳以上の高齢者の数は、すでに人口の約1/3に達しており、耳の遠いご老人に更新までの事務を丁寧に説明する役割が必要だった。前時代の名残で「電話」とは言うが、今ではビデオを使う場合がほとんど。こちらの顔も写っているので安心できるだろう。

 とはいえ、すでに事務処理はボットが手がけているため、電話対応さえなければ人間はもはや労働力として必要ない。東京オリンピック以降、リモートワークのために業務の棚卸しが進んだことで、ソフトウェアロボットの導入は一気に加速した。また、製造業や小売業、建設・建築業などでリアルロボットが増え、職を失った外国人労働者がロボットを破壊するという事件もあったという。昔は企業に人材を派遣する事業があったが、今派遣されるのはロボットの方だ。

 今後、オーナーや店子が電話対応を希望しなくなったら、自分の仕事はなくなることになる。でも、そろそろ悠々自適な生活に戻ってもいいだろう。変化し続ける会社の業務に8年間も振り回され、ようやく落ち着いてきたのだから。今年の夏は人生2度目となるロサンゼルスオリンピックを楽しもうと思う。

 ※すべてフィクションです。

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