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あなたのオーディオの実力が試される名盤、半世紀以上の時をこえ

《ニーベルングの指環》2022年版リマスタリング盤試聴会

2023年03月18日 13時00分更新

文● ASCII

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 サー・ゲオルク・ショルティ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で1958~65年にかけて完成させたワーグナーの楽曲「ニーベルングの指環」全曲録音は、言わずと知れたクラシックの名盤だ。国内盤だけでも1968年のLP発売以降、リマスターを含め数多くのバージョンが存在しており、長年に渡る人気を維持してきた。

 この録音を、現代の技術で蘇らせるプロジェクトが進行中だ。デッカに保存されていたオリジナルマスターテープを192kHz/24bitでデジタル化。これにリマスター処理を施したDSDマスターを作り、SACD/CDのハイブリッド盤に収録していく試みである。オリジナルマスターテープからのリマスターは1997年以来、実に25年ぶりだという。

 ショルティの生誕110周年/没後25周年を記念した盤でもある。昨年秋から『ワーグナー:楽劇《ラインの黄金》』『ワーグナー:楽劇《ヴァルキューレ》』と順次リリースが進んでおり、3月には『ワーグナー:楽劇《ジークフリート》』が発売される予定だ。リマスター版の監督はアンドリュー・ウェッドマン。マスタリングはフィリップ・サイニーが担当。Studerの「A820」で再生した音をWeissのD/Aコンバーターで変換し、独自のワークステーションで調整したものだという。38本のオリジナルマスターテープには劣化が激しいものも含まれており、編集処理、酸化膜剥離のほか、55℃10時間の焼成による修復も必要だったという。また、テープヒスやノイズ除去のために「iZotope RX-9」「CEDAR Retouch」といったデジタルツールが用いられており、効果的で侵襲の少ない処理が可能になったという。なお、SACD盤のほかに、Dolby Atmos盤の配信も実施するという。

総額数千万円のシステムで聴き、制作の裏側まで振り返る

 この《ニーベルングの指環》2022年版リマスタリング盤の試聴会が2月1日に有楽町のKEF MUSIC GALLERYで開催された。

 試聴会ではオーディオ評論家の麻倉怜士氏と音楽ジャーナリストの山崎浩太郎氏が登壇。1997年にジミー・ロックによってリマスターされたCDと最新のSACDを聴き比べながら、表現する音の世界やリマスタリングの背景などを解説した。

 試聴用の音源として選ばれたのは下記の通り:

・ラインの黄金:前奏曲
・ラインの黄金:第2場の「さあローゲ、わしと一緒に下りて行こう!」
・ヴァルキューレ:第3幕「ヴァルキューレの騎行」
・ヴァルキューレ:第3幕第2場「ああ、悲しいこと!ああ、姉さん」
・ヴァルキューレ:第3幕第3場「ローゲよ、聞け!よく聞け!」

 試聴機システムは、価格2310万円もするKEFのスピーカー「MUON」のほか、マッキントッシュのSACDプレーヤー「MCT450」、プリアンプ「C47」、クラウンのD級8chパワーアンプ「CT-875」を使用し、高域・中低域・低域の各ドライバーを独立して駆動するという豪華なものだった。

 以下、山崎氏、麻倉氏のコメントを抜粋しながら本盤の聴きどころを紹介しよう。

山崎 「ニーベルングの指環はワーグナーが1876年にリリースした大変な大作。4連作という常識を破る内容で、発表当時は上演不可能とまで言われました。普通のオペラは歌劇場からの依頼で作るが、ワーグナー自身、何のあてもなく作曲したすごいもので、規模も巨大、時間も巨大、上演のためにバイロイト音楽祭を始め、そのための祝祭劇場まで作った、まさにイノベーションの成果と言えるものでした。

 この大作にふさわしいのがデッカとショルティの録音であり、ステレオレコーディングによる、レコード化を目的とした最初の商業録音になりました。ライブ録音ではなくスタジオセッションで徹底的に作りこんでおり、ステレオ音響を生かした内容になっています。ニーベルングの指環には、放送用に制作された録音も残っていますが、劇場中継ではなく、シェイクスピアの名曲を映画として残すのに似た、“作り込んだ音源である”という点に意義があります。巨大な規模でレコードを作る意義を教えてくれた作品とも言えます。ジョン・カルショーというプロデューサーは後に「ソニックステージ」(音の舞台)という言葉で表現しましたが、音質と演出にこだわり、音だけで実際の劇場では不可能な世界を作りこんで再現しました。劇場体験とは異なる作品との接し方を提案したものです。

カルショーの手記は黒田恭一氏のライナーノーツとして当初用意されていたが、後に再度翻訳(新版)され、これを山崎氏が手掛けた。

 カルショーは自ら手記を作り、4作品それぞれの録音テーマを書き残しています。また、1964年の“神々の黄昏”を録音する際には、メイキングのドキュメンタリーをBBCが制作し、スタジオの雰囲気、歌手やオーケストラ団員の表情、スタッフたちの作業方法などを視覚的に見せてくれました。これも大きな印象を与え、音と文章と視覚によって楽しめるメディアミックスの元祖のような楽しみ方を提案しています。これが後世にも親しまれた原因になったと思います」

麻倉 「私からはSACD化のポイントについてコメントします。録音方法やリマスターについてのポイントは4つです。ひとつめはカルショーとともに多くの録音を作ったゴードン・パリー氏が初めて指向性マイクを使ったこと。それまでのオペラは無指向性マイクを使い、前面に歌手がいて、後ろにオケがいる大まかな配置での録音が中心でした。本作では細かく指向性をコントロールすることにより、音の細かさとオーケストラの雄大さを組み合わせました。ふたつめはオリジナルテープに返ったリマスターはCD以降では初めての試みです。その理由はヴァルキューレを録音したスコッチのテープの剥離が激しかったためで、2022年リマスターではこれをドイツのプロダクションに持ち込み、55℃で10時間焼成し、ベースに付け直し、それをもとにデジタル化しています。第3は制作者の取材から分かったことです。現代的なハッキリくっきりとした音ではなく、カルショーやパリーが頭の中でどういうことを考えているかを徹底的に研究し、カルショーが使っていた編集用のオリジナルスコアの書き込みを参考にしたそうです。最後に録音会場の特性があります。使用したデッカのスタジオ(ゾフィエンザール)はもともとプールで、床の下が空洞になっていました。つまり録音会場そのものに楽器のような響きがあるのです」

 前段としてこのような背景の説明が合ったうえで、各トラックの聴きどころを示しながら、CDとSACDの比較試聴を実施、両氏が感想を述べた。

ラインの黄金の聴きどころ

麻倉 「ラインの黄金の聞きどころは冒頭のコントラバスです。Bフラットの音にホルンが重なって、各音につながっていきますが、そのあたりのクリアネスやダイナミズム。それから、チェロで波を描写していますが、その違いを聴いてほしいと思います」

(試聴1)

麻倉 「まず音量差がある。そして、何という違いでしょう……」

山崎 「冒頭のコントラバス、変ロ音から違いますよね」

麻倉 「あの音を中心に倍音が上と下から出ているような感じがします。これにホルンが加わってできる響きに注目です。CDでは平坦な感じの重なりですが、SACDでは動きがあってビブラートがすごく出ています」

山崎 「遠近感があるというか、離れた場所から音が出ていること、8人のホルンがどこにいて演奏しているかがはっきり分かりますね。カルショーによると、ここは非常に難しい部分で、実演では完璧に演奏することはほぼ不可能だろうとしています。8本のホルンが重なっていきますが、この48小節の間、指揮者はただそれが成功することを祈るしかないのです。いくら編集が可能だと言っても、その次のチェロが出てくるパートまで行かなければできません。そこまでは全員が神に祈ることになります」

麻倉 「手記にもありますが、カルショーとしても、とにかくチェロまで行ってくれという想いでいっぱいだったようですね。録音は深夜に及び、弁当を出したらワインを飲みすぎてしまったという逸話もあるようです(笑)」

山崎 「録音の最終日、ほんの少しだけやり直したいとなったそうです。演奏する彼らはセッションを2時間ほどやった後、オペラ公演をやって……という生活をほぼ毎日していた人たちなのです。何しろ年間300公演もこなしているのですから。『オペラの講演が終わった後に戻ってきてくれ、1時間だけでいいから』というお願いをして実現した部分だと言います。そのあとに少し時間があったので、最後の部分も休憩を取って録り直すことになりました。そうしたら全員がワインを飲んできてしまった。『大変なことになったなぁ』と思ったが、ウィーン・フィルはこういうときに限って神のような演奏をする、奇跡の力を持っていると書かれていますね(笑)」

麻倉 「ラインの黄金の録音は、その冒頭を聴くだけでも、オリジナルに返ったすごさが感じられると思います」

山崎 「オリジナルのLPに返り、それを再現しようという姿勢があるということでしょうか?」

麻倉 「2022年のリマスターに際しては、LPから始まるすべての音源を改めて聴き直し、もっとも普遍的なイコライジングカーブを作ったそうです。単にLPに返るだけではなく、すべての中で最高の音を目指し、カルショーの考えに迫っていこうとしたものになります。また、一度カーブが決めたら、あとはいじらないという点も徹底しています。作業を続けていくと、『この曲はほかよりも中音を少しだけ上げたい』といった気持ちが出てしまう場合もありますが、そこはぐっとこらえて同じ条件でデジタル化した音源なんだそうです」

(試聴2)

麻倉 「聴きどころはやはり、鍛冶屋で使う金床を18台かきあつめてきたところですね」

山崎 「金銀の細工をしている鍛冶屋の音の雰囲気を再現しようとした部分ですね。普通の劇場では揃わないものをやってみせたものです」

麻倉 「1997年版のリマスターはロックさんが担当していましたが、2022年版のリマスターを担当したサイニーさんは、その弟子になります。彼は2012年にもリマスターを手掛けていますが、その際にはオリジナルマスターの状態が悪いためあきらめ、師匠のロックさんが作ったデジタルマスターの調整をしました。つまり一度はあきらめた作業に満を持して取り組んだものとなります。聴き比べてみると、CDでは感じない会場の響きをSACDでは感じ取ることができます」

山崎 「各楽器の定位が分かり、クリアになっていること。そしてそれが、やせていないこと。ひとつひとつの倍音がきれいに聞えてくることで、それが響く空間が感じらえるのだと思います」

麻倉 「音の体積感があります。そこに違いがある。空間もあるし、ウィーン・フィルが出す音のすごさも感じます」

山崎 「金床18台は、ワーグナー自身が配置の仕方まで指定しています。実演の際には揃えられず省略してしまう場合が多いのですが、『その配置の通りにやるとステレオ効果が発揮される』とカルショーは言っています。金床を集めるだけでも大変ですが、打楽器奏者の数も揃わないので、ハープを弾いている人とかやる気のある人を集めて叩いてもらったらしいのですが、このことからもワーグナーが書いたものを実際の音にしてみようという執念が感じられます。

 その結果、オーディオのテスト用にも最高のトラックができたわけです。1年後にはここだけがやたらと響き渡っていたとカルショーも回想しています。これが鳴るかどうかでオーディオの性能が評価されたわけですね。それよりも前のオーケストラの動きについても聴いていてわくわくしますね。ステレオでやりとりをしているその雰囲気に触れるだけでも感じるものがある。

 ラインの黄金は、指環の中では前夜祭の上演となり、地味で人気があるとは言えない。言い方を変えると、作っても売れないと考えられていました。ある著名なプロデューサーはこれを作っているという話を聞いた際、『50セットも売れないぞ』と言ったらしいです。これは半分嫉妬で、半分本気だったと思いますが、実際そう思う人が多かったのです。でもやってみたら、誰もが予想しなかった大ヒットにつながりました」

麻倉 「それまでのモノラルの録音では、音は1点から広がっていたわけです。ステレオもなかったわけではないけれど、これよりも単純なものでした。ワーグナーをそのまま再現しようとした、カルショーの発想力というか、順応力は感嘆すべきものです。ステレオ効果の話が出ましたが、この音源には左右の広がりだけでなく、奥行きもあるんですね」

山崎 「はい。今回のリマスターではそれがとても明快です」

麻倉 「実は音場が議論されるようになったのはオーディオのシーンではもっと後なんです。最初はステレオ効果が関心事でした。でもこの録音を聴くと、音場に通じる空間の奥行きがしっかりと録れていた。これが初めて分かった面があると思います」

山崎 「最後にくるラインの乙女たちの歌唱については、ワーグナーのト書きでは、下で歌っていて髪の毛が上にあるとしています。カルショーは実はラインの乙女たちの声は下から聞こえますので聞いてみてくださいと言っています。で、評論家たちはみんな、『本当だ下から聞こえる』と驚いたそうですが、実際はうそだったそうです。当時のオーディオでは上下関係の表現が難しかったことの表れですね」

麻倉 「ただ、すごい音だし、そう言われればそう聞える面もあったんでしょうね」

山崎 「高低差とか響きの遠近感によって、下から聞こえるように感じてしまう。これがソニックステージの効果だと思うのです」

麻倉 「指向性マイクを使った点もそれに寄与しているのでしょう」

ヴァルキューレの聴きどころ

麻倉 「いよいよヴァルキューレの騎行を聴きましょう。ヴァルキューレたちが集まってくるシーンです」

(試聴3)

麻倉 「聞きほれてしまいますね。圧倒的なダイナミズムです」

山崎 「(ブリュンヒルデほか)8人いるヴァルキューレが順番に登場してくるわけですが、2番目の人なんか、かなり奥からせまってくる。そういう効果を出しながら、録音しています。プレーバックした際に『私の声はまるで雲の中にいるみたいね』といった感想も出たそうですが、本当にそうなんですね。そういう仕掛けを作って音を変えている。当時はまだ原始的なもので、今から考えれば、表現にはちょっと子供っぽい部分もあります。でもこのシステムで聴いてみると、納得できてしまう面がありました。聴けばわくわくして、確かにやってみたいよねと納得できます」

麻倉 「CDではやはり表現できる範囲がせまいので、そこまではいけません。やはりSACDの良さがありますよね。少し幼稚かもしれないが、すごく説得感があります」

山崎 「このわくわく感、そして倍音の響き、そして歌唱もよく分離してうるさい感じがしない」

麻倉 「別のイベントでは、小さなスピーカーを使って試聴しました。それでも十分な説得力があった。しかし、システムが良くなればなるほどその真価が発揮できる録音とも言えます。ヴァルキューレひとりひとりの個性がすごくよく出ていた。システムによっては、同じような叫び声にきこえるかもしれないが、実は異なっているのだと」

山崎 「方向性や距離感も全然違っています」

麻倉 「有名な話ですが、カルショーは格子状に番号を振って規定した場所で録音を進めたんですよね」

山崎 「カルショーは1957年に録音を始め、その7~8年後の1965年に録音を終えています。比べると、その間にどれだけデッカの録音の発想自体が進化したかも分かります」

麻倉 「システムや卓が良くなっていますよね」

山崎 「録音順はラインの黄金が最初で、ヴァルキューレが最後ですね。時間が空くけれども、カルショーたち注意したのは、4作品をまとめて聞いても違和感が出ないことでした。とはいえ違いは感じ取れると思います。迫力そのものはヴァルキューレやジークフリートでハッキリ出せるようになった」

麻倉 「使用しているテープも異なります。最初はアルテックスを使っていましたが、ヴァルキューレはスコッチのテープでした。それではトラック7の試聴に進みましょう。聴きどころは声です」

(試聴4)

麻倉 「SACD版はすごくクリアで、比べるとCDは分離があまりされていないと言うことがわかります。人が出てくるところで、やっぱり音の数が少なくなってしまうんですよね。非常にダイナミックレンジが広く、包容力がある録音だと感じます」

山崎 「余裕があるよね」

麻倉 「余裕がありますよね」

山崎 「この曲を書くにあたって、ワーグナーが1つこだわったのは、名前のない合唱じゃダメなんだっていうことなんですね。全員が実在しなきゃダメなんだってことです。なので、このヴァルキューレは8人全員に名前が付いているんですね。記事を書く身からすると、めんどくさくてしょうがないんだけれども(笑)。ヴァルキューレ1、ヴァルキューレ2、ヴァルキューレ3じゃダメですか? なんて思うこともあるのだけれど、とにかくワーグナーは全員に名前を付けたんですね。でも、こうやってきれいに聞こえてくると、名前をつけた意味がわかってきます」

麻倉 「どの声が誰かまでは分からないですけど、SACDを聴くと確かにキャラクターって言うものはあるなぁって感じますよね」

山崎 「8人それぞれの声が聞き取れるようなユニゾンになっていて、しかも大音量でも割れない。このソプラノの声は割れやすいと思うんですよね」

麻倉 「やっぱりヘッドルームというか、ダイナミックレンジに余裕があるんですよね。だから、もっと余裕を持って上にいけそうな気がするし、安心して聴けますよね。今回のSACD化によって、その響きに初めて触れられたって言うところも大きいんじゃないですかねぇ。LP盤の初期にもあったのかもしれないけれども、CD盤ではそれが失われてしまっていたのではないかと思います。本当の意味でカルショーの音を聴けたんじゃないですかね。

 それでは、最後の曲です。ここでは、ワーグナーの作り出した様々な動機が展開されます」

(試聴5)

麻倉 「最後にまとめも含めてお願いします」

山崎 「ワーグナーのオーケストレーションの凄さと、それがはっきりと聞こえることへの感動、こういう風に音が重なって、その結果としてこういう音がなるんだと言うことを聞き取れるんだ。これはほんとにすごいものだと思いましたね」

麻倉 「オーディオ的な観点で言うと、やはりオリジナルの音を聴くのは特別な体験です。今回、本当の意味でのオリジナルを初めて聞けたとも言えます。オリジナルの凄さが感じられる音源です。山崎先生もおっしゃったように、ワーグナーの音楽も凄いし、録音も凄いし、歌手も凄いし……。なんというか、天才たちの合算がオリジナルの中に入っていたことが分かります。

 もうひとつ挙げるとすると、SACDというフォーマットを見直しました。私自身、記事を書くために、過去のいろいろなCDを聴いてみました。比較には1997年版を使いましたが、同じジム・ロックでも1984年版の方がフラットな感じで、素直な音がするんです。1997年のリマスターはやや演出過多なんですよね。SACDはそこを全く作らずに、オリジナルが持っている演劇性と言うか、もともとあった音楽性をそのまま出せていると思うんですよ。そこがすごいところですね」

山崎 「(ショルティの指環と言えば)これはもう私が物心つく頃から、つまりクラシックに興味を持った時点で大名盤として君臨していました。だから、聴きはじめのころは構えていたんですね。少し批判的というか、偉そうなことを言ったりもしていたんですけれども、こういう音を聞いてみると、一番最初のラインの黄金を聴いて、どうしてみんながびっくりしたのか、なんでこんなに喜んだのかが分かる気がしました。先ほどわくわく感と言いましたが、主旋律だけではない、オケとオケの音が飛んでいるような部分でも、こんなにもわくわくした気分になれるということが初めて分かったというか……。だからこそ特別な録音なのですね。これを改めて実感することができました」

麻倉 「そしてウィーン・フィルの音がすごいですよね。制作者にインタビューしたときにも話題が出たんですけれども、これは当時の特別なウィーンの音が収録された音源なのです。ウィーン・フィルとショルティはものすごいコンビであり、ピカイチの人を集めた企画だったのです。そういう意味では、奇跡的に成立した録音と言える。ワーグナーのスコアがすごい、会場が取れ、スケジュールも取れた。録音も何とかやり遂げた……オペラの制作ってそもそも大変なことなんですよね。こういうすべての奇跡が集まった1つの集合体です。その全貌が今回のSACD化によって分かった気がしますよね」

山崎 「いまリリースされているのはヴァルキューレまでですが、ジークフリート以降のワーグナーのオーケストレーションはさらに複雑になっていきます。どういう音が出てくるのかも楽しみです」

麻倉 「CDはこう見ると、解像度が低いというか、どこかでなっているライトモチーフが聞こえない面があります。解像感の高さなのか、空気感なのか。このSACDでは小さい音であっても、すごくクリアに聞くことができますよね。そういう意味では、ワーグナーを楽しむために、音の良さはすごく必要だなって、改めて分かりますよね。想像以上の出来栄えだったと思うんですけれども、皆様いかがだったでしょうか?」

 麻倉氏はひとくちにマスタリングと言っても松竹梅があるとし、「今回のリマスターはオリジナルのこだわりをいかに損傷しないかというこだわりがある」と述べた。また、自身はまだ聴いていないが、制作者の取材で得たコメントとして、「Dolby Atmos版ではオリジナル音源に携わった関係者の声も参考にしつつ、2ch部分は変えずに、当時はこう聞えただろうなという空間性を微かにに入れたものになっている」ことを紹介した。基本的にはSACD盤と同じで、上にアンビエントを付けた形なのだという。

 そのうえで、「カルショーは先を見ていて、メディアもさまざまな種類のものが出るし、配信みたいなものも必ずやってくるだろうと予言していたんですね。そんな人だから、Dolby Atomosが当時あったら絶対やっていたはずです。2chでこれだけの空間性を追究したのだから……とインタビューでも語られていました」という情報も提供した。

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