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輸出企業か家計か、「日米インフレ格差」で経済政策が抱える難題

2021年04月21日 06時00分更新

文● 井上哲也(ダイヤモンド・オンライン

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写真はイメージです Photo:PIXTA

 米国ではコロナ後の経済急回復の期待からインフレ予想が高まる一方で、日本ではインフレ率の上昇を見込む向きは依然、少ない。

 日米の「インフレ率格差」の拡大の根底には、景気回復の力強さだけではなく経済構造のさまざまな要因がある。理論上はインフレ率の差は名目為替レートで調整されるとはいえ、経済政策のかじ取りは簡単ではない。

米国のインフレ予想
事業法人にも広がる

 米国の金融市場では年初からインフレ率の上昇をどこまで見込むかが焦点だったが、連邦準備制度理事会(FRB)の地域経済報告(ベージュブック)や供給管理協会(ISM)などのサーベイ調査が示唆するように、インフレ予想の高まりは事業法人にも着実に拡大しつつある。

 足元での実際のインフレ率上昇には、昨年の原油価格下落の反動や新型コロナウイルス感染からの経済活動の再開に伴う一部の財の供給制約といった、パウエル議長が「一時的」と評価する要因が影響を与えていることは事実だ。

 しかし、グローバルな経済活動の回復が、コロナ感染の抑制が進むに従って先進国から新興国へ広がる中で、原油を含むコモディティー価格への上昇圧力が一時的なものにとどまらず、相応の期間にわたって継続する可能性はある。

景気回復だけでなく、米中対立で
サプライチェーンの供給制約も

 また、米中摩擦が深刻化する中で、米中両国がそれぞれでサプライチェーンの再構築を進めるとすれば、その間の供給制約が財価格を押し上げるだろう。

 米国内の賃金動向に変化の兆しが見られることも物価上昇の要因になる可能性がある。

 FRBで金融政策を議論する連邦公開市場委員会(FOMC)では、経済活動が再開されても、コロナによって職探しを断念していた人々が労働市場に戻り労働参加率が回復するので、人手不足による賃金上昇は抑制されるとの見方が大勢だ。

 だが一方で、労働市場の需給はFRBの見通しを上回るペースですでに改善し、これからその効果が出始めるバイデン政権の経済対策による景気刺激が総需要をさらに押し上げることを考えれば、賃金上昇が回復の見込まれる対面サービスを含む、より広範な部門に拡大する可能性は無視できない。

インフレ率の上昇を
見込む向きは少ない日本

 これに対し日本では、市場関係者やエコノミストの間でインフレ率の上昇を見込む向きは依然として少数だ。

 下記の図表はこれまでの日米のインフレ率の差の推移を示したものだが、コロナ後も基調は変わらないとの予想が支配的だ。

 企業や従業員の双方が、もともと雇用の維持を優先する傾向が強いだけに、コロナ後、景気が回復軌道に乗り始めても、賃金上昇が加速するという可能性は低い。

 日本に特徴的な労働形態だった長時間労働と時間外手当の双方が、働き方改革とコロナによるテレワークの普及によって、ともに変わり始めているという構造要因も、当面の間は賃金の下押し要因になる。

 加えて、現状ではコロナ感染の収束が見込めず、ワクチン接種の遅れもあって、経済活動の本格回復が米国などに比べてさらに遅れるリスクがあるだけでなく、所得の伸び悩みや平均消費性向の低下のトレンドを考えれば、コロナ収束後、家計がそれまで控えていた消費を一気に増やすペントアップ需要も米国ほどの期待は持てそうにない。

 コモディティー価格の上昇やグローバルな供給制約の影響は、もちろん日本にも影響を及ぼし、このところの円安が続くことになれば、その影響を増幅する可能性はある。

 ただし、それは輸入物価の上昇であり、国内物価全般を押し上げるかどうかは、企業がそれらを用いて生産した消費財や投資財の国内販売価格に転嫁できるかどうかにかかっている。

過当競争や根強いデフレマインド
日本独自の構造問題が残る

 日本の場合、景気回復の力強さに確信が持てず投資や消費が増えそうにないという需要側の要因だけでなく、供給側にも、多くの産業で事業者数が多く過当競争的な状況が残っていることや、日本銀行が先日の「金融緩和の点検」で改めて認めたデフレマインドの根強さといった構造的な要因がある。

 そのことを考えると、日銀短観の結果が示唆するように、総じて見れば企業が最終価格に転嫁できる環境にはなりにくい。

 つまり、コモディ価格の上昇やサプライチェーンの制約といった海外要因が日本にも作用したとしても、日本のインフレ率が上昇する見通しは立てにくい。

インフレ率の格差は
名目為替レートで調整されるか

 こうしたインフレ率の日米格差は、日本経済に無視し得ない影響を及ぼすだろう。

 日本企業にとって、米国を含む海外のインフレ率上昇が投入価格を押し上げる一方、産出価格には転嫁しにくいとすれば、収益は圧迫される。

 同時に賃金が低迷するなど所得形成が弱い下で輸入物価が上昇すれば、家計の実質購買力もその分だけ弱くなる。

 つまり、日本経済の交易条件は悪化し、企業の収益や家計の所得が実質的に海外に流出することになる。この悪影響を緩和できるのは、理屈では名目為替レートが円高になることだ。

 実際にそうなるメカニズムも存在する。つまり、欧州はともかく米国との間でインフレ率格差が拡大すれば、名目のドル円相場には円高圧力が生じ得る。

 これは例えば、米国のインフレ率が2%で、日本が0%の場合、名目のドル円相場が2%円高になることで、両国内での貿易財の価格上昇率を均等化する。つまり、両国間での「購買力平価」での調整メカニズムによるものだ。

 今では為替を巡る異なる理論もあるし、実際にも日々の為替相場は多様な要因に左右されるので、こうしたメカニズムを信じて為替取引を行うことにはリスクもあるだろう。

 しかし、特にドル円相場の場合、過去の名目相場の長期的な円高トレンドの多くは、両国間のインフレ率格差と整合的な面がある。

 また、2010年代以降、金利差が広がれば円高になるというトレンドがかつてほどはっきりしなくなっている背後では、米国のインフレ率が以前より低下した結果、両国間のインフレ率格差が縮小したことも事実だ。

経済政策のトレードオフ
輸出企業支援か、家計の実質購買力維持か

 こうしたインフレ率格差に対して経済政策の今後をどう考えるべきだろうか。

 すでに見たように、米国でのインフレ圧力にも輸入インフレ的な側面があり、従って米国の交易条件や実質購買力を損ない得るという意味で、米国の企業や家計からもインフレ率の加速に対して懸念が起きる可能性はある。

 そうなれば、FRBによる強力な金融緩和策が予想より早く是正されることになるかもしれない。

 しかし一方で、FRBにはインフレ率上昇による悪影響を相応に容認した上でも、コロナによって相対的に深刻な影響を受けた人々の雇用や賃金を救済することを優先したり、長期にわたるインフレ率の低迷に確実に終止符を打つことを優先したりする選択肢もある。

 今は、当面はこれらの選択肢が採用される可能性が高いとみられる。

 一方で日本の経済政策には、輸出企業の収益や設備投資を支えることを優先して円安を指向しつつ、交易条件のある程度の悪化を容認するのか、あるいは内需企業や家計の実質購買力を保護するためにある程度の円高を受け入れつつ、輸出競争力は別な政策で支援するのか、という選択肢が存在する。

 その上で日銀は、選択される経済政策の影響を勘案しながら2%物価目標の達成を模索することになる。

 米国でのインフレ率の上昇が単純に景気回復を反映した動きであれば、日本も率直にそれを歓迎できるが、今の米国のインフレ予想の加速には景気回復とは別の要素も働いている上に、日本経済にもさまざま構造問題が作用している。

 日米間のインフレ格差の拡大で、日本は経済政策でトレードオフの関係にある選択肢のどちらを優先するかという難題を抱えることになる。

(野村総研金融デジタルビジネスリサーチ部主席研究員 井上哲也)

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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