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川崎フロンターレのレジェンド・中村憲剛、子どもたちに捧げる引退の言葉

2021年01月23日 06時00分更新

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

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Photo:Masashi Hara/gettyimages

多くの選手たちがサッカー界に別れを告げた昨シーズン。そのなかでも川崎フロンターレひと筋で18年間プレーし、二冠を手にしてスパイクを脱いだMF中村憲剛の決断は日本サッカー界に衝撃を与えた。以前から心中に秘めていた「40歳での現役引退」を実践したレジェンドがサッカー界のOBとして、そして父親として残したさまざまなメッセージをあらためて追った。(ノンフィクションライター 藤江直人)

35歳の時に決めた「40歳で引退」

 明治安田生命J1リーグに続く天皇杯全日本サッカー選手権大会のフロンターレ二冠達成という大団円で、18年間に及んだプロ人生を終えた憲剛は、ちょっぴり寂しそうな表情でこんな言葉を残している。

「本気の本気で、今日で終わりなんですね。いまはまだ実感がないですけど、この先、日を追うごとに実感していくんじゃないかな。自分は止まるけど、周りがどんどん進んでいくから。寂しさを感じると思うけど、自分は自分で新しい道が開けていると思うので、次のステージでも全力で頑張ります」

 35歳の誕生日だった2015年10月31日に決めた、「40歳になるシーズンでの現役引退」を実践した。中央大学の同期生であり、サッカー部のキャプテンとマネジャーという間柄から愛を育んできた、夫人の加奈子さんと2人で決めた引退には、引き際の美学とも言うべき思いが込められていた。

「この年齢で求められる選手のまま引退したい、という思いがありました。40歳というところで区切りをつけて、残された5年を、目の前の1年1年が勝負だと言い聞かせて頑張ってきました」

 ただ、もっともつらかったのが3人の子どもたちに、サッカー選手ではなくなると伝えることだったという。

妻と子どもたちに支えられた選手生活

「子どもたちのリアクションがわかっていたので、(最初は)直接話す自信がありませんでした」

 苦笑しながらこう振り返った憲剛は、小学校6年生の長男・龍剛くん、4年生の長女・桂奈ちゃんに手紙をしたためて枕元に置いたという。これから起こることを子どもたちが理解してくれたと信頼した上で、翌日にあらためて話し、フロンターレのフロントや鬼木達監督、仲間たちに秘めてきた決意を伝え、40歳の誕生日の翌日、昨年11月1日に緊急記者会見を開いた。

 自他ともにイクメンであると認める憲剛は、まだ幼い4歳の二女・里衣那ちゃんを含めた3人の子どもたち、そして加奈子さんに「すごく助けられたところがある」と話す。左ひざに負った前十字靱帯(じんたい)損傷の大けがからのリハビリが、暗転しかけていた2020年の春だった。

「ちょっと負荷が強すぎて痛みが生じて、リハビリのメニューがどんどん削られていったときが一番つらかった。その後に緊急事態宣言が出てクラブハウスにも行けなくなったなかで、左ひざの先行きが見えない時期と、国として、Jリーグとして、そしてフロンターレとして先が見えない時期とがちょうど重なってしまい、いろいろなストレスがあったと思うんですけど」

 思うように進まないリハビリ。それでいて、引退を決めていたシーズンがどのようになるかわからない。ステイホームを強いられた状況で自問自答を繰り返し、思考回路が袋小路に入りかけた憲剛を鼓舞したのが、家族から日々かけられた何気ない言葉の数々だった。

「ひざが痛いと言ってもしょうがないよ、みたいな感じで。いつ緊急事態宣言が明けるのかもわからないし、とにかくネガティブにならないように、子どもたちも小学校や幼稚園に行けないのに声がけをしてくれたなかで、一家の主である僕がそれじゃダメだろうと思うようになりました」

 サッカーを始めて久しい龍剛くんは、誰よりも父・憲剛を愛し、敬うナンバーワンのサポーターをいつしか自負するようになった。だからこそ約10カ月ぶりに復帰し、ゴールまで決めた2020年8月29日の清水エスパルス戦を喜び、引退する決意を聞かされてショックを受けたはずだ。

 12月21日に等々力陸上競技場で行われた引退セレモニー。自らをサポーター代表と位置づけ、必死に考え抜き、したためた手紙を憲剛の前で読み上げた龍剛くんは、引退を告げられたときの心境をこうつづっている。

「僕は今シーズンで引退すると言われたとき、夢なのか現実なのかわからないぐらい驚きました。そして、勝手にまだ先だと思っていたので自然と涙がボロボロ出てきました。でも、時間がたつにつれてお父さんの気持ちがわかりました。それがベストなタイミングなら残りの2カ月間を全力でサポートし、応援しようと思いました。そして、しっかりと目に焼きつけようと感じました」

 時間の経過とともに、憲剛の涙腺がどうしても緩んでくる。そして「引退、おめでとう。そして、ありがとう」とスピーチを締める前に龍剛くんが残した言葉がある。

「やっぱり物事は終わりがいつか来るから、美しくおめでたいことだと感じていました」

 この言葉には、リミットを定めて情熱を燃やしてきた憲剛の、選手としての立ち振る舞いを介して教えたかったことが凝縮されていたと思う。

少数派の大卒選手、ハンデをチャンスに

 中学、高校とこの先にさらにサッカーを極めていけば、別の次元で憲剛が示した偉大さに龍剛くんが気づく時が訪れるだろう。

 2020シーズンを終えた段階のJ1リーグ戦における通算出場数ランキングで、471試合に出場している憲剛は歴代で11位にランクされているのだ。さらにこれに“あるフィルター”をかけると堂々の1位となる。それは“大卒選手”であり、ジュビロ磐田などで活躍した筑波大学出身の藤田俊哉の419試合に大差をつけている。

 プロ野球と比べて旬の時期が長くはないサッカーでは、どうしても高卒の選手が通算出場試合数で上位を占める。加えて、憲剛の場合は最初の2シーズンをJ2で戦っている。さらに憲剛には「フロンターレに拾ってもらった」と言わしめる、加入時のエピソードがある。

 プロを志すも声がかからなかった大学4年時の憲剛は、自らを売り込む形でフロンターレの練習に参加し、約3カ月後に念願の内定を手にしている。現在よりもさらに華奢で、175cmと上背もなく、劣等感を抱きながらプレーしていたというアマチュア時代を振り返りながら、前述の引退セレモニーでのスピーチで憲剛はこんなメッセージを残している。

「体の小ささや身体能力(の低さ)はハンデじゃない。おそらく小中学生、高校生で悩んでいる子はいっぱいいると思います。でも、そうじゃないと僕のキャリアが言っています。みんなに可能性があります。自らフタをしてほしくないし、指導者の方も小さいから使わない、足が遅いから使わない、という目線で見ないでほしいと心から願っています。逆にそのハンデをチャンスだと思ってください。(中略)明日からまた新しい気持ちでボールを蹴ってほしいと思います」

 スピーチの流れのなかでは「フロンターレに入りたい、フロンターレを目指している子どもたち」へと位置づけられていたメッセージだったが、実際には龍剛くんを含めたサッカーを愛する日本中の子どもたちへ、そして日々奮闘する指導者へ伝えたかった、憲剛が抱く偽らざる思いだった。

 そして、一言一句を聞き逃すまいと必死に聞いていた、龍剛くん、桂奈ちゃん、里衣那ちゃんへ父親として、そして加奈子さんへはこれからも寄り添っていく人生の伴侶として感謝の思いを捧げた。

「パパは3人がいたからここまで頑張ることができました。3人にこの景色を見せられて父親として誇りに思います。(中略)加奈子さん、僕は多分、君がいなければここまでには育ってなかった。どんなときもポジティブなことを言ってくれて、前向きに自分とは逆のことを言って常に引っ張ってくれた。感謝しかないです。(中略)出会ったのは大学4年からですけど、ありがとう。これからもよろしくお願いします」

 自らを「こんな幸せな40歳はいない」と位置づけるように、最高の形で、万感の思いを置き土産にして憲剛はスパイクを脱いだ。試合展開との兼ね合いでピッチに立つことなく終わった、ガンバ大阪との天皇杯決勝を「これがいい筋書き」と笑顔で受け止めながら、憲剛は次なる人生をさまざまな分野で思い描く。

「フロンターレに入れる子どもたちを育てていくことも、フロンターレを大きくしていくことも、引いてはJリーグも日本サッカー協会もそうですし、日本サッカー界に貢献していきたい」

 フロンターレの永遠の象徴として、これからも日本サッカー界に貢献していくレジェンドの一人として、そして最高にカッコいい父親および夫として、憲剛は笑顔で第二の人生を歩んでいく。

(敬称略)

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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