研究員たちが考える、さくらインターネット研究所「これから」の10年

文●大塚昭彦/TECH.ASCII.jp 写真● 曽根田元

2019年10月29日 08時00分

今年7月に設立10周年を迎えたさくらインターネット研究所。前編記事では研究所所長の鷲北賢氏らに、同社内における研究所の位置付けや、これまで10年間の歩みを振り返ってもらった。

鷲北氏は「これからの10年間」を展望する中で、よりアカデミックな(学術研究的な)アプローチを強化すべく2017年ごろから新たな研究員を数多く迎え入れたこと、今後の10年間を見据えた研究ビジョンとして「超個体型データセンター」というコンセプトを掲げたことを紹介した。

それでは、さくらインターネット研究所は「これからの10年」をどのように歩もうとしているのか。また「超個体型データセンター」とはどんな未来像なのか。今回の後編記事では、新しい研究所メンバーである松本亮介氏、坪内佑樹氏、宮下剛輔氏、青山真也氏の各氏に詳しく話を聞いた。

左から、さくらインターネット研究所 客員研究員の青山真也(amsy810)氏、上級研究員の松本亮介(まつもとりー)氏、研究員の坪内佑樹(ゆううき)氏、客員研究員の宮下剛輔(mizzy)氏。さくらインターネット福岡オフィスにて

研究に専念していくためには「チーム」が必要だった

前編記事で鷲北氏も説明していたように、まず2018年11月に松本氏がさくらインターネット研究所に入所し、そのあと松本氏が呼び集めるようなかたちで、2019年初頭にほかの3氏も相次いでジョインした。さらにこの取材(2019年7月)以後、鶴田博文(つるべー)氏も新たな研究員として加わっており、現在の研究所メンバーは総勢9名だ。

なぜこのメンバーだったのか。松本氏は、それぞれのメンバーが研究所に加わった理由について説明する。

松本亮介(まつもとりー)氏。京都大学博士(情報学)、GMOペパボ チーフエンジニア/ペパボ研究所 主席研究員を経て、2018年8月からForkwell技術顧問、2018年11月からさくらインターネット研究所 上級研究員、ペパボ研究所 客員研究員を務める。そのほかセキュリティキャンプ講師、情報処理学会、ITRC各種運営委員、IEEEやACMの各種会員

まず、はてなでSRE(Site Reliability Engineering)エンジニアを務めていた坪内氏とは、コミュニティ活動などを通じて以前から交流があり、よく技術や仕事について議論していたという。

「ゆううきさん(坪内氏)とは昔から知り合いで、ずっと仕事のことや技術のことを話してきたのですが、一緒の職場で働いたことはありませんでした。僕がさくらインターネットに入社するというブログを書いたとき、ゆううきさんから、研究者としてのキャリアについて同じように考えている、さくらで一緒に働くことに興味があると連絡をいただいて。そういえば僕ら一緒に働いたことないね、一緒に研究開発したら面白い技術が生み出せるかもねと盛り上がって、すぐに入社となりました」(松本氏)

坪内佑樹(ゆううき)氏。新卒入社した前職のはてなではWebオペレーションエンジニア/SREを務めつつ、論文執筆も行ってきた。技術を使うことに加えて「技術を創る」ことを志し、技術者から研究者へと転向。2019年2月に研究員として入所

客員研究員の宮下氏、青山氏については、松本氏の側から明確な意図を持って誘ったという。松本氏は前職でGMOペパボ研究所の立ち上げに参加し、そこでGMOペパボのサービスに直接関わる領域の研究開発を続けていたが、その立ち位置に課題も感じていた。

「当時はエンジニアとしてサービスに近い領域で運用や開発をし、その知見を研究にも生かせることが武器になると考えていました。ただし研究活動に専念するとなると、運用開発の現場からは距離を置くことになり、その間に現場はどんどん変化していきます。研究をしながら現場の細かい領域まで理解し続ける、その両方をやっていくのは、たぶん僕にはできないだろうと考えたのです」(松本氏)

さくらインターネット研究所に入所し、これから研究に専念していくためには、現場の最先端動向を理解しているメンバーと「チーム」を構成する必要がある。そう考えた松本氏は、「業界でも先頭に立ち、業界を引っ張っているお二人に声をかけました」。それが宮下氏、青山氏だった。

「前々からお二人を誘いたいと考えていて、ずっときっかけを探っていました。まずmizzyさん(宮下氏)は、僕が書いたブログに『これヤバイじゃん!』みたいなコメントをしてくれて。一方で青山さんは、Twitterで『何か新しいことがやりたい』とツイートされていて。このチャンスを逃すまいと(笑)、それぞれ5分後くらいにはDMで『一緒にやりませんか?』とメッセージを送った記憶があります」(松本氏)

宮下氏は顧客企業を支援するフリーランスエンジニアとして、また青山氏はサイバーエージェントのクラウド/コンテナ基盤を支えるプロダクトオーナーとして、それぞれ最先端の現場に関わり続けている。

「僕は業務委託を受けていろいろな会社の現場を見ていますから、現場がいま何をやっているのかを研究所メンバーに伝え、その反対に研究所でやっていることを現場に伝えて実際に試してもらう、お互いにフィードバックし合うための“つなぎ役”になろうと考えています」(宮下氏)

宮下剛輔(mizzy)氏。SIerやGMOペパボを経て、2014年からフリーランスのソフトウェアエンジニアとして活動。業務委託を受けた顧客企業のサーバーインフラ構築運用支援や技術顧問などを行う。サーバー環境の自動テストツール「Serverspec」もOSSで開発。2019年3月から客員研究員として参加

また青山氏は、自身が積極的に参加しているコミュニティや技術カンファレンスで情報収集した最新の知見を研究所にもたらすのも、大切な役割だと考えていると語る。

ちなみに松本氏は、宮下氏とは旧知の間柄だったものの、青山氏とはまったく面識がなかったという。青山氏は「いきなりDMが届いて、びっくりしました」と笑う。

「実はそれ以前に、超個体型データセンターについてのブログも読んでいて、『面白いことやってるなあ』と思っていました。ただ、それについてSNSなどで反応したこともなかったので、DMをもらったときは『えっ、そこから誘いが来た』と。最高の展開でしたね」(青山氏)

青山真也(amsy810)氏。2016年にサイバーエージェント入社、OpenStackによるプライベートクラウド基盤の構築に携わり、Kubernetesを活用したコンテナ基盤のプロダクトオーナーも務めている。他社でも技術アドバイザーを務めるほか、CloudNative Days Tokyoのカンファレンス共同実行委員長などコミュニティにおいても中心的役割を果たす。2019年4月から客員研究員として参加

4氏の主な研究領域、得意分野はそれぞれ異なる。大まかに言うと、松本氏はクラウドやホスティングサービスにおけるセキュリティ、性能、運用技術、大規模システム設計、OS/ミドルウェア開発など、坪内氏はSREやデータ指向アプリケーション、宮下氏はサーバーインフラの運用自動化/効率化、青山氏はKubernetesやクラウドネイティブ技術といった役割分担だ。

理想の世界を想像してみることで生まれた「超個体型データセンター」

前回記事で触れたとおり、さくらインターネット研究所では2019年2月、今後10年間を見据えて「超個体型データセンター」の研究に取り組む方針を明らかにしている。鷲北氏が代表して執筆した研究所ブログの記事を読むと、「クラウド時代の一極集中構造」が抱える課題を打破するためには、将来的にこうした新たなアプローチが必要になると考え、その技術研究を進めていく方針だという。

さくらインターネット研究所がこれから取り組むコンセプトとして「超個体型データセンター」を掲げた

コンセプト策定に参加した松本氏は、「『現状でできること』から議論をスタートするのではなく、まずは現状のさまざまな課題を解決する『理想の世界』とはどんなものか、そこから考え始めました」と説明する。

「誰もがインターネットにつながって、どこからでもサービスを利用できる『ユビキタスコンピューティング』の世界は、10年、20年も前から提唱されています。ですが、それを『使う』イメージはできていても、実際にどうコンピューティングリソースを分配、供給するのかという部分はあまり議論されておらず、明確になっていません。そこでまずは、それを解決する理想の世界について議論を始めました」(松本氏)

コンセプトの鍵を握るのは、コンピューティングリソースが一極集中から分散へと進み、身の回りの環境にリソースが「溶け込んでいる」という未来像だ。現在のリソースはまだサーバーやPC、スマートフォンといった形で存在しているが、分散化がさらに進むと、社会のあらゆる場所/モノにそれが溶け込んでいく。

超個体型データセンターでは、こうしたリソースを単体としてだけでなく、自律的に結合させたものとしても提供できる世界を目指している。つまりここで「データセンター」と呼ばれるものは、特定の場所やデバイスを指すのではなく、高度に抽象化されたリソース群がつながり合って提供される“データセンター的な機能”だと言えるだろう。

「要するに『小さなデータセンターが各地に分散している』といったものではありません。もうデータセンターの存在そのものがなくなり、社会の中にあたりまえに溶け込んでいる感じ。それを使う人も管理する人も、リソースがどこにあるのかなど一切意識しないで済むような世界です」(松本氏)

超個体型データセンターには、さらにいくつかの特徴的な要素があるようだ。

まずは、さまざまな種類のリソース/デバイスが入り混じる「ヘテロジニアス(異種混交)環境」であっても、それらが互いに結合して単一のリソースを提供できることだ。ちなみに「超個体(superorganism)」は、もともと生物学などで使われる用語であり、全体として1つの個体のようなふるまいをする異種混交の群れを指す(同一種の群れである「コロニー」とは異なる)。

また「自律性」も重要な要素だ。社会に溶け込んだ膨大な数のリソース群を、これまでのように中央集権型で管理/制御/監視するのには限界がある。個々のリソースが自律的に動き、互いにつながり合い依存し合いながら、全体としてユーザーの求める機能を提供できなければならない。

そしてインターネット的な「オープンさ」と「共生志向」だ。異なる種類のリソースどうしがつながり合う基盤として標準化された汎用的な技術が必要であり、誰もがその技術を自由に利用できなければならない。これは、一部の参加者(事業者)だけが独占的に利益を得られる中央集権化を防ぐうえでも重要な要素だ。つながり合う双方にきちんと価値が提供されなければ、超個体型データセンターが自律的に拡大していく世界は見込めないだろう。

「そんなの無茶だ、できない」というコンセプトでも設定すべき理由

もちろん、超個体型データセンターのコンセプトで描かれた世界は、今すぐに実現できるものではない。具体的にどうすれば実現していけるのか、残された検討課題は数多くある。それでもこうした未来像を設定することには大きな意味があると、坪内氏は説明する。

「未来的なコンセプトの中には『そんなの無茶だ、できない』と思うものもあるかもしれません。ですが、それを語ることで『思考の制約を強引に外す』効果もあると思っています。なまじっか現実を知っていると、自分の中で無意識に『これは無理でしょ』というあきらめも生じてしまいます。実現できるかどうかはわからなくても、理想の姿を提示しておくのは大切ですね」(坪内氏)

また松本氏は、研究領域の異なる各メンバーがひとつのチームとして研究活動を行っていくうえでも、未来像を見据えたひとつの目標、共通認識を設定することが大切だったと説明する。

実は松本氏が入所した段階で、さくらインターネット研究所ではさまざまな技術要素が10年後までにどう変化していくのか、そこに向けてどのような研究開発を行っていくべきかといったマイルストーンを持っていた。松本氏は、それぞれを包括した未来像を一言で言い表すコンセプトも必要だと考えた。

「前職の研究所で学んだことですが、チームとしてやっていく場合に、たとえ具体的ではなくとも『こういう世界が実現したら最高だね』という大きなコンセプトを掲げることが大切です。そうすることで、自律的に動けるメンバーが揃ったときには、それぞれが“勝手に”その世界を実現するうえでの課題を見つけ、研究を進めることができます。逆に言うと、そうしたコンセプトを持たなければそれぞれの思惑が微妙に食い違い、深い議論が成り立たず、明確なゴールへと収束していきません。その意味でも、研究所としての共通コンセプトを持ちたいと考えました」(松本氏)

今後10年間にITインフラ/新ビジネス/新技術がどう展開するかも予測している。ただし「これはあくまでも『こうなると面白いな』というものです」(松本氏)

こうして超個体型データセンターのコンセプトが誕生した。ちなみに「超個体」というキーワードを提案したのは、実は研究所のメンバーではなく、当時GMOペパボのエンジニアであった田村龍太郎氏だと、松本氏は明かす。

「コンセプトについての議論が進み、あるとき『名前を付けよう』となりました。その日は田村さんとご飯を食べに行く約束をしていて、田村さんはここで待っていたのですが、僕はどうしてもその前にいい言葉を見つけたかった。そのうち、まったく関係ない田村さんまで一緒になってググり始め、しばらくして『超個体ってどうですか?』と。解説を読むと、まさに僕らがイメージしている世界だったので『それだ!』となりました。というわけで『超個体』の名付け親は田村さん、これは書いてあげてください(笑)」(松本氏)

「コンピューティングが社会に溶け込んでいく」これからの10年に向けて

超個体型データセンターというこれからの目標が定まり、さくらインターネット研究所メンバーの活動も活発化している。今年度は松本氏と坪内氏の論文が国際会議の「IEEE COMPSAC 2019」で採択されたのをはじめ、各メンバーが国内外で多数の論文発表や講演などを行っている。

たとえば坪内氏と松本氏、はてなの古川雅大氏が共同発表した「超個体型データセンターを目指したネットワークサービス間依存関係の自動追跡の構想」では、リソースの高度な分散化に伴って人間では管理できないほど複雑化していくサービス間の依存関係を把握するための、自動化された新たな監視手法を提案している。

また松本氏、宮下氏、坪内氏の3名による発表「分散型データセンターOSを目指したリアクティブ性を持つコンテナ実行基盤技術」では、超個体型データセンターを実現するうえで必要になると考えられる新たな抽象化レイヤーを「超個体型データセンターOS」と定義し、その適切なあり方を模索している。

過去数年間、学術的な研究活動の成果を示す発表件数は着実に増えている

この超個体型データセンターOSについて、鷲北氏が執筆したブログ記事では「各データセンターを総体として透過的に扱えるOS」と定義している。松本氏は、超個体型データセンターの世界になると新たな課題も「山ほど出てくる」と語り、そうした課題を解決するために新技術の研究開発が必要であることを説明する。

「超個体型データセンターができたときには抽象化のレベルがまた上がり、VM(仮想マシン)やコンテナという単位が現在のOSで言う『プロセス』『スレッド』に当たる存在になるのではないか、そういうアナロジー的なイメージをしています。現在のOS上でアプリケーションを実行するとプロセスやスレッドが立ち上がるように、リソースがどこの拠点のどのハードウェアにあるのかを意識することなく、VMやコンテナを自由に配置、実行、管理できるというイメージですね」(松本氏)

この超個体型データセンターOSを技術的に実現していくうえでは、たとえばプロセス/スレッド管理やスケジューリングのような、これまでのOSで培われてきた知見や実装が生きてくる可能性もあるという。そのためさくらインターネット研究所では、OSについて専門的な知見を持つはこだて未来大学のシステムソフトウェア研究室(松原克弥研究室)との共同研究を進めていく。同様に、超個体型データセンターのネットワーク領域については、京都大学大学院情報学研究科の岡部研究室とさまざまな共同研究を行う計画だ。

そのほか個人的な研究目標として、青山氏はKubernetes関連でも話題に上がるエッジコンピューティング、フェデレーション、サーバレスといった領域から、超個体型データセンターOSに近づけるためにはどんな部分を補い、伸ばせばよいかを検討していきたいという。また宮下氏は、論文執筆など研究者としてのバックグラウンドを身に着けつつ、自身の興味分野である「技術者を手伝う技術」により磨きをかけていきたいと述べる。坪内氏は、さくらのパラレルキャリア制度(副業制度)を活用して企業の技術顧問を手がけ、宮下氏や青山氏のように現場課題を収集することにトライしたいと語った。

最後に松本氏は、研究者としてこれまでとはまったく違う領域の人とも連携し、共同研究や議論を重ねていきたいとした。最近、そのように強く思わせる出来事があったのだという。

「つい先日、ゆううきさん(坪内氏)とIEEEの国際会議に出席したのですが、そこで印象深かったのが、キーノートやディスカッションの場に薬学や心理学の人も登壇して、コンピューターサイエンスとの連携について語っていたことです。僕らが日本にいて想像するよりも、ずっと広い領域のコラボレーションが起きています。『サービス事業者と利用者』という狭い視点だけでなく、もっと世界中の、まったく違う立場で違うことをやっているような人たちとも連携して研究開発していかないといけないと、強く思いました」(松本氏)

まさに“コンピューティングが社会に溶け込んでいく”時代には、これまでの枠組みを超えた異分野の研究者どうしの交流や議論も必要になるだろう。松本氏は、さくらインターネット研究所が国際会議のキーノートに呼ばれるような存在になれば、そうした連携も活発になるだろうと述べ、その段階から「また次の大きなステップを踏み出せると思います」と語った。

「所長の鷲北さんが田中さん(社長の田中邦裕氏)とも話をされて、チームとしてやりやすい研究所のあり方はだいぶ整いました。まずは今のメンバーで、ひとつ大きなことをしていきたいなと考えています」(松本氏)

(提供:さくらインターネット)

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