初音ミクは日本の伝統芸能だった

文●四本淑三

2011年09月17日 12時00分

初音ミクは文楽(人形浄瑠璃)だったらしい。写真は『艶容女舞衣』 冨田人形共遊団(滋賀県長浜市) photo: Wikipedia “Osonowiki” CC BY Ellywa

 なんとボカロは日本の芸能の王道だった、というのが今回の話。

 「なんか初音ミクってのが流行ってるんだって。よく分からないけどアニメみたいなキャラクターが歌う、バーチャルアイドルみたいなものらしいぜ」

 というのが世間一般のイメージなのだろう。もちろんイラストとして良くできている、可愛い、といったあたりは見た通りだが、ボーカロイド文化を支える普遍的装置(もう4年も人気が衰えないのだから、そう言って差し支えないだろう)としてこのキャラクターが機能し続けている理由が、正直言って私にも良く分かっていなかった。

 それはアイドルに入れ込んだ経験がないこと、宇宙戦艦ヤマトを経験しているはずのオタク第一世代であるのに、そうしたものを通過してこなかったこと。それが理由ではないかと思い、初音ミク登場以降は、日本のアニメやアイドルをマメにチェックするようになった。が、自分の実感値として何一つとして理解できないことに、大げさに言えばいらだちのようなものすら感じていたのである。

 そこに現れたひとつの回答が「初音ミクは人形浄瑠璃である」という、週刊アスキー総編集長の福岡俊弘さんの説である。

「初音ミク人形浄瑠璃説」としてざっくりまとめられてはいるが全体像がつかめないのである

 現在では文楽とも呼ばれる人形浄瑠璃は、300年も前に誕生した日本の芸能で、人形を操る「人形遣い」、音楽を奏でる「三味線」、物語の語り手「大夫」の3パートで構成される。今でこそ人間国宝もいる大変な伝統芸能だが、当時は完全な大衆文化であった。

 初音ミクは、そうした日本の伝統芸能の要素を持っているのではないか。たまに福岡さんがTwitterで書いているのを見かけるものの、まとまった原稿としては著していないらしい。そこでインタビューへと及んだのである。


ボカロは生きていないものに魂を吹きこむ芸能

―― 今日はTシャツまで合わせていただいてありがとうございます。

福岡 あ、今日は「ミクパ」帰りなんですよ。

週刊アスキー総編集長の福岡俊弘さん。8月16日~17日開催の札幌「初音ミクライブパーティー2011」が終わった翌日に取材させてもらった

―― そんな福岡さんを「ミク厨」とか「ミク廃」と呼びたいのですが、よろしいでしょうか?

福岡 ええ、全然構いません。でも、おっさんがミク厨とか言うとね、聞こえが悪いですよね。若い人に迷惑をかけるから、あんまり言わないようにしているんですけど。

―― なぜミク厨になったんですか?

福岡 4年前に初音ミクが発売された頃は、当然気にはなっていたわけです、パソコンソフトなので。なんとなく盛り上がっているという話は聞いていたんですが、何か立ち入っちゃいけない邪悪な罠みたいな、そういうものに違いないぞ、くらいのイメージでした。

―― あの、なんだか良く分かりませんが。

福岡 よく分からないですけど、なんかそうなんだね、ああ音声合成かな、くらいの感じでいたんです。

―― かな、くらいの感じがどうしてこうなりましたか。

福岡 去年の感謝祭(関連記事をひょっと観に行ったんですよ。発売からたった3年じゃないですか。あれっ、こんなことになってるんだと。衝撃が大きかったですね。生きていないものを生きているように見せたい、ここまで魂を吹き込むことをやるんだと。

※ 2010年3月9日、「ミクの日感謝祭 39's Giving Day」(Zepp Tokyo)。3Dの初音ミクが歌って踊るライブイベントだった

「ミクの日感謝祭 39's Giving Day」

―― それまでニコニコ動画で見たりとかは?

福岡 現象として流行っているのは知っていました。そうやって距離を置いて見るのが自分の立場だと思っていたので。ところが感謝祭を見たときに、ちゃんと物語になっているなあと。楽曲もそうだし。一曲一曲聴くと語りになっている。「悪ノ娘」なんか、正真正銘の物語じゃないですか。後からノベライズされたり。これは面白い芸能だなと思って。

【ニコニコ動画】【鏡音リン】 悪ノ娘 【中世物語風オリジナル】

能舞台はインタラクションのためにデザインされていた

―― 福岡さんはそれ以前から日本の古典芸能に興味をお持ちだったんですね?

福岡 うん、研究テーマでもあるので。歌舞伎は前から観てましたけど、文楽はここ5年ばかり回ってまして。人形浄瑠璃って本当に面白い芸能なので、これを皆に勧めて流行らせようとしている、非常に迷惑な存在なんですけど。今は大人気で国立劇場でもチケット取れないくらい流行ってますよね。

―― その福岡さんに、今日は人形浄瑠璃の話をお伺いしようと思っているんですけど。

福岡 じゃあ、日本の古典芸能の話から始めたほうがいいのかな?

―― ぜひお願いします。

福岡 まず能舞台ってありますよね。あれは張り出し舞台って言うんですけど、西洋の舞台だと、額縁の中に入った絵画を眺めるように観るわけですけど。ところが能の舞台は、客席の方に張り出しているんです。

―― ステージが低くて客席に近い構造ですよね。

福岡 それは演技を見せるためというより、客とのインタラクションを取るためなんです。主役には「シテ方」「ワキ方」の2つがありますが、ワキ方はお客さんに背中を見せて、客からの何かを受け取って、シテに伝えるんですよ。つまりシテと観客とのインターフェイスがワキなんです。だから客によって毎回違う舞台になるんです。客とのインタラクションで舞台空間を作っていくというのが、観阿弥、世阿弥親子の考えた能なんですけど。

中央にいるのが「シテ」、手前で背を向けているのが「ワキ」 photo: Wikipedia “Noh-stage” CC BY Toto-tarou

―― へええ。あの舞台の形にはそういう意図があったんですか。

福岡 たとえば歌舞伎だと花道でインタラクションが取れますよね。あそこで大向うさんが声をかけたりとかね。今は伝統芸能だからって、みんな大人しく観ていますけど、客はうるさいんですよ。下手な奴が出てくると「引っ込めー!」とか言うし。演者もそれは分かっていて「待ってました!」って声がかかるとノって語ったり、演じたりしていたんです。それって、ニコニコ動画みたいな感じでしょ?

―― ああ、正に。

福岡 あれは張り出し舞台だからですよ。この前、ニワンゴの杉本社長にその話をしたら「いやいや、まさにその通りなんですよ」って喜んでくれたんですけど。鑑賞するというより、お互いの掛け合いの中で生まれてくる。それが日本の芸能の王道なんです。

人形もMMDのように本物に近づいていった

―― 人形浄瑠璃はどうなんですか?

福岡 同じように人形浄瑠璃も張り出し舞台で、床と呼ばれる張り出した所で、三味線が演奏して大夫が語るんです。ここでもインタラクションが発生して、大夫と掛け合いがあるんですよ。でも、それを聴いて人形が演じるわけでもなく、大夫や三味線を見もしないで、人形遣いは人形を操作するんです。

―― あれっ。たとえばキューシートみたいなものはないんですか?

福岡 ないんです。まったくないらしいんです。

人形浄瑠璃について語る福岡さん。文楽の世界にはいわゆる“進行表”がないらしい

―― じゃあ即興なんですか?

福岡 演じるシチュエーションだけがある。通し稽古とかするんですか? って聞いたら「いや、本番前に一回やるだけ」って。リハなしなんですか? って言ったら「はあ」って。本番をやる中でどんどん合わせていくんですね。

―― それはセッションですね。

福岡 セッションですよ。たとえばですね、人間国宝の吉田簑助という人がいるんですけど、彼の弟子で桐竹勘十郎という人形遣いがいて、お父さんも優れた人形遣いだったんですけど、そのお父さんが亡くなって、追悼公演で勘十郎さんにいい役が与えられたんですよ。

―― おお、お父さんの跡を継ぐわけですね。

福岡 その時の演目が「夏祭浪花鑑」(なつまつりなにわのかがみ)という、主人公が義理のお父さんを刺し殺す話なんです。義理のお父さんは、娘をダシにカネをせびったりするような悪い男で、それが許せなくて。勘十郎さんは、この刺し殺す役を与えられたんです。そして義理のお父さんの役を、彼の師匠である吉田簑助が演じるんですけど、毎回変わるんですって、簑助の動きが。勘十郎さんはそのたびアドリブを余儀なくされるわけで、本当に殺してやろうかと思ったって言ってましたから、腹立って。

―― わははは。それは面白い。

人形浄瑠璃はとにかくアドリブが多く、役者泣かせだったという。「本当に殺してやろうかと思った」みたいな冗談が出ることもあったらしい。さもありなん

福岡 師匠はわざとやっていたんだって。そういう芸能なんですよ。それも三味線が演奏して大夫が歌っているレギュレーションの中でやるんですよ。感謝祭でも、ボカロPさんたちが楽曲を作る、まあ大夫さんの役割ですよね。それを絵師さんや動画師さんたちが絵を付けてくれる。それを最終的にボードに投影したりするわけですよね。それと最近はCGのクオリティが無駄に上がっているでしょ。

―― 最近、MMDはすごいことになってますよね。

福岡 あれを人形浄瑠璃の喩えで言うとね、近松(門左衛門)の頃は、人形って一人遣いなんですよ。人形一体を一人で動かす。だから左手は動かないんですね。右手だけで演技をして。それでも近松の生きている間、30年くらいはそれで流行るんです。でも近松が死んで3年くらい経った時に、突然人形が三人遣いになるんですよ。

―― 可動要素が細かくなったと。

福岡 そう。左手遣いと、足遣い、面遣い、3人で人形を遣うようになると、がぜん表現力が増してくるんですよ。本当に生きているようなものにしていくんですよ。

MikuMikuDance(ミクミクダンス)は誰でも使える3Dモデル。写真はニコニコ動画から「Love&Joyホームビデオエディション修正版【MMD】」 http://www.nicovideo.jp/watch/sm6653552

人間が演じる必要がなかった

―― そこまで本物っぽくしたいのに、どうして人間自身が演じないんでしょう? 人間が演じた方が早いとは思わなかったんでしょうか?

福岡 それは「見立て」ってあるじゃないですか。人間が出てくる出てこないという前に、架空のものに熱狂できるかどうかという素質ですね、その方が、まず問われるんだと思います。それが日本人は割とスッとできちゃう。

―― 落語の扇子で蕎麦をすするような仕草ですよね。

福岡 そういう見立ての文化なんだと思いますね。メタファーを何度もひっくり返していく流れがある中で、ひょっと人形が出てくるんです。人形芝居は鎌倉末期くらいから始まっているはずなんです。ちゃんとした文献が残っているわけではないんですけど。傀儡師(くぐつし)が、紙芝居をやったり、自分で作ったちょっとした人形で説教話を聞かせたり。それを生業とする人たちが出てくる。

日本の芸能には昔から「見立て」という伝統がある。初音ミクにも見立ての感覚が通じるという

―― 操り人形で人形劇をする、旅芸人ですよね。

福岡 近松が竹本座を作って本格的にやろうというのが18世紀なんですけど、それ以前に人形で行けるという目算があったんでしょうね。つまり日本人は、それまでに人形芝居にはまっていたわけです。そのルートを辿って行かないと、人間が出てこない理由というのも出てこない。その時に、もう日本人にはそういう才能があった。逆にそう考えたほうがいいんじゃないかと。

―― つまり人間の役者よりも先に人形劇の人形があったと。

福岡 逆に人は必要なかったということなんですよ。たとえば西洋の人形って気持ち悪くないですか? あれは不気味の谷の論理で、リアルを突き詰めていく途中で急に不気味になるという。日本人はその不気味の谷を避けるのが上手い、と思っていたんですけど、そうじゃなくて、わざと不気味に作っているんじゃないか。偶像に魂を込めたり思いを抱いたりするのは、宗教的に許されなかったから。でも日本人はすべてのものに生命を感じるじゃないですか。そういうものがどこから来たのか全く分からないですけど。

Image from Amazon.co.jp
表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)

―― 福岡さんのツイートをまとめたトゥギャッターで同じコメントしている人もいましたけど、たとえばロラン・バルトの『表徴の帝国』は天皇制の話ですけど、日本人は中心に巨大な空虚を抱えているという。それを敷衍していくと人形も同じ構造ですよね。

福岡 その通りだと思いますね。あとはね、人形のお姫様の顔は、たぶん今で言う「萌え」だったと思うんですよ。あと200年経って未来の人が『まど☆マギ』や『けいおん!』のキャラを見たら、なんで当時の人はこんなものにハマったかね、って思うかもしれないけど。そのお姫様の人形を(人形浄瑠璃で)逆さ吊りにして、鞭でしばいて火責めとかにするわけですよ。そりゃ萌えますよねえ。ヘンタイでしょ?

―― 18世紀の日本にもヘンタイと萌えはあったと。

福岡 たとえばね、江戸の人が作った『碁太平記白石噺』という江戸浄瑠璃があるんです。仙台のとある姉妹が、江戸に来てお父さんの敵討ちをするという話なんですけど。上方で流行っていたんで、江戸でも義大夫を語りたい人がいたんですね。当時の三井家のお坊ちゃんが言い出して、皆で作るんですよ。江戸的CGMですよ。「浄瑠璃作ってみた」くらいの感じですよ。

―― ニコ動に上げちゃったみたいな。

福岡 そうそう。それで何か萌え要素入れなきゃというので、妹は16歳くらいで、ずっと奥州で暮らしているから訛りがあるということになってたんです。江戸では当時、奥州訛りが流行っていたらしいんですね。姉はめちゃくちゃ綺麗な大夫で、妹はちょっとカワイイ系の仙台訛りの子。萌えの要素だけはしっかり入っている。それが文楽なんですよ。大衆芸能だから当然そうなんですよ。高尚なものでも何でもなくて、萌えの要素が入らないとみんな観に行かないわけで。

維新以前の大衆芸能がボカロで還ってきた

―― それなのに明治以降、人形浄瑠璃は衰退していくんですけど、刀狩りとか廃仏毀釈みたいなことがあったんですか?

福岡 僕もよく分からないのですが、当時、色んなモノを捨てていますからね。野蛮なものはやめようという流れはあったと思います。それが初音ミクでよみがえったのは、戦後的なものが終わったのかもしれないですね。若い世代は昔の芸能を知っているわけではないし。何かDNA的なものが働いているとしか思えない。

―― 日本人というのは元々、みんなでスターを創りだしていくのを楽しむ才覚があって、それがここしばらく、エンタメの産業化で封印されて来たのかもしれないですね。

福岡 みんなでひいきして盛り上がっていくんですよ。今のボーカロイドのシーンを見ていると、色んなコラボレーションがいろんな所で生成されているじゃないですか。しかも作者、読人知らずみたいなのが基本だったり。浄瑠璃の台本もほとんどが合作なんですよ。大夫さんとか皆で作っていた。それが明治維新で崩壊して、西洋的なクリエイターがいて、大衆がいてというモデルになったけど、やっとみんなで作って、皆で楽しむみたいなところに戻ってきたと思う。

―― ボカロの何がいいって、仕掛けられてない感じですよね。

福岡 そうなんです。仕掛けようと思った瞬間に失敗するんです。だから代理店が入ってもダメなんですよ。

ボーカロイドライブ「ドキ生」も、ボーカロイドイベント「ボーマス」も、どちらもファンが好きで始めているもの。つまりそういう“空気”をわかっている人がやらないとファンは敬遠してしまう

―― 初音ミク以前は、ドラマのタイアップでミリオンを生み出す手法も飽きられていたし、ドラマの視聴率も下がっていた。それがボカロで維新以前に戻ったと思うと面白いですね。

福岡 日本の作る文化というのは深いんですよ。深い上に皆が消費者になり得るんです。ニコ動のコメントなんかも的確でしょ? 作り手としてもすごいですし、消費する側としてもすごい。だからインタラクションできちゃうんですよ。海外で受け入れられて日本に逆輸入なんて話がありますけど、そんなことないですよ。日本で見出されたアーティストっていっぱいいるじゃないですか。そういう見る目がなかったら、いつまで経っても下手な絵でオーケーになってますよね。

―― 日本の絵描きの水準は異常に高いですからね。

福岡 海外のコミケ的なもの、アニメフェスみたいなものに行くと、みんな大したことがないんです。上手い人もいるんですけど、上手いと言ってもたかが知れてますからね。それくらいのものは日本に帰ると、あり得ない単位で存在している。その状況を考えると、日本は深すぎますよ。

wowaka君は近松の生まれ変わりだったのか!?

―― ボカロ界隈でマネタイズどうするみたいな話もありますけど、昔はどうやって経済回していたんですか?

福岡 みんなバイトして作ってたかもしれないですね。食えねえよって言ってたのかもしれないし。でもね、家元制度じゃないので誰でも入門オーケーなんですよ。その中でいいものだけが残って、その価値を高めることでエコノミクスは成り立っていたと思いますよ。竹本座も『曽根崎心中』の前まで相当借金を背負っていたみたいなんですけど、1ヵ月通しで満員になったおかげで、チャラになったという記録が残っているんですよ。

―― それはすごい。一発逆転の大ヒットだったわけですね。

福岡 そういえば全然関係ないですけど、普通、浄瑠璃って11段とかあるんですよ。朝から晩まで語るんですよ。朝から行って、ごはん食べて夜まで観るというのが当時の芸能ですからね。

―― フェスですねえ。楽しそうだなあ。

福岡 もう毎日がフェスですから。昼間の段なんかは、みんな弁当食べているから、弁当幕と言って、どうでもいい役者がどうでもいい演目をやるわけ。休めばいいじゃないですか。でもやるんですよ。その中で客の注目を引いたヤツがいい演者みたいなことになったりして。そうやって育っていくんですね。

―― システムとしても良くできてるんですねぇ。

福岡 それでね、写真家の杉本博司さんがやっている「杉本文楽」というのを観てきたんです。いま曽根崎心中は「生玉(社前)の段」から後しか語られないんです。「天満屋の段」「天神森の段」と3つしか語られない。でも、その前に実は「観音廻りの段」というのがあったんですよ。

「杉本文楽 曾根崎心中」。8/14〜16に神奈川KAATで上演された

―― 幻の段があったわけですね。

福岡 曽根崎は3段しかない短い演目なので、その前に我が国の大君、天皇をテーマにした演目(日本王代記)をやっていたんです。でも、さすがにその後に心中物って具合が悪いわけですよ。それで近松はどうしたかというと、お初が田舎客と上方33箇所の観音巡りをやる話を入れた。それが生玉の段なんですけど、今は演目としてやっていない。それを杉本文楽でやったんですね。僕も初めて聞いたんですけど、これがすごいんですよ。途中から語り口が速くなるんですよ。もうほとんど「裏表ラバーズ」みたいなもんですよ。

【ニコニコ動画】初音ミク オリジナル曲 「裏表ラバーズ」

―― 何ですかそれは!?

福岡 「えっ! ボカロ!? ボカロ曲なのこれ?」みたいな。途中から展開を速くしなくちゃいけないというので、もう語りが早口言葉みたいになって行くんですよ。wowaka君というのは近松の生まれ変わりじゃないかという。

―― それは録音とか映像はないんですか?

福岡 どこかで録画していると思うので、DVD出るかもしれませんけど。面白かったですよ。衝撃でしたね。ええっ! っていう。これ、暴走? 暴走かよって、思わずつぶやいちゃいましたから。

暴走 : もちろんBPM200オーバーが当たり前の暴走P(cosMo)のこと。

―― でも、そうやって喜んでたの、お客さんの中では福岡さんだけじゃないですか?

福岡 ええ、僕だけです。まいったな曽根崎、暴走だよって。最後は皆で三本締めですからね。いいなあと思ってこれは。

―― そんなライブないですもんね。ボカロをきっかけに日本の伝統芸能に親しんでみるのもいいかもしれないですね。

福岡 ええ、もうそれは。



著者紹介――四本淑三

 1963年生まれ。高校時代にロッキング・オンで音楽ライターとしてデビューするも、音楽業界に疑問を感じてすぐ引退。現在はインターネット時代ならではの音楽シーンのあり方に興味を持ち、ガジェット音楽やボーカロイドシーンをフォローするフリーライター。

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