インターネットはパッケージを解体する
この大きいと思えば小さく、小さいと思えば大きいインターネットの不可解さはいったいどこから来るのだろうか?
少し前、誰かがソーシャルメディアを評して「敵に回すとこんなに厄介なものはないが、味方にしようとするとこんなに頼りにならないものはない」と言っていたのを目にしたが、まさにソーシャルメディアを含めたインターネットの本質を突いた表現と言えるだろう。
われわれはインターネット上で散見するさまざまな人たちの意見や見解を「質的」にも判断するし「量的」にも認識しようとする。「なるほど、こんな考え方があるのか」という質的な受容と同時に、「この主張に賛同する人達はどれくらいいるのか? 反対する人達はどれくらいいるのか?」という量的な推測もかならず行なっているはずだ。そして、たいてい量的な憶測のアテは外れる。少ないと思っていたら実は多く、多いと思っていたら実は少なかった……ということになる。
こうしたとき、思い至るのは、インターネットに限らずデジタル技術はあらゆる情報をパッケージ化するのではなくモジュール化するという特質である。
ネット空間においてはひとつの大きな物語はユーザーによって解体され、ユーザーが独自に生み出す小さな無数の物語となって流通する。
だから日常の一瞬を切り取った「写真」はインターネットと相性が良いし、映画のような長大な映像とは異なる、尺の短い「動画」というカルチャーが生まれた。音楽がアルバムというパッケージから曲ごとの販売へと移行したのも同様の理由による。
(次ページでは、「インターネットで揺らぐ『筋の通った自分』」)
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