視力がなくても見える!網膜にビジョンを映すQDレ-ザ

文●コヤマタカヒロ 聞き手・編集●北島幹雄/ASCII STARTUP 撮影●曽根田元

2017年02月03日 15時00分

QDレーザの網膜走査型レーザアイウェア

 目の奥にある網膜に直接映像を照射するスマートグラス「網膜走査型レーザアイウェア」が登場し、注目を集めている。同技術を開発したのは、富士通研究所でレーザー技術の基礎研究や開発を長く続けてきた菅原充代表取締役社長が立ち上げたベンチャー企業のQDレーザだ。

 菅原氏は、1984年に富士通研究所に入社してから、半導体、レーザー開発を中心に行い、富士通研究所ナノテクノロジー研究センターセンター長代理を務めた人物。大企業の一研究者である菅原氏がどうして、ベンチャー企業の設立に至ったのか、アイウェアの開発につながる経緯とともにご本人から伺った。現在進行形で進むオープンイノベーションの見本とも言える同社の取り組みをぜひ知ってほしい。

QDレーザの菅原充代表取締役社長 工学博士

視力がなくても見えるレーザーアイウェア

 網膜に直接映像を投射する驚きのアイウェアとして「網膜走査型レーザアイウェア」が世間に登場したのは、2013年のMWC(Mobile World Congress)。ASCII上でも記事やイベントで好評を博しており、最も大きなところでは昨年の「CEATEC JAPAN 2016」で最高賞にあたる「経済産業大臣賞」と「米国メディアパネル・イノベーションアワード グランプリ」をダブル受賞するなど、注目が高まり続けている。

 メガネ型の形状から、レンズに映像を投影すると思われるかもしれないが、その投影先は網膜となっている。視界内に自然な形で表示が可能なARグラスとして、ビジネスでの作業支援やエンターテイメントなどへの応用など幅広い可能性がある。また、もともとの視力に影響を受けにくいという特徴から、主に前眼部の疾患に由来する弱視者に対する視機能支援を想定しており、医療機器としての応用開発も進んでいる。

 QDレーザが持つ目標の1つが、"レーザー技術"をベースにした新しい市場を生み出して、社会的な課題を解決したり、イノベーションを起こしたりすることだ。たとえば近年盛り上がっている、自動車の自動運転などでもセンシングなどでレーザー技術が使われているが、そのようなアイデアのひとつとして生み出されたのが、レーザーを使ったアイウェアだったという。

「網膜走査型レーザアイウェア」。なお、使用しているレーザーの出力は、安全に関する国際/国内規格、米国FDAの基準においてクラス1、「目に入れても害がない強さ」と定義されている

 「『網膜走査型レーザアイウェア』技術は、2013年ごろからレーザーを使った新しいアプリケーションを自分たちで作れないかと考えて研究開発するなかで生まれたもの。アイウェアの内側にプロジェクターが付いており、瞳孔を通して、網膜にレーザーを直接照射する仕組み」(菅原氏)

 レーザー技術を用いるアイデアとして、プロジェクターはごく普通に考えられるものだ。通常は目の前にスクリーンを置いてそこに画面を照射する。だが、同社スタッフが考えたのは極短焦点、網膜に絵を直接描くという方法だった。

 菅原氏は、この網膜に直接映像を映す発想自体は2010年に他社が実験していたことを知っていた。だが改めて自社の技術を使って、それを再度実現できないか検討を始めた。開発の中で気付いたのは、網膜に映像を映す方法なら、前眼部に屈折異常がある場合や、乱視が強い場合でも、問題なく投影できる特徴があることだった。

 「弱視の方にお会いする機会があり使ってもらったが、『実際に映像が見える』と言ってもらえた。光が通りさえすれば見える。網膜投影アイウェアを使用することで、ほとんど失明に近い視力の方が、0コンマいくつのレベルの視力まで戻る。これは、弱視の方の暮らしの質を向上させる医療用機器にできると考えた」

 開発当初ではまだ目の正面からレーザーを照射していたが、それから1年後、レーザーを斜めから照射する「斜め光学系」に変更となった。ここは同社のレーザーに対するコア技術の蓄積が生きている。

 網膜を通して、視覚に絵を描くためには、均一な形で一面にRGB3色のレーザーを調節して照射する必要がある。ゼロコンマ数ミリのオーダーで照射されるレーザ-の光をピタッと一致させなければいけない。さらに斜めから照射する以上、投射される光子は、わずかに楕円になる。この補正技術も重要で、各調整にノウハウが求められるという。

ヒトの視覚の再定義という将来も見える

 もともとは弱視者を対象とした医療用として考えていたわけではなかったが、この用途での効果があるとわかったため、一気に開発費を投入することになった。

 「最初は7000万円ぐらいの開発費だったが、2015年8月に6億円を調達、そして2016年10月末に15億円を集めた。しかし、このアイウェアを実現するために最終的に40億円は必要だと考えているので、この先、もう一度ファイナンスが必要だと考えている」(菅原氏)

 この「網膜走査型レーザアイウェア」技術を搭載したデバイスは完成に向けてすでに動き出している。2017年3月末には試作が終了する見込みで、海外工場での1000台規模での本格量産がスタートする見込みだという。

 まずは2017年中に民生品としての限定販売を開始し、同時に医療機器としての承認を進める予定だ。医療機関とも連携しながら、2018年中には視覚障害者向けとして販売することを目標にしている。また2019年度には、10万円を切る価格での一般発売を目標としても考えているという。

 もちろん資金調達をした一社だけではアイウェアの市場を作ることはできない。そこで、QDレーザでは、「網膜走査技術市場創出コンソーシアム」を設立。約20社のパートナーを集めて、市場を作っていくための活動をスタートし始めている。

 「まずはスマートグラスで何ができるか、市場を作っていく必要がある。これは鶏と卵なので、お客さまと一緒になってやっていきましょうと。たとえば医療用としては網膜のありとあらゆる視力を測る装置になり得る。画像や文字、動画の速さ、ダイナミックレンジなどを調整して見せることで、網膜の機能している場所、していない場所がわかる。そんな初めての装置にしたい」

 小型化、省エネ化が進んでいくと、ARにも使えるし、VRも作れる見込みだ。そもそも網膜に直接映すカメラと考えたら、背後を見たり、赤外線や紫外線も知覚できる。それこそ、ヒトの視覚の再定義という将来も見えてくる。

 「こんな広い内容はベンチャー1社ではできないので、大手や他のベンチャーと連携しながらやっていきたい」

 現在、アイウェアには可視光レーザーが採用されており、同社が力を入れる量子ドットレーザーは採用されていない。しかし、これも技術的なブレイクスルーを経て、採用される日が来るかもしれない。

 「僕らだけでなく、第二第三のアイウェアが出てくると思っている。ポイントは軽量化、小型化。それを我々のレーザーの技術でともに解決していきたい」

半導体レーザーという新しい市場を自分たちで作るという挑戦

 独特な「網膜走査型レーザアイウェア」だが、これはあくまでQDレーザで走っているプロジェクトの1つに過ぎない。

 もともと同社は2006年に、富士通と三井物産のベンチャーキャピタル資金を活用して、量子ドットレーザー技術を活かした製品作りを行うベンチャーとして設立された。

 「きっかけとしては2000年頃に通信バブルの崩壊があり、私たちが基礎研究していた半導体レーザーを事業化する部署が売却されてしまった。ではこの技術をどうするか。そこで富士通だけではなく、東芝や日立などから多くの企業の技術者が集まり、東京大学の荒川泰彦教授(東京大学ナノ量子情報エレクトロニクス研究機構長 生産技術研究所教授)がプロジェクトリーダーとなって、経済産業省と文部科学省の支援のもと、一大プロジェクトが立ち上がった。その一部として、量子ドットレーザーの開発をずっと続けていた」(菅原氏)

 しかし、このような国家プロジェクトは基礎研究が中心で、すぐに事業化には結びつかないことが多い。結局その後、2度目のタイムリミットを迎えることとなる。

 「国家プロジェクトはなかなか実用化するという方向にいかない。そもそも、お金になる技術なら会社でやるので、ああいうプロジェクトでは非常にベーシックなことをやる。だから、実用化プロジェクトといいながらなかなか結果が出ない。2005年にプロジェクトが終わるとなったときに、自分の研究もちょうど一段落をした。いいきっかけだったので、『じゃあ自分でやろう』と思いついて、会社を立ち上げた」

 会社設立にあたって荒川教授に相談したところ、三井物産で産学連携に注力している担当者を紹介してもらったという。そこで事業計画を相談したところ、逆に所属していた富士通のVC担当者とも話がつながり、富士通と三井物産の資金で、株式会社QDレーザを立ち上げることになった。2006年の4月。創業時は従業員4人でのスタートだった。

 長年培われた研究技術のなかから、菅原氏が起業にあたり準備していたコア技術の1つが、「量子ドットレーザー」だ。QDレーザの社名の由来でもある。

 「量子ドット(Quantum dot)」とは、大きさが数ナノメートルから数10ナノメートルの半導体微結晶。1ナノメートルは10億分の1メートルというサイズで、量子ドットはインフルエンザウイルスよりも小さい。これを用いた量子ドットレーザーは、高い温度安定性・低消費電力などの点で従来の半導体レーザーを大きく超える特性を持った画期的なレーザーとなっている。QDレーザは、量子ドットを高密度、高均一、多層化する世界最先端の量子ドット結晶成長技術を有している。

温度依存性が小さいため、従来よりも高温での動作が可能。砂漠や工場、地中資源探査といった過酷な温度環境下でのデータ伝送やセンシングなどさまざまな応用に適している

 菅原氏は、会社設立の時点から、携帯電話の基地局間の通信にレーザーが使えると考えていた。しかし、完全にゼロベースだったため、材料の調達や研究用の装置を購入するところからスタートする。また、機器そのものの生産は自社で行わず、水平分業での事業展開を考えて、まずは商品を生産してくれる協力メーカーを探すことになった。

 「当初からリスクマネーでのスタート。そのため、マイルストーンを設定して、その都度、資金調達をしてやってきた。最初にレーザーの事業を立ち上げるだけで30億円の資金が掛かっている。製品の製造も、多くのメーカーを回って、最終的にある大企業が引き受けてくれた」

 量子ドット結晶は、高真空中に置かれたGaAs基板の上にInとAsの原子ビームを照射して製造されるため、ガリウムヒ素が使われている。実はその大企業は、同じガリウムヒ素を使うCD/DVD用のレーザーを製造するラインを持っていた。同じプロセスラインが使えるため、ここに量子ドットレーザーのラインを流せば、競争力のある価格で、低電力消費かつ多くの情報を運ぶ高性能レーザーが量産できるのではという想定だった。

 「量子ドットレーザーには、さまざまな可能性があるが、まず光通信で利用が始まっている。たとえば、携帯電話の基地局は野外に置くが、その基地局間の通信を光で行う。携帯電話と基地局は電波でやりとりをするが、基地局間やインターネットにつなぐところは光通信でやる必要がある。我々のビジネスとしては、すでに通信用として累計350万台以上の機器を出荷している。とくに中国の光通信系で使われている」

 研究開発ベンチャーということで膨大な投資の一方で、同社のデバイス事業は昨年黒字化も実現しているという。さらに新たな事業も立ち上がっており、レーザーを用いてガラスを切るような精密加工や、バイオフォトニクス(生体物質の識別・保存・操作について光子を用いて行う最先端技術分野)向けのさまざまな新しいレーザーも発明し、製造しているという。

量子ドットレーザーの可能性

 将来的に、QDレーザーが手がけている量子ドットレーザーにはさらなる可能性がある。最も大きいのがLSIやCPU間のデータ通信での用途だ。菅原氏によると、2020年ごろには、LSIやCPUの処理能力の向上に、伝送部そのものの進化が追いついて来なくなり、ボトルネック化する見込みだという。そこを解決するのが量子ドットレーザーとなる。

 「インターコネクトという、シリコンチップ、CPUやLSIの間を光で結ぶという技術が今後立ち上がってくる。レーザーなら、伝送周波数はテラヘルツの領域なので、テラビットの情報が伝送できる。そこまで行かないといまの情報爆発には対応できないと思っている」

 光通信システムを高速化して、クラウドを数多く作っても、いずれ人間だけでは情報はさばけなくなっていく。増大するデータ量に対して、サーバーなどでの処理システムのスピードを飛躍的にあげる必要が出てくる。そのキーポイントが光であり、それに対応しているレーザーは同社の量子ドットレーザーだけだというわけだ。

 「たとえば、量子ドットレーザーは100~200℃の温度でも問題なく動く。ものすごく熱くなるCPUやLSIでも使える。いずれこれらの間の通信がすべて光になる。今後はコンピューターの中も光通信が当たり前になり、爆発的に使われるようになっていく。その最初の製品は、ウチのものになると思っている」

 実はすでにシリコンチップ間のデータ伝送も目の前に来ているという。2017年には、国内外2社から製品が出てくる。

 「シリコンフォトニクスのメーカー仕様のレーザー技術を渡して、彼らがモジュールを作って販売する予定。最初はLSIの側に置いて、光ファイバーのように飛ばす形だが、いずれはLSI、CPU間がすべて光になっていく」

 その段階になると年間何億、何十億の量子ドットレーザーが出荷されることになる。とてつもない規模だが、その未来は決して遠くないようだ。

オープンなコンソーシアムで市場拡大に期待

 QDレーザのオフィスは浜川崎にある。菅原氏に理由を尋ねると、自社の研究開発で液体窒素を扱うため、大型のタンクローリーが入れる場所を探して決まったという。技術をコアに持つベンチャーとはいえ、スケールが大きい。

 だが長大な開発で生まれたコア技術だけでなく、同社の重要な1点は、協力各社との水平分業によるオープンイノベーション志向にあるだろう。機器そのものの生産は自社で行わず、事業展開を国内各社と組んでビジネスに結実させているのは、1つのベンチャーを核とした産学連携での生きたオープンイノベーションの実例と言える。

 そもそもの研究の立ち上げから相当な期間を経て、”魔の谷”や”死の川”を超え、世界に名だたる半導体レーザーのリーディング企業として同社の技術は結実している。独自のレーザーアイウェアも含めて、あとは有する技術の実用での実現こそが非常に楽しみなところだ。

「網膜走査型レーザアイウェア」について、現状での実際の使用感をお伝えすると、肉眼で見ている風景の中に、長方形のスクリーンがそのまま映し出されているイメージが近い。直接網膜に届くため、ピントは関係なく鮮明だ。ただし、レーザー光の照射方向へ視線を向けないとスクリーンは見えず暗くなってしまう。


 この先、網膜走査型レーザアイウェアについてはさらには技術的にはさらなる向上が見込める。じつは、同社で有する量子ドットレーザーを活用した低消費電力・高性能バージョンの実現可能性もあるという。

 通信サービスの基地局間通信技術としての着実で高度な技術と、経営基盤を持ち、さらにベースとなるレーザー技術で新たな市場を開拓していくQDレーザ。注目を集めているアイウェアさえ、実はそのひとつに過ぎない。レーザー技術を用いて、社会問題の解決を目指す。また、オープンなコンソーシアムで市場の拡大も模索し、さまざまな市場の未来の姿を切り開こうとしている。

●株式会社QDレーザ
2006年4月設立。通信・産業・医療・民生用の広い分野で新しい半導体レーザソリューションを手がけており、提携企業各社と展開している。現在の資本金は約25億円。
スタッフ数は2017年1月時点で43名。メンバーは随時募集中。
網膜走査技術市場創出コンソーシアムでの企業参加も求めている。

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