西日本豪雨 漫画家の壮絶体験

文●Imaha486(@Imaha486) 取材協力● かぼちゃさん

2018年08月27日 09時00分

 2018年7月、豪雨被害にあった岡山県倉敷市真備町の、当時とその後の様子をお伝えしています。コミカライズ版『トップをねらえ!(角川コミックス・エース)』などを手がけるイラストレーターのかぼちゃさんも被災者の一人です。かぼちゃさんは今回の西日本豪雨で倉敷市真備町の自宅住居兼事務所を被災されています。お時間をいただき、「あの日、何が起こったのか」をお話いただきました。

大したことにはならないだろうと思っていた

── 7月6日前後は何をしていましたか。

 イラストレーター業とは別に学校の先生をやっています。お昼頃までは学校に居ましたが、雨が激しくなってきて休校になったため早めに帰宅しました。近隣河川の水位がかなり上がっていると聞いていたものの、その頃は堤防まで目測で3~4m程度の余裕はあったので、大したことにはならないだろうと思っていました。

 携帯電話のエリアメールや水害に関するニュースは色々と入ってきており、もしかすると……という認識はあったものの、あまりにも頻繁に他エリアのニュースも一緒に届いていたため、何が重要な情報かわからなくなっていました。その後、夜遅く23時半頃に凄まじい爆発音が聞こえつつ(※岡山県総社市でのアルミ工場浸水による水蒸気爆発事故)、その後も待機していました。

── 河川氾濫の情報を受け取ったときにどう感じましたか。

 7月7日0時47分に河川氾濫の情報が入ってきて、これは逃げないといけないと思いました。ただ、送られてきた情報が「右側が決壊〜……」のように不正確だったため、「右っ!? どこを基準に右側が決壊したんだ!」と困惑していました。

 同日1時40分に避難指示が出ました。その時点で水位はかなり上昇していました。荷物をまとめて午前2時頃に車で外に出たものの、近所のスーパーまで来たところで冠水していて、このまま走行すると命の危険があると判断して引き返しました。

 それから自宅に戻って待機しつつ、ツイッターで余裕の発言をしていましたが、午前2時38分を過ぎると自宅前の道が完全に水没してしまいました。

まわりの家がすべて水没してしまった

── 家が浸水しはじめたときのことを教えてください。

 午前2時45分ごろ、トイレからゴボンゴボンと異音が聞こえはじめました。「トイレから異常な音が聞こえたら床上浸水がはじまる」と教えてもらったことがあり、音が家に響き渡るのが怖くて、便器に詰め物をして音をむりやり押さえました。

 床上浸水に備えて机の上に荷物を移動していると、いきなり床下収納のフタが浮き上がりました。足でおさえつけたもののその勢いは強く、まったく意味がなかったため、フタをはずして放置しました。

 それから水道が使えなくなる前に急いでペットボトルに水をため、食料などをかかえて二階に避難しました。床下収納が浮き上がったのを見て、部屋数の多い昔ながらの畳敷きの家屋でこの状況になってしまうと、足場が浮き上がって、高齢者はとても逃げられないだろうと思いました。

 床上10cmくらいまで水位が上昇すると自宅が停電し、家の中が真っ暗になりました。はじめはブレーカーを入れなおそうと思ったものの、感電の恐れがあったため断念し、携帯電話のライトで明かりをとることにしました。

 寝なければ体力が持たないと判断して、しばらく飼い猫と2階で転がっていましたが、少しずつ階段に水が迫ってくるのがわかりました。「このまま2階以上に水位が上昇したら……?」と思って、浮き輪代わりになるものがないか探しました。灯油ポリタンクを見つけたので部屋に配置しました。

 この頃から、水位が上昇するにつれ、なぜか部屋が一気に暑くなっていきました。

 午前4時45分頃、ついに水位が2階まで到達。ベランダから出て屋根の上に逃げるための準備をはじめました。仕事道具を持って逃げようかと思ったものの「救助の際に隊員たちの作業の邪魔になる」と判断し、貴重品や傘など最低限の装備だけを持ち、リュックサックの中に猫とエサをつめて脱出しました。

 直接に2階の屋根に登るのが難しい構造の家だったので、ひとまず1階屋根に登りましたが、先ほどまでの蒸し暑さがうそのように寒く、雨に体温を奪われないよう傘をさしてひたすら待っていました。

 午前5時をすぎたころ、一度母親に電話したところ、「消防車を呼びなさい」と言われました。「まわりの家がすべて水没している状況を見る限り来られるわけがない……」と思いつつも119番に発信しました。電話はまったく通じず、もしかして倉敷市全体が水に沈んでしまったのでは……と不安でした。このころから携帯電話の通信が不安定になり、ドコモはどうにかギリギリ通話ができる状況でした。

屋根の上、寒さに震えながら救助を待った

── 屋根の上で救助を待ちながら「しぬど……」とツイートされていたときのことを教えてください。

 本当は何度も現状を伝えるためにツイートをしていたのですが、とにかく回線が不安定で投稿ミスを繰り返し、気づいたらこれだけが唯一アップできていました。本当はもっと早い時刻に投稿していたのですが、ツイッターアプリが自動で再投稿を繰り返して急に通っていたためか、ぜんぜん違う時間にアップされていました。

 このときはとにかく寒かったです。日が変わるころには雨が弱まると聞いていたのにまったくそんなことはなく、雨がひたすら降り続けていました。午前7時すぎごろに救助ヘリがやってきたのが見えて、「これで助かる!」と思いました。

 このとき救急車のサイレンも聞こえていたのですが、一面が水没した状況だったので単なる幻聴だと勘違いしていました。後から知ったのですが、堤防が決壊していなかった反対側に多くの救急車が集まっていたらしいです。

 まわりを見ると高齢者の方ばかりででした。ほとんどの方が体力的に屋根に登ることができず、ベランダにしがみついて耐えていました。中でも、シャツとパンツ1枚だけで傘もささずに雨に打たれている方を見た時は「あの人を早く助けてあげてー!」と思いました……。ほかにも、屋根の上にでっかい犬を上げている人もいて「あれどうやって上げたの!?」と驚愕したりしていました。

 そして午前8時すぎごろから周囲の人たちの救助がはじまりました。

 屋根に登れない人、雨に打たれていた人、子ども、病人など緊急性の高い方から避難していくため、フル装備に身をかためていた自分は最後の方でしたが、昼過ぎの12時40分ごろ、無事に救助していただきました。自分以外には他の2家族がゴムボートに乗っており、ボートの進行のさまたげになる電線を手で払いのけたり、船底が障害物に当たらないように迂回しながら、13時頃に倉敷市役所真備支所に到着。

 真備支所では大体200〜300人くらいが救助されていました。犬猫と一緒にいた人が多いのが印象的でした。

 ただ、倉敷市役所真備支所の庁舎も電気が止まっていたので、救助者はそこから別の避難所へ移動していきました。運の良い人はすぐ近隣の小学校の避難所に行くことができましたが、18時を過ぎたころに一度避難が打ち切りとなったため、残った人たちはそのまま真備支所で夜を明かすことになりました。翌日午前9時から避難が再開されたので、町はずれまで移動してもらい、そこで兄と合流しています。

仕事のデータを失ったことが苦しい

── 仕事に必要なものは家から持ち出せましたか。

 持ち出せませんでした。実際に持ち出せたのは通帳、印鑑、財布、携帯電話だけです。携帯電話は濡れても大丈夫なようにビニール袋に入れて運んでいました。

── 一次帰宅したとき状況を見てどう感じましたか。

 携帯電話と同じように「ビニール袋」に入っていたものは意外と平気でしたが、とにかく泥がすごくて……。家具が何をどうすればこうなるのかというくらいひっくり返っていました。台所のいすが吹っ飛んでいたり、1階の屋根にウイスキーのビンが刺さっていたり。なぜかトイレのドアにCDが乗っていて、謎の神バランスを保っていましたね……。

── 業務上もっとも失って苦しかったものは何ですか。

 仕事で十数年間やってきたもの(漫画やイラストの制作データなど)をすべて失ったのが、とにかくつらいです。完成データはどうにか提出したものを返してもらったりして集めようと思いますが……。資料に使っていた漫画本などの紙類は全部ダメになりました。業務上と言っていいかはわかりませんが、DVDやBlu-ray Discを失ったのもつらいです。

 水没したHDDを解体したところ、中で砂がマーブル模様みたいになっていて、こりゃダメだと思いました。ヘッドホンやスピーカーも全滅でしたが、防水イヤホンは問題なく使えました。7月27日にアップルが被災者向けに無償修理サービス(9月末までの受付)を発表しましたが、残念ながら水にやられたアップル製品はすべて廃棄済みでした。もう少し早く言っていただければうれしかったです。

 メーカー公式では言えないと思いますが「水に漬かってもワンチャンある(復活する可能性がある)家電一覧」みたいな情報があれば便利そうですよね。

── カンパサービス「kampa!」を使いはじめたことについて教えてください。

 自分自身はまったく知りませんでしたが、ツイッターで教えてもらってはじめました。最初は「Amazonギフト券をもらえるものなんだー?」くらいの認識でしたが交流のなかった作家の皆さまからも支援をいただけたのが本当に嬉しかったです。

※ソーシャルカンパシステムKampa!
https://kampa.me/
送金手数料無料でAmazonギフト券を送れるサービス。本来は文字通りカンパを募るのが目的。今回の件によって被災者支援にも有用であることがわかった。

── 仕事に必要な資機材の購入資金はすべて集まりましたか。

 ありがたいことに、どうにか仕事を再開できる程度には集まりました。

── 7月中旬〜下旬はどこでどのように生活・仕事をしていましたか。

 7月9日以降は実家に戻って生活しています。わたしはまだいいのですが、被災者の中には一度親戚宅に行ったものの気をつかう状況に耐えかねて「避難所なら皆被災者で話が合うから……」と、避難所に戻ってしまった方もいるようです。

 現状では絵を描く仕事が何も進められないので、被災前に受けていた仕事についてもクライアントに少し待ってもらわないといけない状況です。

── これからはどのように生活と仕事をしていきますか。

 しばらく実家で作業環境を整えてやっていこうかなと思っています。ただ、ずっといるわけにもいかないので、どこかのタイミングで出なければならないですね。

もしものときの順序を事前に考えておきたい

── 被災当時はどんな備えをしていましたか。

 何もしていませんでした。私だけでなく周りもみんな「(真備町は)災害が少ないし〜」とか言っていました。いま思えば完全に死亡フラグ立ててますよね。あと、よく非常用持出袋とか「避難グッズを備えておきましょう」と言われますが、実際に被災して、たとえ避難グッズがあったとしてもまったく足りないと実感しました。

── 今後どんな備えをしようと思いましたか。

 データ的なことを言えば、外付HDDに自動バックアップしておいて、火災発生時にはそれを持って即座に逃げようとは思います。進行中の作業データだけであればクラウドバックアップサービスで足りるのですが、過去の全データを保持しておくにはテラバイト級の超大容量ストレージが必要になってしまうためコスト的に難しいです。非常用持出袋は1つくらいあっても良いですね。

 あと、今までは災害発生時に逃げる流れをまったく想定できていなかったので、「もしものときに逃げる動線と、持って逃げるものを置いておく場所」をキッチリ決めておくべきだと思いました。どういう順序で何を優先して持ち出すべきかを、事前に考えておくのがいいと思います。

── 自治体などに期待することはありますか。

 河川の管理をしっかりお願いできればと思いました。水害を防ぐための河川工事が計画されていたようですが、完成するまで10年かかると聞いています。せめてそれまでに堤防の中で森のように生い茂った木をスッキリさせておいてほしいです。

 あと、被災した後でハザードマップの存在を知らされたので、事前に周知する取り組みがあってもよかったと思います。今回、避難場所であるはずの学校や市役所が水没してしまったので、安全な場所も改めて考えなおす必要があると思います。

 災害エリアメールが広範囲なために、情報が多すぎて、本当に逃げるのに必要な情報が埋もれてしまうのも問題だと思いました。避難指示については、文字だけでなく、地震の震度のような数字を使ったり、色をつけて状態をあらわすなど、直感的にわかりやすい指標を使うのも有効かもしれません。

 それから、防災放送で市のスピーカーから災害情報が流れていたのですが、雨音でまったく聞こえませんでした。介護が必要な方がいる家庭には防災無線のようなものを設置することを義務づけても良いのではないかと思いました。

 西日本豪雨からしばらく経って、周りの家などがどんどんつぶれてなくなっています。このまま真備町から人がいなくなってしまうと思うと、とてもさみしいです。自分たちも頑張っていかなければならないのですが、それについても、なんらかの公的支援があればいいなと思います。

●倉敷市への募金窓口:
倉敷市社会福祉協議会
http://kurashikisyakyo.or.jp/



筆者──Imaha486

 本業はしがないセールスエンジニア。連載を持っていた雑誌が休刊となってからは専ら仮想通貨をマイニングしつつ、なろう小説を書く日々を過ごしています。なお、今回の記事執筆に関する報酬は全て西日本豪雨被害復興目的に寄付します。皆様も被災地への温かいご支援を宜しくお願いいたします。

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