ロックは銅像の撤去で死んだ
── 2月29日に、京大のサイトページに「平成20年度版 折田先生像について」という文面が掲載されました。これにより折田先生像のハリボテがひとつの文化として大学に認められたと見ることもできると思います。そうなると、作り手側の権威に反抗する「ロックンロール精神」が消えてしまう。これで折田先生像の歴史が幕を閉じる可能性はありそうですか?
える会長 こないだも掲示板に「もう終わりかな」みたいな書き込みをした人たちがいましたね。でも、それは作っている人の問題で、何とも言えないですね。僕は続けてほしいけど。まあ、「来年も作るかな? 作らないかな?」って想像するのも楽しいです。
ただ、ロックンロールか否かでいえば、ハリボテになった時点でロックンロールじゃないでしょう。本物の銅像と切り離した時点で、怖くなくなってしまう。でも、学生たちはそこまで真剣に銅像を見ていない。単純に楽しんでいるのが、ハリボテ以降の流れでしょう。
── なるほど。ある意味、学生運動時代から現在までの学生像を反映しているといえますね。
える会長 確かに銅像の落書きは思想からスタートしました。社会に怒っていたんでしょうね。その後、銅像をヤキソバンや花嫁にしているときも、まだ思想はあったでしょう。
ハリボテになってからはないと思いますが、突き詰めれば、同じような感情があります。作った人は、社会主義とか民主主義とかそういうのじゃなくて、学校そのものか、社会そのものか、綺麗になった校舎そのものか、分からないけど、何か気持ちを表現したいんでしょ。皆に見てもらいたい。
それはどんな形でもいいじゃないですか。自分の有り余ったエネルギーをどこに向けるかという話。昔の学生たちはそのエネルギーが政治の方向へ行ったのでしょう。でも本質的なところは、あふれ出る若いエネルギーですよ。だって、社会人になってあれやりたいって思います?
── 思わないですね(笑)
える会長 でしょ(笑)。学生が学生ノリでああいうことをやるのは、すごく健全だと思いますよ。
*次回は4月28日掲載予定
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