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東京五輪「中止」に向けて、本気で考え始めるべき理由

2020年07月29日 06時00分更新

文● 小林信也(ダイヤモンド・オンライン

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写真:つのだよしお/アフロ

人類はまだ新型コロナウイルスに打ち勝っていない

 予定通りなら、東京オリンピック2020が開幕している時期になった。新型コロナウイルスの感染拡大がなければ、いまごろはどんなお祭り騒ぎになっていただろうか。

 1年後には改めて開幕が予定されている。しかし、新型コロナウイルスの感染が広がる中、開催の可否は混沌としている。

 IOC(国際オリンピック委員会)と東京2020組織委員会、日本政府、東京都は開催への強い意志を示し続けているが、物議を醸した『Go To キャンペーン』同様、「自粛と推進の矛盾」は否めない。

 安倍首相は改めて「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして必ずや成功させたい」と語ったが、新型コロナウイルスの感染拡大は続いている。ワクチンや治療薬などの開発が成功したともいえない。安倍首相はただ希望的な決意を語っているにすぎない。

日本人の命より、米テレビ局との契約の方が重い

 つい先ごろ、東京2020組織委員会の森喜朗会長が「IOCの意向で、開会式の簡素化はできないことになった」と発言し、波紋を呼んだ。

「アメリカのテレビ局が放送時間枠をすでに用意している。オリンピックの最大のスポンサーであるアメリカのテレビ局の意向にIOCは背くことができない」

 森会長はこう説明した。これまで「オリンピック最大のスポンサーはアメリカのテレビ局だ」とテレビのワイドショーなどで繰り返し刷り込まれている国民は自動的に、「それじゃあ仕方がない」という気持ちにさせられていないだろうか。

 ちょっと待ってほしい。IOCの意向、そして森会長の発言は、言い換えれば、

「アメリアのテレビ局と日本国民の命をてんびんにかけたら、テレビ局の方が重い」

 と言っているのに等しい。

 東京2020の簡素化は、危険な状況下でもなんとか東京オリンピックを実現したいと願う場合の「必要最低限な施策」だ。それに「NO!」を言うのは、日本人の健康を軽視しているという意味になる。

 もしIOCがそのような姿勢なら、日本の総理大臣、東京都知事、組織委員会会長は憤慨し、一も二もなく「東京ではやれない」「国民を危険にさらせない!」と、オリンピックの返上を通告するのがリーダーとして当たり前の感覚ではないだろうか。

 危険にさらされ、アメリカのテレビ局のビジネスに加担する必要など、このコロナ禍の状況で認められるはずがない。国民の命を人質にしてまで、オリンピックを強行する意義とは何だろう?

注ぎ込んだ大金が「もったいないから」やる?

 日本中が、コロナ禍で通常の生活を失っている。行動の自粛を要請され、あるべき日常が失われた。仕事ができず、外出ができず、スポーツどころではない。再び感染者数が増える状況で、東京オリンピックをなぜ強行しようとするのか? 通常のスポーツ活動はほぼ全面的に停止したのに、オリンピックだけは絶対にやる、という意味や根拠は何なのか?

 実はその明確な意義や理由を、首相も都知事も組織委員会会長もほとんど語っていない。

「選手がかわいそうだ」「みんなが待ち望んでいる」「せっかく準備をしてきたのだから」

 そんな言葉でしか、強行の理由は示されていない。

 森会長は、「中止したら倍も3倍も費用がかかる。誰が賠償するのか」と発言した。批判を浴びた後、「倍も3倍も」は言葉のあやだと言い訳をした。

 日本国民の健康を守るためであれば、これまで投じた費用がたとえ無駄になっても、また多額の賠償や補償が仮に生じたとしても、「中止」の決断はあって当然だ。

 もし日本国内の安全が確保されたとしても、海外からの選手、コーチ、関係者、メディア、応援者ら多数の入国を許したら、どんな災禍が待ち受けているか予断を許さない。その場合の甚大な被害、取り返しようもなくコロナ禍が広がった場合の悲惨さは言うまでもない。

 それでも強行を本線に準備し続けるのは、掛け値なしにオリンピック・ムーブメントの遂行に情熱を注いでいるのか、あるいは、お祭り騒ぎをやらなければ、裏側で行われていたよからぬ利権構造が明らかになり、隠したい悪事が露呈するのを恐れているのかと思いをめぐらせてしまう。

すでに当事者たちは中止に向けたシナリオを進めている?

 これまでの経緯を振り返っても、IOCと組織委員会は、巧妙に2つの選択肢を同時に準備してきた。公には「実施」をうたいながら、水面下では「延期」や「中止」を周到に準備し、機が熟すと急きょ「延期」や「中止」に転じたのではないか。

「五輪延期」の決定も突然だった。国民は「突然」の衝撃に動揺し、メディアも後追い報道だけに終始しているから気づかれていないが、延期の発表をするからには、相応の協議や事前の準備があったと考えるのが妥当ではないか。

 聖火リレーの「中止」も同様だ。3月に入り、すでに新型コロナウイルス感染が広がって世間の空気は聖火リレーどころではなかったにもかかわらず、3月19日にギリシャ・アテネで採火式を強行し、日本に聖火を運んだ。そして3月26日に予定していた『聖火リレー出発式』も縮小こそ発表したが、直前まで実施の姿勢を崩さなかった。会場設営もほぼ完了した3月24日、IOCと安倍首相らの電話会議によって、オリンピックの延期が決定されてようやく、26日の聖火リレー出発式も中止が決まった。

 このタイミングでの延期決定には諸説あるが、聖火リレーとの関連でいえば、東京五輪実施に関する業務契約に関して、「聖火リレーの開始をもって実施」とみなす。つまり「受託業者への支払いが発効する」との取り決めがあったため、どうしても聖火リレーに着手する必要があったという証言がある。それで、国内ではコロナ禍が広がっていたにもかかわらず、アテネでの採火式が強行された。それが事実なら、お金のやりとりの事情のために、現地での冷たい視線の中、笑顔でアテネを走らされた野口みずきさんや、ギリシャから聖火を携え空路帰国した吉田沙保里さんの立場は非常に複雑だ。「オリンピックのために」という、オリンピアンにとっては最もあらがいにくい方便を使い、金メダリストたちを利用したとすれば、冒涜以外の何物でもない。

 このように、3月にも、あれだけ「予定通り実施」と強く主張し続けながら、急転直下「延期」を決め、しかもわずか1日で「ちょうど1年後」と時期まで決定した当事者たちである。

 中止の合理的な理由が構築され、中止による経済的な手当てのめどが立てば、IOCだってリスクを冒したくないのが本音ではないだろうか。

 マラソンの札幌移転についても、「日本側には突然もたらされた通告だ」という印象が強い。だからこそ、「IOCは強引だ」などの批判が大勢を占め、東京や陸連は「被害者」のように思われている。また都知事も陸連もそのように振る舞っている。だが、取材をしてみると、決して突然ではなく、札幌移転を強く求められる予兆はなかったわけではない。それを日本側は積極的に公表しないため、「突然」のイメージだけが定着した可能性もある。

 これまでも、理事たちの大胆な発言が世間を騒がせた後、何が起こったか。それを思えば、森会長発言やその他理事の発言などは、中止に向けた観測気球もしくは布石かもしれない。

 私がこの原稿で、目くじらを立てて「1年後も中止すべきだ」などと強く主張しないのは、そんなことは誰より日本政府、東京都、組織委員会、さらには広告代理店が百も承知に決まっているからだ。

 特別定額給付金事業に関連して、電通とパソナに多額の利益がもたらされたという。この面々は、まさに東京五輪開催の舞台裏に関わる企業と同じだ。

 オリンピックの開催費用は3兆円にも膨れ上がったといわれるが、コロナ関連の事業支出は特別定額給付金だけでも事業予算12兆8802億余円だから、これを大きく上回っている。オリンピック・ビジネスの損失分は、すでに十分補填されたとの指摘もある。こうしたやりくりが完了すれば、無理にリスクを冒してオリンピックを実施したくないのは政府や東京都も同じではないだろうか。

開催か中止かを首相や政治家が決める傲慢を許さない

 最後にひとつ、単純明快な指摘を加えたい。

「実施か中止か、その選択と決定権を首相や政治家が握っている状況は健全とはいえない」

 ということだ。

 そもそもオリンピックは都市がホストだから、本来は東京都知事が中心的な役割を担う。

 小池百合子東京都知事は、政府と組織委員会が簡素化を検討しているとの報道が出た6月初旬、記者団の取材に対して、

「開催には都民、国民の皆様の共感とご理解が必要。そのためにも合理化すべきところ、簡素化すべきところを進めていく」

 と明言した。それはまったく歓迎すべきところだが、都知事選で圧勝して以後、そのような動きは一切見られない。

 中止にしろ、開催にしろ、都民、国民は、メディアの世論調査の対象になる程度で、実質的に発言し、議論に参加する場をまったく与えられていない。

 通常のオリンピック開催と違い、これだけのコロナ禍を共有したいまの状況では、「それでも東京オリンピックを開催すべきか」「開催するなら、何のために?」「開催するにはどんな前提が必要か」「改めて、スポーツの意義は何だろう?」、そういった国民的議論こそがとても重要だ。

 もちろん、すでに代表に選ばれている選手たち、スポーツの当事者たちの考えを存分に聞く機会も必要だ。彼らもまた、そうした経験を通して学び、考えを深める機会になれば有意義だ。

 中止か実施か、その決断に、都民、国民、スポーツ選手たちが一切参加できず、ただ発表を待つだけの状況は異常だ。アスリートもスポーツ界も不在で、政治的、経済的判断だけで決められるのでなく、都民、国民こぞって、東京オリンピックの開催を議論し、併せてスポーツの意義について活発な意見を交わし合い、スポーツ観を共有できたらいいと願ってやまない。

(作家・スポーツライター 小林信也)

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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