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JAPANNEXT、ベッカー・サムエル氏のルーツを探る

漢字の読み書きもできるフランス人社長、日本でいきなり起業してうまくいった理由とは?

文●宮崎真一 編集●ジサトライッペイ

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JAPANNEXTの代表取締役 社長のベッカー・サムエル氏

 JAPANNEXTは以前のインタビュー記事でも紹介したように、フランス出身のベッカー・サムエル氏が日本で起こしたディスプレーメーカーだ。その背景は類を見ないユニークなもので、それが同社のユニークなモノ作りやビジネスの姿勢に活きていると感じた。ベッカー氏がどのように日本に興味を抱き、定住して起業するまでに至ったのか興味は尽きない。

 そんなベッカー氏が出張で祖国・フランスに帰国するという。そこで、ご実家に幼少期に日本に興味を抱いた縁のモノなどが残っていないか、もしあればそれを拝見しながらインタビューさせてもらえないか打診したところ、快く引き受けてくださった。というわけで、今回はベッカー氏の過去を振り返るとともに、JAPANNEXTの起業や現在のビジネススタイルのルーツを探っていこうと思う。

故郷はエクス・アン・プロヴァンス
歴史が古く、自然豊かな土地柄

――今日はよろしくお願いします。まずは、ベッカーさんの出身地を教えていただけますか?

ベッカー氏:南フランスのプロヴァンス地方にあるエクス・アン・プロヴァンスです。絵画に明るい方なら、画家のポール・セザンヌの出身地としてご存じかもしれません。子供の頃は日本から来られるセザンヌが好きな観光客の方もよく見かけました。エクス・アン・プロヴァンスは人口14万人ほどの小さい都市ですが、街から出ると山や森があってキレイなところです。特に、噴水が街のいたるところにあるのが有名で、温泉からお湯をひいてその噴水から出ている点が特徴的かもしれません。噴水の中には、そのまま水が飲めるところもあります。

ジェネラル・ド・ゴール広場にある「ロトンドの噴水」。ベッカー氏の家からも近いという

――生まれた場所もエクス・アン・プロヴァンスなのですか?

ベッカー氏:生まれはパリになります。ただ、当時、両親が住んでいたのはパリなのですが、父親がパリから少し離れた街に出張に行っていまして、そこに母親が会いに行った時に私が生まれました。ですので、厳密に言うとパリではないのですが……。その後、5歳まではパリで過ごしていましたが、5歳から8歳まではパリから500kmほど離れた山あいの街に移りました。そして、9歳から高校卒業までは、このエクス・アン・プロヴァンスに住んでいましたので、私にとって思い出深い土地は、やはりこの街になります。

――子供の頃のベッカーさんはどのように過ごしていたのでしょうか?

ベッカー氏:エクス・アン・プロヴァンスのメインストリートにあたるミラボー通りには、いろいろなカフェが立ち並んでまして、現地の人は平日でもカフェに集まって過ごしています。この通りは自動車の通行が制限されていまして、とても静かです。私は通学でこのストリートを通ったり、放課後に裏道を散歩したりしました。また、日本の駄菓子屋というとちょっと違うのですが、新聞を売っているショップで飴を購入して、友達と一緒に食べることもありました。

エクス・アン・プロヴァンスのミラボー通りの様子

ミラボー通りはメインストリートながらも、自動車の通行は規制されており、かなり静かとのこと

――かなりキレイな街ですね。

ベッカー氏:そうですね。フランス領になる前から、プロヴァンス地方の都として発展してきた街なので、歴史は結構古いです。プロヴァンス地方は地中海気候のため、ほとんど雨が降らないので湿度も低くて過ごしやすいです。また、自動車で30分ほどで地中海に行けますので、週末などはよく海に遊びに行っていました。サント・ヴィクトワール山には自動車で5分ぐらいなんですが、そこでロッククライミングやトレッキングなどもできます。あと、郊外にはラベンダー畑やオリーブ畑などもあって、かなり自然豊かな地域です。

セザンヌの絵画でもよく見られるサント・ヴィクトワール山。エクス・アン・プロヴァンスの東に位置している

ストリートでは、週に何回かマルシェ(市場)が開かれる。ジャムや野菜などの地元のものを売っているお店やパン屋などがあり、ゆっくり買い物が楽しめるという

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