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夢の肥満薬開発へ、「幸せホルモン」オキシトシンの大いなる可能性

2020年12月11日 06時00分更新

文● 高橋 誠(ダイヤモンド・オンライン

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写真はイメージです Photo:PIXTA

心を癒やし幸せな気分にするホルモンといわれる「オキシトシン」は、ストレス対策や肥満治療にも有効であるとされ、注目されている。折しも、新型コロナウイルスの感染拡大は「第3波」を迎えており、改めてストレスや肥満への懸念が続いている。そこで、世界のオキシトシン研究をリードする福島県立医科大学病態制御薬理医学講座の前島裕子特任教授に、オキシトシンの効果や可能性について聞いた。(医療・健康コミュニケーター 高橋 誠)

悪いのは「愛情ホルモン」というレッテル
実はもっと奥深い

 オキシトシンは、脳の下垂体から分泌されるホルモンである。女性が妊娠・出産・授乳する時に多く分泌される。心を癒やし、幸せな気分にする効果があるため「愛情ホルモン」として有名だ。

 実はオキシトシンは、哺乳類の雌のみでなく、雄も持っており、そのホモログ(進化系統上で同一の祖先から派生した、類縁性の高い器官や組織、遺伝子などの一群。塩基配列が非常に類似し、共通の遺伝子から由来している可能性が高いことをホモロジー=類縁度が高いという)を含めれば、昆虫、魚類、爬虫類、鳥類まで持っているペプチド(タンパク質とアミノ酸の仲間)である。

 つまり、オキシトシンは哺乳類に至るまでの進化の過程で保存され、進化に合わせてその作用も進化してきたと考えられ、生物が生きる上で、また「種の保存」ということからも非常に重要なホルモンなのだろう。

 オキシトシン研究の専門家、福島県立医科大学病態制御薬理医学講座の前島裕子特任教授は、大学院で学位(PhD)を取得し、神経内分泌分野で研究を始めると、たちまちオキシトシンの多彩な可能性に魅了された。

「オキシトシンは、『愛情ホルモン』としての側面ばかりが脚光を浴び過ぎている。その真価はもっと多様で奥深い。オキシトシンの謎を解明したい」

 昼夜を惜しみ、休むことなく研究に没頭する。ステイ・ホームならぬステイ・ラボの日々。前島特任教授の直感は当たった。

 抗ストレス、家庭コミュニケーションの改善、臓器へのストレス軽減、不安の軽減、自閉症の改善、薬物・アルコール依存の改善、リラクゼーション効果、臓器(肝臓・すい臓など)へのストレス軽減、疼痛緩和、食欲抑制/肥満解消など、心身に縦横無尽に働くオキシトシンの多彩な効用が、世界中で続々と報告され始めた。

マッサージが気持ちいいのは
オキシトシンのおかげ

 2000年以降20年のオキシトシン関連論文数は、2000年以前20年の約2倍。このことからも近年、研究者の間でも関心が高まっていることが分かる。前島チームも奮闘中だ。生活習慣病やエネルギー代謝領域で最高峰の米国学術誌「Cell Metabolism」(インパクトファクター15.950)などで、数多くの英文論文を発表し続け、世界中で注目されている。

 オキシトシンは「抗ストレスホルモン」として、ストレス反応の軽減や、痛みを緩和する効果もある。マッサージが「気持ちいい」と感じるのは、体へのコンタクトでオキシトシンの分泌が増加する一方、ストレス関連ホルモン(ACTH)の分泌が低下するためだ。

 前島特任教授は最新刊『最強の医師団が教える長生きできる方法』(アスコム)でも、「リンパマッサージの効果は科学的に立証されている。自律神経を整える、不安やストレスの軽減、腸の動きの改善など、さまざまな効果が報告されている。ヒトの手(体温と柔らかい感触)で施術するというところも大きなメリット」「静かな癒やし系の音楽は、交感神経を静め、副交感神経を活性化させる、ヒーリング効果がある」と述べている。

 ここでもオキシトシンが関与していそうである。

オキシトシンの分泌ができないマウスは
「育児」を放棄してしまう

 オキシトシンの多様な効果のうち、広く知られる中枢機能は、母性行動。オキシトシンの分泌ができないように遺伝子改変された母マウスは、なんと子育てや授乳を放棄してしまうそうだ。

 子ども側から見ると、幼若動物の母親との触れ合いは、社会的コミュニケーションを司る神経系の発達に関与している。マウス・ラットの実験で1週間離乳を早めるだけで、それらの動物は成長の遅滞は見られないにも関わらず、成体になってから高い不安とストレス反応、育児能力の低下を示すらしい。幼若期の親との触れ合いが希薄であると、成長後のコミュニケーション能力、育児能力が低下し、情緒が不安定になるという報告である。

 近年、児童相談所で増加する虐待相談対応件数が、コロナ禍でさらに加速している。

 まさにストレス社会の反映である。被虐待児は、他者の表情を読み取ることや、自分の感情を制御、調整することが苦手だ。共感性の発達にも困難が生じる。前島特任教授はこれらの現象にオキシトシンが大きく関与していると考え、世の親御さんたちに、「子どもの脳の健康な発達には愛、つまりオキシトシンが必要です。イライラした時こそ深呼吸して、子どもを抱きしめてほしい。親子でオキシトシン分泌を増やし、この困難を乗り越えましょう」と呼びかける。

 相手と触れ合う行為はオキシトシンの分泌を促進する。「夫婦の触れ合い」はオキシトシンの分泌を増やし、絆や信頼を高める。夫婦の触れ合いが少ないと、オキシトシンの効果が発揮されない。お互いの行動に対して許容範囲が狭くなり、夫婦間の行き違いを増やしてしまう。

「長年連れ添ってお互い空気のような存在になってしまっている。このような時にも、ぜひ夫婦でお互い手を広げ、ハグしてみてほしい。照れくさいかもしれませんがお勧めです。オキシトシンが分泌されて安心感・信頼感を持てるはずです」(前島特任教授)

前島チームによる世界初
夢の肥満薬の開発へ高まる期待

 近年、日本を含む多くの先進国で肥満の人口が増加している。

 肥満は糖尿病、高血圧、高脂血症をはじめ、多くの疾病を引き起こし、深刻な問題となっている。肥満はエネルギー摂取量が消費量を慢性的に上回ることで引き起こされる。エネルギー摂取、つまり摂食(食べること)とエネルギー代謝研究は、ますます過熱する研究領域である。

 前島特任教授は、これまで摂食抑制ホルモンとしてのオキシトシンを研究領域の中心としてきた。オキシトシンをマウスの中枢および皮下、腹腔内に投与すると、摂食量、体重、内臓脂肪の減少、そして脂肪肝、耐糖能の改善、エネルギー消費量の増大が見られた。オキシトシンは直接脂肪細胞に作用し、脂肪分解を促進する。また、すい臓のβ-細胞に作用しインスリン分泌を促進する。オキシトシンの鼻からの投与でも摂食量の減少がみられた。

 オキシトシンには薬物やアルコール依存改善の作用も報告されている。肥満の主な原因は過食=「食べることへの依存」と考えられる。オキシトシンの点鼻投与による食欲の抑制はBMI35以上の高度肥満者で顕著な効果が表れる。非肥満者では効果は薄い。これはマウスでも同じことが分かっている。

 しかし、ヒトにオキシトシンを点鼻投与した研究では、体型に関係なくオキシトシンは甘いものの、摂取量を抑制するというデータが出ている。現代人の多くが「砂糖依存」という報告があり、この砂糖依存は血糖値の乱高下を引き起こし、肥満、糖尿病を助長させる。そのような観点からもオキシトシンは優れた「抗肥満薬」と考えられる。

 前島チームの最新の研究では、注射や鼻からの投与が一般的であるオキシトシンを経口投与する新しい方法を、世界で初めて考案した。内服にある工夫を加えると、オキシトシンの血中濃度が上昇し、マウスの食欲が抑制されたのだ。「オキシトシン飲み薬」に秘められた大いなるダイエット効果の発見。ヒト臨床のハードルを乗り越え、「夢の肥満薬の開発」への期待が高まっている。

オーガズムでオキシトシン濃度上昇
たった9個のアミノ酸が織りなす生命の奇跡

 オキシトシンは多くの研究から「心と体の健康に良い効果」をもたらすことが明らかになっている。

 しかし、世間で曲解されているような「性行動」にはほとんど関係ない。性交におけるオーガズムにより血中オキシトシン濃度が上昇することは確認できているが、これは「つがい」として絆を深める役目を担っているのではないだろうか?

 実はオキシトシンは動物において「一夫一婦制」の形成に大きな役割を担っている。人間含め哺乳類の9%の種が社会的一夫一婦制の形態をとっている。安定的なペアの形成が死亡率の低下も含め、免疫力、心血管系などへの良い影響を与える生物学的意義がある。パートナーのいる男性にオキシトシンを点鼻投与するとパートナー以外の魅力的な女性に対して距離(social distance)を多く取るようになるという興味深い研究がある。

 またfMRIを使った研究で、男性においてオキシトシンは報酬を司る脳部位を刺激することで自分のパートナーに対する魅力と報酬的価値を高め、「ロマンチックな絆」を深めるという。女性でも男性のパートナーに対し、同様の報告がある。

 従って、「つがい」として最も効果的に絆を深めるには、性交の際に両者でオーガズムを感じることが大切であろう。安定的なペアの形成に寄与するオキシトシンは、まさにホルモンによる生存戦略であり、この巧妙な進化には畏敬の念を抱かざるを得ない。

最強の医師団が教える 長生きできる方法『最強の医師団が教える 長生きできる方法』(アスコム刊)、福島県立医科大学の前島裕子特任教授ほか日本を代表する名医10人が、健康長寿につながる確かな情報を伝える。216ページ。

 ヒトから無脊椎動物まで多くの生命体に存在するオキシトシン。たった9個のアミノ酸より構成される神経ペプチドが織りなす多彩な機能。ヒトが言語を持ち、社会的秩序を確立し、高度なコミュニケーションを築くために進化してきたとしか思えないホルモン。

 前島特任教授がオキシトシンを知ったのは高校時代の生物の授業。お腹をすかせた赤ちゃんがすぐに乳首に吸いつき、乳管から母乳を押し出す「射乳反射」や、分娩を促すホルモンとしての存在だった。その原体験をはるかに凌駕する、オキシトシンの効能と魅力。超高齢社会の健康寿命の延伸、「ウィズコロナ時代」の家庭・社会コミュニケーションの改善を胸に抱く前島ラボの、たゆまぬ挑戦に期待したい。

(監修/福島県立医科大学 病態制御薬理医学講座 主任教授 下村健寿)

◎前島裕子(まえじま・ゆうこ)
福島県立医科大学 病態制御薬理医学講座 特任教授。世界的オキシトシン研究業績を有する、日本を代表する科学者。生活習慣病やエネルギー代謝領域で最高峰の学術雑誌「Cell Metabolism」(IF15.950)他で数多くの英文論文を発表。「幸せホルモン」と呼ばれてきたオキシトシンが、肥満治療にも有効であることを突き止めるなど、オキシトシンのさらなる効能の解明に挑む研究は、日本だけではなく世界からも注目されている。

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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