このページの本文へ

コロナ禍を73年前から予言!?小説『ペスト』が教えてくれること

2020年09月09日 06時00分更新

文● 齋藤 孝(ダイヤモンド・オンライン

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷
マスクをしていない人をむやみに攻撃してみたり、大問題が立ちはだかっているのに、どうでもいいちっぽけなことに煩わされていませんか(写真はイメージです) Photo:PIXTA

新型コロナの影響で世界は今、大きなターニングポイントを迎えています。この機会に、今までの生活や働き方を見直したり、政治経済や世界の動きに疑問、興味を持った人も多いのではないでしょうか。現在は、ネットやSNSで簡単に情報が手に入る時代ですが、そういった知的ニーズや教養を深く知ることができるのは、やはり「読書」です。そこで前回に続き今回も、明治大学文学部教授・齋藤孝氏の新刊『何のために本を読むのか』(青春出版社)から、“変化の時代”に必要な教養を身につけられる定番の名著を読み解いていきます。

今年大ブームとなった小説『ペスト』

『ペスト』という作品があることは知ってはいても、実際に読んだことがある人は少なかったのではないでしょうか?ところが今年、この本は品切れになるほどの売れ行きでした。この本に描かれていることがあまりにも今の世界の状況にそっくりで、まるで予言の書のように感じられたからでしょう。

 ペストは歴史的に3回の大流行が記録されていますが、とくに14世紀にヨーロッパで流行したときは、5000万人という膨大な犠牲者を出しました。1880年代にインドや中国で流行したのを最後に、その後、血清や抗生物質の登場でほぼ世界から駆逐されました。

 本書は、その忘れられた疫病が、1940年代のアルジェリアのオランという小都市に突然襲いかかるという設定です。大昔の病気だと思っていたが、再び襲われたら、なすすべがなかったという物語です。

「コロナ禍」は73年前に予言されていた?

 ペストが最後にヨーロッパで流行したのは中世の時代。それがもし現代社会で起きたらどうなるか?

『ペスト』の主人公である医師のリウーは、死亡者が増え、病床数も医者も足りないこと、血清も不十分であることなどを心配しています。まさに今で言う医療崩壊の危機です。そしてついに、都市は完全閉鎖、ロックダウンされてしまいます。

 73年後の世界の状況を、カミュは見たのでは?と思えるほどのリアルな記述に驚きます。

「一般のこの見捨てられた状態は、長い間には結局人々の性格を鍛えあげるべき性質のものであったが、しかし最初はまず人をつまらぬことに動かされる浮薄な人間にした」

 神に見捨てられたかのような厳しい状況は、長く続けば人間を強くする。しかしその前にまず、浮薄な人間にする。

 大問題が立ちはだかっているのに、どうでもいいちっぽけなことに煩わされる。浮ついた薄っぺらい人間にするというのです。マスクやトイレットペーパーの買い占めに奔走したり、マスクをしていない人をむやみに攻撃してみたり、現代もまったく変わっていない。カミュの洞察力が光ります。

 ロックダウンされ閉塞した空間で、疫病の恐怖と闘う人間たちの気持ちや精神の動き、葛藤が実に鮮やかに描かれているのが、この小説の優れた点のひとつです。

「不条理」に直面した人間と社会を描く作家・カミュ

 フランス領アルジェリアで生まれ育った作者のカミュは1940年代前半の一時期、ドイツ軍占領下のパリでレジスタンス活動を繰り広げ、戦後、作家として世に出ます。

 人生の前半で二つの大戦を経験した彼は、世界が不条理に満ちていること、存在には意味も秩序もないことを実体験として痛感するのです。神なき時代に生きる私たちは、その不条理に向き合い、受け入れなければならない。

『異邦人』という彼の代表作では、母親の訃報を受けても悲しむことなく情事にふける主人公ムルソーが、友人のトラブルに巻き込まれ殺人を犯します。裁判でその冷酷さが糾弾された主人公は、殺人の動機を「太陽が眩しかったから」と言い放ちます。

 また、『シーシュポスの神話』では、神の怒りを買ったシーシュポスが罰を受けます。大きな岩を山の頂上までやっとのことで運び上げたとたん、石がふもとまで転がり落ちてしまう。それを延々と繰り返す刑に処せられたというギリシア神話を題材にしたエッセーです。運び上げることを自ら覚悟することで、彼は「不条理の英雄」になるとされます。

 いずれの作品も、この世の不条理というものを深く追求した内容ですが、『ペスト』も疫病という、これまた不条理極まりない厄災に直面した人間の心理や葛藤を描いた作品として、発表当初から大きな反響を巻き起こしました。

「天災というものは人間の尺度とは一致しない。したがって天災は非現実的なもの、やがて過ぎ去る悪夢だと考えられる。ところが、天災は必ずしも過ぎ去らないし、悪夢から悪夢へ、人間のほうから過ぎ去っていくことになり(後略)」

「ペストという、未来も、移動も、議論も封じてしまうものなど、どうして考えられたであろうか。彼らは自ら自由であると信じていたし、しかも、天災というものがあるかぎり、何びとも決して自由ではありえないのである」

 自由や人権を前提とする近代以降の人間にとって、疫病の不自由さはとくに身にこたえます。まさに、今の私たちの姿そのものではないでしょうか。

小説『ペスト』が今の私たちに教えてくれること

 疫病という不条理の世界を扱いながらも、『ペスト』にニヒリズムの暗さはありません。運命を自らの手で変えていこうという前向きな明るさが漂っています。

 あくまで理性の人であるリウーは、ペストが収まり、封鎖が解除になって人々が嬉々としている最中に一人、別のことを考えます。

「市中から立ち上る喜悦の叫びに耳を傾けながら、リウーはこの喜悦が常に脅やかされていることを思い出していた。なぜなら、彼はこの歓喜する群衆の知らないでいることを知っており、そして書物のなかに読まれうることを知っていたからである――ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないのであり、(中略)そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを」

 警告的に終わる一節は、まさに今のコロナ禍を予言したものかのようです。ペスト患者の苦しみはもちろんのこと、患者になるまいとすることも、人間を絶望的な疲労に追い込んでしまう。ペスト患者になるまいと思えば思うほど、不安から解放してくれるものは死以外にはないという心境にならざるをえず、そのため終わりの見えない極度の疲労に苛まれてしまう。そういう意味で、誰もがすでにペスト患者になっている。現代にそのまま通じる話です。

 作中の貴重な言葉に私たちは出会い、気づかされ、救われる。文学の偉大な力を示した作品です。歓喜にわく人々を前に、知識と記憶が決定的に重要だと心に刻み、現実に立ち向かおうとするリウーから、私たちが学ぶところは大きいのではないでしょうか。

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

カテゴリートップへ

最新記事
最新記事

アスキー・ビジネスセレクション

ASCII.jp ビジネスヘッドライン

ピックアップ