開通から25年! 瀬戸大橋効果とは?
香川県出身のニッシー、かく語りき
Googleのページから検索機能を利用した人は気がついたかと思うが、今日10日のGoogleバナーは「瀬戸大橋25周年」を記念したものになっている。
瀬戸大橋は1978年に着工され、1988年の4月10日開通した。完成までになんと10年近い月日がかかっているのだ。本州の岡山県倉敷市から、四国の香川県坂出市を結んでおり、一本の橋ではなく、瀬戸内海をまたいでさまざまな島を繋ぐ10本の橋の総称が「瀬戸大橋」であり、本州四国連絡橋とも呼ばれる。利用料金は普通車で約5000円と、ちょっとお高い。
そういえば、富士見iPhoneクラブ(関連記事)の覆面であるニッシーは、香川県出身の「ごんぶと」男。このGoogleのバナー画像を見るやいなや「俺抜きで瀬戸大橋が語れるわけがない」と誰にも頼まれていないのに瀬戸大橋を語り出したので、サシミのツマ程度に聞いていただきたい。なお、もう25周年が終わろうとしているこんな時間に原稿を送ってくるほど、瀬戸大橋とうどんを愛している典型的な讃岐男である。
瀬戸大橋と聞くと思い出すことがあるんだ
テキスト by ニッシー(富士見iPhoneクラブ)
今日は瀬戸大橋が開通25周年なんだってね。ニッシーは香川県出身なので、富士見iPhoneクラブを代表して、瀬戸大橋のウンチクをみなさんに教えましょう!
まず、瀬戸大橋が香川県民に与えたファーストインパクトといえば、開通当初、本州から観光客が大量に押し掛け、観光客目当てのマズイうどん屋がいきなり乱立し、「讃岐うどんってたいしたことなくね?」と言われ、全香川県民(多分)が非常にくやしい想いをしたこと。
さらに、華々しい瀬戸大橋の登場で、同じ時代に交通の主役の座を奪われていった存在があったのをご存知だろうか? それが「宇高連絡船」だ。宇高連絡船とは、その名の通り岡山県の宇野港と香川県の高松港を結ぶ定期連絡船で、「橋で渡ればすぐだし、もうイラネ」と捨てられたのである!
実はなくなる直前、当時小学生だったニッシーは宇高連絡船に乗ったことがあった。その中で、最も印象的だったのは、さよならキャンペーンまっただ中だった連絡船内で、船長がサイン会を実施していたこと! そう、俺様ニッシーが人生で初めてもらったサイン色紙は、声優さんでもスポーツ選手でもメタルバンドでもなく、船の船長(おっさん)だったのだ!(※編註:シラネーヨ!)
色紙には連絡船のイラストに「さよなら宇高連絡船」と書いており、さらに、船長の名前が書いてあったとおぼろげながら記憶している。当時はすごくいいものをもらったように思ったんだが、いまはどこにあるのかさっぱり。
さらに、一緒にさよならしたのは連絡船だけではない。当時、連絡船では2階の甲板にうどん屋があり、おそらくニッシーの好きなうどん屋ベスト25くらいには入ったと思う。香川県はうどん県として、ありとあらゆる場所にうどん屋をぶっこんでいきますが、その船のうどん屋は本当にうまかった(ような気がした)。退屈になりがちな船の時間を紛らわせる最高の娯楽が、「海を見ながら食べるうどん」だったのだ。
しかし、JR高松駅がリニューアルした後、よく見ると駅構内に「連絡船うどん」という名のうどん屋が登場しており、おいおい連絡船関係ないじゃん! とずっこけたのは記憶に鮮明に残っている。
そんなわけで、「瀬戸大橋」と言葉を聞くたびに、高松駅のうどんが食べたくなるニッシーであった。今日も仕事はさておき、うどんを食べに行くつもりだ。