日本でのターニングポイントとなった2つの事例
1999年といえば、ネットスクリーンと競合するソニックウォールやウォッチガードなどファイアウォール・VPNアプライアンスのベンダーも徐々に増えてきた時期だ。この時期からブロードバンドの普及が本格化する2003年までに、NetScreenシリーズは定番ファイアウォールの地位を確立した。販売代理店である日立西部ソフトウェアから見ると、ターニングポイントとして、2つのユーザー事例が大きく関わっているという。
1つ目は、NetScreen-100を一気に30台導入した某官公庁での導入事例である。発売当初の1999年にスタートしたこの事例では、サーバの手前にNetScreen-100を並べ、庁内のネットワークをすべてVPN化するという事例だ。計画では、ファイアウォールやVPNのほか、先進的なロードバランシングの機能も動かして、サーバの負荷分散を図る予定であった。
しかし、NetScreen-100の製品の品質に当時は大きな問題があった。「とにかく絶対にこの案件は取りたいと勇んでいたんですが、ふたを開けてみればVPNがつながらない、ロードバランシングがきちんと動作しないなど、1カ月で100件くらいの不具合が見つかったのです」(野村氏)という事態に。野村氏たちが徹夜での検証作業を進めると共に、米ネットスクリーンにソフトウェアの修正を依頼した。しかし、難産のかいあり、不具合は次々と解消され、製品の品質は飛躍的に向上。導入も無事に成功したという。販社とベンダーのふんばりが製品の品質を上げたというよい例だろう。
もう1つは、大手通信事業者のインターネット接続のVPNサービスでの採用である。このVPNサービスは、ユーザー拠点に設置したVPN装置を設置・管理するサービスで、ADSLやFTTHの普及と共に、企業での需要が見込まれていた。しかも、大手通信事業者のサービスだけに売上的なインパクトはきわめて大きい。しかし、実はブロードバンド接続に必須のPPPoE(PPP over Ethernet)が、日本の仕様と米国の仕様と異なっていた。つまり、日本仕様のPPPoE対応を開発しなければ、採用はありえないということだ。
当時を振り返って野村氏は「ここは他のベンダーとの競争でしたね。我々は意地でも対応してもらいたい、開発費を出すから、独占販売させてくれとまで米ネットスクリーンにお願いしました。結局、2001年に話がまとまり、日本仕様のPPPoEに対応した製品を2002年に投入できました」と語っている。そして、これが大手通信事業者でのVPNサービス採用につながり、NetScreenシリーズの日本でのシェア1位は決定的となったのだ。
ベンチャーということもあり、品質的に不十分な問題もあったが、「総じて、米ネットスクリーンは非常に真面目で誠実な会社でした。無理難題だったかもしれない我々の要求に、きちんと応えてくれました。これが日本、ひいてはワールドワイドでの成功の理由だったと思います」と野村氏は米ネットスクリーンについて評している。
ジュニパーによる買収で品質に磨き
NetScreenも日本進出10年へ
日立西部ソフトウェアは、2000年に合併して日立システムアンドサービスとなり、その同年にも1Gbps対応のNetScreen-1000や超小型筐体のNetScreen-5などを続々と販売した。
日本市場においては、そのほかにもネットスクリーン製品を扱う販売代理店がいくつかあったが、日本語マニュアルを独自に作ったり、サポート面を充実させるなど、各社が切磋琢磨したことがプラスに働き、売上は着実に伸びたという。
そして2004年、米ジュニパーネットワークスが、約40億ドルで米ネットスクリーンを買収。NetScreenは同社のセキュリティ製品のブランドとして残り、今に至る。最近では、ファイアウォールやVPNのほか、アンチウイルス、IDS・IPS、アンチスパムなどを統合したUTM(Unified Threat Management)が主流になっているが、ジュニパーもNetScreenの遺伝子を引き継いた「SSGシリーズ」としてUTM製品を展開している。
日立システムでも、「通信事業者向けの製品を作ってきたジュニパーの傘下に入ったことで、やはり製品の品質は向上したと思います。NetScreenのリプレイス需要もあり、SSGは大きく成功しています」(野村氏)という現状になっている。
そして、1998年に日立西部ソフトウェアが日本でのNetSreeenシリーズの発売を発表してから、2008年12月をもっていよいよ10年を迎えた。今後もセキュリティの脅威は拡大していくだろうが、NetScreenやSSG製品は企業の安全なインターネット利用を支えていくことになるだろう。
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