宇宙時代の新素材
カーボンナノチューブ採用の真意
ユニークな素材という点では、現在のところ注目度No.1と思えるのが、「カーボンナノチューブ振動板」。同社の「HA-FXD80」(実売価格7000円前後)をはじめとする最新のFXDシリーズで採用されている。
カーボンナノチューブとは、アルミニウムの半分の軽さで鋼鉄の20倍の強度という性能を持つ素材で、地球と宇宙ステーションを結ぶ軌道エレベーターの構造材としても期待されているもの。
このほかシリコンに代わる半導体として、中空空間を持つ構造を活かして燃料電池に応用するなど、さまざまな用途が期待されている。ちなみに、FED(パネルから電子を発生させることで蛍光体を励起して映像を表示するタイプのディスプレー。薄型テレビとブラウン管のいいとこ取りの性能を持つと言われる)に応用できると話題になったこともあった。言わば最先端のハイテク素材だ。
これをヘッドホンの振動板に採用したのが同社だ。軽さと強さは振動板素材に求められる重要な要素だが、これに加えてチューブ状の構造のため適度な内部損失も備えており、振動板としても理想的な性能を持つという。
ヘッドホンだけでなく、スピーカーでも三菱電機が実用化しており、テレビ用の内蔵スピーカーのほか、カーオーディオ用には大口径の振動板も使われている。
同社では、以前にカーボン振動板を採用したこともあり、その発展形としてカーボンナノチューブに挑戦した。ツインユニット採用の「HA-FXT90」(実売価格8000円前後)では低音用ユニットに採用。FXDシリーズではフルレンジユニットとして使っている。
伊藤:「カーボンナノチューブのような軽くて丈夫な素材で、もっと繊細な音を出せないかということを狙いにして採用しました。実用化にあたっては、ベース材にカーボンナノチューブを塗布するウェットコーティングとしています」
驚くことに、カーボンナノチューブの手塗りまで試したそうだ。さすがに量産が難しいために諦めたということだが、塗布する厚みが大きいと重くなるし、硬くなって素材のクセが出やすくなる。目指した繊細な音の再現のため、何度となく試作を繰り返したという。いわゆる新素材の採用で一番難しいのは、こうした素材の使いこなしだそうだ。
また、カーボンナノチューブ振動板は、カナル型の小型のものだけでなく、40mm口径の大型ドライバーユニットにも展開している。「HA-S500」(実売価格4000円前後)は、携帯性にも優れたコンパクトなオーバーヘッド型だが、その音は解像感の高い引き締まった低音が持ち味で、ベースの音階もしっかりと再現できるなど、こちらもなかなかの実力だ。
伊藤:「素材については、かなりいろいろなものを試していると思います。量産できるかどうかや、コストなどで断念したものもありますが、JVCケンウッドの目指す音が出せる素材であれば、今後もいろいろと使ってみたいですね」
HA-FXD80に注目すると、目新しいのは振動板だけではない。ステンレス削りだしのエンクロージャーの上部にドライバーユニットを装着する「ダイレクトトップマウント」構造を採用している。
多くのインナーイヤー型ヘッドホンでは、ドライバーユニットの音はイヤーピースがついた音道部分を経由して出てくるが、そのぶん鼓膜からは遠くなる。HA-FXD80は、カナル型としてはかなり低音再現性も優れているが、これこそがダイレクトトップマウント構造のメリットと言えるようだ。
伊藤:「鼓膜までの距離が短いほど空気の容積が小さくなるため、小さな振動板でも低音は出しやすくなります。もちろん、低音を出すだけでなく、質のいい低音を出すことにもこだわっています」
自らベースを演奏するだけに低音にはこだわりがあるそうだ。ダイナミック型は最低域まで伸ばすのは比較的簡単だが、数値にこだわるのではなく、量感を伴ったリアルな低音を狙い、最適な低音に仕上げているという。
伊藤:「ギターなどの場合、そうそう高いものは使えないので、エフェクターを追加して音を加工するわけですが、ちょっと背伸びしていいものを選ぶとやはり全然違うとわかります。ヘッドホンもそれに似たところがあって、まずはいい素材を吟味してそのポテンシャルを活かすことが重要ですね」
スピーカーの発想で作った
「ダイレクトトップマウント」構造という発想
ダイレクトトップマウント構造は言わばスピーカーと同じ発想だ。振動板が発する音は振動板の前と後ろから出てくるが、位相が正反対になるため、後ろから出る音を遮断しないと互いの音を打ち消してしまう。そのためにスピーカーにはバッフル板やエンクロージャーがある。基本的な考え方はヘッドホンでも同じだが、ヘッドホンの場合は振動板前方の音をポートを通じて出すなど、構造が少々違う。
ダイレクトトップマウント構造は、構造からしてスピーカーに近い。剛性の高いエンクロージャー(ハウジング)でがっちりと振動板を支えるため、不要な振動の発生が少ないというメリットもある。
また、エンクロージャー内の空気が振動板の動きを邪魔しないように、エンクロージャーの後ろ側には5つのマルチポートを設けて、空気圧を最適に制御している。
この発想はインナーイヤー型ではなく、オーバーヘッド型の高級ヘッドホン「HP-DX1000」(実売価格8万円前後)にも採用されている。大型の木製ハウジングを採用していることが大きな特徴だが、ハウジング内部には削りだしでエンクロージャーが設けられており、ドライバーユニットはそこに直接取り付けられている。
こうした構造で、ドライバーユニットの不要な振動を抑え込み、しかも木材の特性を活かした自然で美しい響きも再現している。
伊藤:「弊社もかなりの数のライナップがありますから、それぞれの音には個性を持たせたいと思っています。でも、特定のジャンルが得意といった片寄った製品にはしたくないですね。繊細な弦の音色も、ドスンとくるドラムの低音も両方出せる、どんな音楽も幅広く楽しめる音を目指しています」
ヘッドホンにはまだまだやり尽くしていない部分があり、素材の吟味や構造の工夫などいろいろと試していきたいことは多いという。伊藤さんとしては、演奏の熱さを伝えられるヘッドホンを目指しているという。ポケットにライブハウスを入れてしまうのが究極の目標だそうだ。
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