知ってる? JR発車メロディのひみつ
文●盛田 諒(Ryo Morita)
2015年12月11日 12時00分
いまから26年前の春。1989年3月11日、JR新宿駅と渋谷駅に初めての発車メロディが鳴りひびいた。
国鉄が民営化されてJRになったのと同時に、けたたましい電子音だった発車ベルがなめらかなメロディに変わったのだ。時代の象徴としてとらえられたふしぎなメロディがつくられるまでには、とてつもない苦労があった。
複数のメロディが重なっても不調和になってはいけない。小さな音であっても遠くまで聞こえなければいけない。同じ調子でありながら、何年経っても飽きられてはならない──数々の課題を解決した先にメロディは完成した。
プロデューサーは当時ヤマハにつとめていた井出祐昭氏。
音の良さでたびたび話題になる映画館・立川シネマシティも、立体的な音響効果がおもしろい表参道ヒルズも、井出氏の音響設計によるもの。何気なく聞いている発車メロディの裏側にある、奥深い音響の世界を覗いてみよう。
話者──井出祐昭(いで・ひろあき)
ヤマハチーフプロデューサーを経て2001年に有限会社エル・プロデュースを設立。音の未来を研究開発する「井出音研究所」を2010年に設立。サウンド・スペース・コンポーズという新分野を確立。著書に『見えないデザイン サウンド・スペース・コンポーザーの仕事』(ヤマハミュージックメディア)。
数千年前までさかのぼった
──発車メロディに変わるまでの駅構内はどんな状況だったんですか。
まるでプロレス会場にいるような感じでした。
──にぎやかすぎるってことですかね。
サインもぐちゃぐちゃ、発車ベルがうるさいという苦情もいっぱい来ていたんですよね。それをとにかくきれいにしよう、放送設備を変えようということで、当時は「クリーン作戦」と呼ばれていたんです。もう1つは多かった駆け込み乗車をどうしたら減らせるか、というのもテーマになりました。
──2つの課題があったと。初めはどうやってつくりはじめたんでしょう。
普通こういうものは前例を見るんです。当時もご多分に漏れず探したんですが、前例はない。となると、自分の責任でイチから考えないといけない。
しかし新宿で200万人が毎日のように聞く音となると、いったん嫌いになったらすごいことになる。「3割の法則」というものがあり、200万人の3割が「よくなった」と答えてくれたら大成功だというものです。ヒット曲をつくるようなもので、200万人のうち3割には好かれなければいけない。
そうなると、普遍的なバックボーンに乗っかった作りにしないとだめだろうと。「ドレミ、ドレミ……」と直感で作ったとしても、なぜそうなのかという理由がつかない。そこを見つけなければと、数千年前まで調べたおしていきました。
──数千年前っていうと。
狼煙(のろし)までいきました。
──もはや音じゃないところまで。
時を知らせるもの、情報を、とくにどこかに行くきっかけを与えるもの、危ないと知らせるものについて調べまくったんですね。
──結局見つかったんですか?
結論から言うと、ありませんでした。なのでもう自分たちで作るしかないとなり、困っちゃったなあということになって。で、実際にラジカセを持っていって、ホームの端でいろんなタイプのメロディを流してみたんです。そのうちの1回、杖をついたおじいさんがいたんです。昼14時くらいですか。いろいろなメロディを流していたとき、1つだけ、そのおじいさんがニコッと笑った音があったんです。
──なんですかそれは。
ヒントは鐘の周波数成分にあった
鐘のような音だったんです。
──ああーっ、鐘!なるほど!
わたしたちも「あっそうか、鐘か!」と。鐘で時を知らせる、情報を知らせるというのを西洋・東洋を問わずやってきました。最初に衝撃音がドンときて、そのあとボワンワンワンと音が響く。「音で張り倒して、抱きしめる」みたいなもの。1つの音色なのに、時間によって「早いもの」「遅いもの」「強いもの」「優しいもの」が同居している。そういうものだからこそ続いてきたんじゃないかと。
──鐘の響きそのものに「情報を伝える音」のヒントがあったと。
お寺でいえばお寺ごとに独特の音色があり、アイデンティティがある。せーので鳴ったとき、音楽的には不協和音なんですが、ふしぎと調和が成立する。1つの音が良くても、複数になったとき嫌な音になったら、長続きしないでしょう。
で、当時の新宿駅は全部で14番線あったんです。同じ電車が夜と朝でちがうホームに行くということがあった関係、12種類のメロディを作ることになりました。12種類あるということは、12種類のお寺があるようなものですよね。
一言でいうと、すべて鐘の音の倍音でメロディをつくったんですね。それをシンセのサンプラーで時間的にバラしたり、楽器を変えたりしていた。なので、せーので鳴らすと鐘の音のように聞こえるんですよ。
──いちばん苦労させられたのはどこですか。
矛盾する要素があったことですね。たとえば、発車を知らせなければいけないけど、焦らせてもいけない。それぞれをわからせないといけないけど、サウンドとして不調和にならない。ちっちゃい音だけど、遠くまで認識できる……。
そしてもっとも難しいのは、毎回聞くたびに印象が変わる、飽きない。これを物理的にやろうとするのは理論的に矛盾するのでとても難しかったですね。
──めちゃ難しそうですけど、どうやって解決したんですか。
写真:haru__q
発車メロディは「音のピクトグラム」
鏡のように「いまの心境」が映るようにしたんです。明日になったら明日の心境が映る、心境によって明るい暗いがわかるように。
──そんなことできるんですか。
音楽療法で「同質の原理」というのがあるんです。たとえば落ち込んでるときC調の曲(俗語で「ただ明るいだけの曲」)を聴くと落ち込んでしまう。そこでチェロを弾く人がいて、気分に合う曲を、カウンセリングしながら探していくんです。鬱っぽいと言われたらマイナー調の曲を弾く。それでコミュニケーションしていくことで心の扉がひらいていく。
──気持ちと音楽がシンクロしているように感じるんですね。
発車メロディにもそんな鏡のような構造のメロディを入れることで、「ああ、今日は嫌いな人に会わなきゃいけない……」とか思っているときでもクリアできる。たとえば鐘の音は結婚式のときは明るく、葬式のときは暗く聞こえますよね。
──音楽でありながら信号的であるようなものを心がけたと。
一度は音楽寄りに行ったことがありましたが、もう一回信号寄りに戻して、まんなかの領域……ちょうど「中道」を行くようなものをめざして。足して2で割るのではなく、音楽でもあり信号でもある、新しいジャンルをつくろうと。その点、いまは着メロの駅版みたいになっていますが、あれは絶対ダメだと思っています。
──童謡を使った発車メロディとかですね。ダメですか、あれは。
まるでCMを作っているようなものですから。なぜこの曲かといっても、誰かが住んでいたとか、そんな理由ばかり。それは発車ベルではありません。メロディが重なるとぐちゃぐちゃになってしまうものも多いです。ジャンクなカルチャーとしては成立するかもしれませんが、もう少し整理する必要がありますよね。
そもそも発車メロディは、譜面を書いてつくったわけではなく、技術から作ったものですから。「何のための音なのか」というのが成立していないといけません。あれはオリンピックまでに考えなおしたほうがいいですよ。わたしたちも、もっと「ピクトグラムの音版」のようなものを考えていくべきだと提案しています。
──電車の発車メロディをつくったあとはどんな仕事を。
45歳までは空間系の仕事をやりまくってましたね。
──空間というと、どういう仕事になるんでしょう。
写真:挪威 企鵝 表参道ヒルズ
聞こえなくても「感じる」音を
建物をつくる建築家たちと一緒になって動いていたんですね。そのとき気づいたことは「音の監督」がいなかったことでした。
──どういうことですか。
空間という視点で見ると、建築・内装、スピーカーなどの建築(音響)や電気音響があり、作曲家がいて、照明がいる。照明には照明デザイナーという仕事があり1つのチームができますが、ふしぎなことに「音響の監督」はいなかったんですね。なので、そこをやってみようじゃないかと。
音は分野でいうと感性工学。「全体をこういうイメージでまとめたい」という抽象思考に音は強いんです。むしろ、全体をまとめるのは音の人だったりする。音屋として入っていきつつ、チーフプロデューサー、プランナーのような役割として入っていけるようになったんですね。
──建築という理論の世界を音響でリードしていこうと。いまも空間系の仕事を続けているんですか?
いまは「全体を監督する」役割や、音の本質的な効果を医療に役立てるべきだと考えているんです。音が医療に近いところにあるんじゃないかと気づいたことがありまして。
──医療ですか。
会社の研修で老人施設に行ったことがあり、そこにバンドをやっている80~90歳くらいの人たちがいたんです。そうじゃない人たちは寝たきりになっていた。それを見て、音楽をすることはすごいことなんだ、いつかこれを仕事にしようと。
その後、アメリカで立体音響をどうやって産業に入れるべきか(通信会社大手)AT&Tと一緒に市場調査をやっていたことがあったんですが、スタッフの1人に父親がロッシュという製薬会社大手の上層部にいるという人がいた。そのスタッフが、「音楽は、がんの苦痛改善に役立つんじゃないか」というんです。
そこでMDアンダーソンがんセンターというヒューストンの医療センターに行き、臨床研究をはじめました。実際に病室に化学療法として入れてみて、苦痛がなくなるか臨床研究をやったんです。指標そのものがないので大変苦労し、3年かけて、ラジカセやテレビと比べても優位性があるということが証明できました。
──いわゆるペインコントロールに音響を使おうと。
いまはそれをもっと一般的に導入できないかということで「ソニフィー」というソフトを開発しています。背景とともに159曲が入っていて、それを病院にどんどん入れてもらっています。ただ癒しのBGMをつくろうということではなく、研究によるエビデンス(医学的根拠)が見込めるものを中心にして。
眠りの分子であるメラトニンの動きをスパコンで分析し、音に変換する「眠れるプロジェクト」というものも始めています。人間の体を分子レベルで音に変換すると、どう体に影響するのかを調べているんですね。いわゆる「眠れる音楽」というものはCDとして出ていますが、ぼくらはもうちょっと科学的にできないかと。
──スパコンって。もはや音というかデータの会社という感じですね。
実際、研究を通じてデータもたまってきているので、あとはそれをどうやってアウトプットするかです。ネットワークをどこまで増やせるかが重要になります。これは音の世界だけで終わらせる話ではないんですね。どこにも音がないのに、音を感じる。ゴールはそういうところにあるんじゃないかなと感じています。
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見えないデザイン ~サウンド・スペース・コンポーザーの仕事~井出 祐昭(著)ヤマハミュージックメディア
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