キヤノンは、東京オリンピックが開催された1964年に電卓事業に参入し、今年で50周年を迎える。50周年を記念して、9月18日にシャンパンゴールドカラーの電卓「KS-50TH」を発表した。KS-50THには、同社の電卓の歴史を紹介するブックレットが付属する。今回、その中身について聞くことができたので、紹介しよう。
電卓事業の参入には、カメラのレンズと大きな関わりがあった
1964年当時、同社が販売するレンズの開発には膨大な計算が必要で、設計者一人に計算担当の女性を2人配属していたという。それに合わせて、シンクロリーダー(印刷物の裏面を磁気記録媒体とし、表に書かれた内容を声で説明する装置)の事業に失敗。開発を担当していた電位技術者の手が空いてしまったので、エレクトロニクスで何かしたいと考え開発に取り掛かったのが電卓だったそうだ。
そうして1964年10月に発売したのが、テンキー式を世界で初めて採用した「キヤノーラ130」。生産台数6334台で、価格は39万5000円。当時の初任給が1万円台、国産乗用車の価格が数十万円だった時代だと考えると、かなり高額である。キヤノンは60年代後半から「右手にカメラ」「左手に事務機」という多角戦略を打ち出し、これが電卓事業へ本格的に参入していく大きな転機となった。
その後、市場が広がり、ライバルとなる電卓のブランド数は35ブランドに増えた。モデル数は1971年が174モデル、1972年は201モデルまでに増え、“生きるか死ぬかのサバイバル「電卓戦国時代」”に入っていった。そして電卓から電子英単語辞典/漢和字典やワープロへと事業を拡大していく一方で、電卓は文具へと姿を変えていくことになったという。
キヤノンは、電卓創業より28年後の1992年に事業部を丸ごと香港へ移転、「キヤノン電産香港(CEBM)を設立し、現在に至る。CEBM設立以降に販売している電卓はほぼ中国で製造されているそうだ。
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