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モテるおじさんのSNSが、「不自由な表現展」である理由

2020年05月22日 06時00分更新

文● 鈴木涼美(ダイヤモンド・オンライン

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「なんかいいこと」を言いたくなっても、SNSで全世界に発信などせず、アウトドアでコーヒーでも飲みながら親友一人に対して口を滑らせるだけにしたほうがいい Photo:PIXTA

自分のFacebookに何を書こうが全くもって本人の自由だし、誰かを攻撃したり差別感情を撒き散らしたりするのでなければ、他人に何か言われる謂れはない。とはいえ、おじさんのSNSには、若者の冷笑を買ったり、時に気持ち悪いとすら言われてしまう情報発信も多く見受けられる。そうしたおじさんたちに共通するのは、受け取り手のことを考えず、自由に情報発信していることだ。だが、SNSとは、見ている人がどう感じるか、何を求めるかを考えて使う、不自由な表現手段と考えたほうがいいだろう。昨夏、従軍慰安婦を象徴する少女像の展示などで「表現の不自由展」が物議を醸したが、モテるおじさんのSNSとは、いわば「不自由な表現展」なのである。(作家・社会学者 鈴木涼美)

SNSにあふれる
「いいこと」の合唱

 緒形拳と奥田瑛二がアウトドアで焚き火を楽しみながら、「なんかいいこと言いたくなっちゃうな」とかなんとか言ってネスカフェゴールドブレンドを飲むテレビCMを覚えている方がどれくらいいるだろうか。

 コーヒーの違いがわかる渋いおじさん2人が、アウトドアと焚き火の魔力で、普段なら照れくさいような恥ずかしいようなことを口にしそうになりながらしない、という絶妙な切り取り方が評判だった。

 さて、年に一度もないような「アウトドア」+「男2人きり」+「最高のコーヒー」みたいな状況で、後から聞いたら恥ずかしいようなことを言いたくなってしまう衝動はわからないでもないが、その衝動は少なくとも、パソコンやスマホに手が触れている状態では完全に押し殺したほうがいいと思う。

 コロナ禍と外出自粛でFacebookなどに触る時間が増えているのかなんなのか、最近SNSを見ていると、不幸にも「いいこと言いたくなっちゃう」おじさんたちの合唱を聴いている気分になる。もともと多いけど、最近特に多い。

 先日、Facebookを流し見していると、日本ではないどこかおしゃれな国の小さな町と思しき写真が投稿してあって、カラフルな屋根やドアの色が綺麗ではあったのだけど、そこについていた、ポエムともエッセイとも現状報告とも情報交換とも言い難い一文があまりに気になった。

 内容は、○年前に行ったどこどこのなんちゃらかんちゃら~。どの家も個性的でそれぞれが違う色だから全体を見た時に美しい云々。最近のツイッター論争などを見ると、この美しい写真がなぜ美しいかを忘れている人が多い、とかナントカ。

 投稿主はセミリタイアの紳士で記憶の中では教養人なのだけど、おじさんが大好きで淑女たちは大嫌いな「説教」と「名言」のみごとなコラボレーションに、画面の前でオエッとなっている淑女たちが多いのは想像にたやすい。

 表現の自由が一応保障されている国で、自分のFacebookに何を書こうが全くもって本人の自由だし、誰かを攻撃したり差別感情を撒き散らしたりするのでなければ、横から何か言われる謂れはない。

 だが、わざわざ「何かいいこと」を全世界、少なくとも日本語を理解する者全員に向けて発信するのは、何かしら本人に「素敵って思われたい」「同意を得たい」「いいね!が欲しい」「かっこいいおじさんと思われたい」という気持ちがあるわけで、素敵とかかっこいいと思われたいのであれば、ぜひともその「いいこと」はアウトドアでコーヒー飲みながら親友一人に対して口を滑らせるだけにしたほうがいい。

SNSを避けるのも
機会損失

 会えば決して好感度が低くないのに、SNSによってリスペクトをダダ下げしているおじさんというのは実に多い。

 多くの人が気軽に利用し、現在では多種から選べるSNSには、それぞれに求められる文法があるので、トレンドをつかむのは確かに難しいのだ。

 そして老いては子に従えなんていう言葉を真に受ける必要はないが、これほどスピーディーに進化し、またトレンドが変わるネット系のツールを使いこなすには、若者の身軽さほど向いている能力はない。

 逆に言えば「これが普通だったじゃん」「これは前にイケてるって言ってくれたじゃん」というような態度が、これほどまでに通用しない世界はない。ズレている感じがもろに露出してしまう様というのは、これはもうファッションの比ではない。

 それを、はなからもうついていけないとして、あえて全てのSNSの機会を放棄し、一線引いてみるのも一つの生き方ではある。

 ただ、それはそれで結構な機会喪失というか、少なくとも30代以下の世代では、もはや新しいツールですらない日常的な連絡手段、情報交換手段となっているそれを放棄してしまえば、もうちょっと花盛りを延長したいと考えているおじさんたちにとっては交流の場を一つなくすことになるのは間違いない。すでにお酒の席で、携帯電話を片手に連絡先を交換することすら稀な世代がどんどん花開いているのだ。

 さてしかし、おじさま方のSNSを覗き見すると、いいかも、と思える情報発信は少なく、これは絶対に必要ない、といったものを発信しては若者の冷笑を買って、時に気持ち悪いとすら言われてしまう事態が多く見受けられるのだ。そう言った「嫌われるSNS」には少なくとも大きく分けて2つのパターンがある。

需要のない
自撮り写真

 第一に、インスタグラムやツイッターに掲載される自撮りに代表される、「需要なし」パターンである。

 おじさまが、仕事現場やプライベートで行ったレストランなどを背景に、スマホのインカメラで自分の顔を写す。若い娘やせめて若き肉体派のイケメンならまだしも、料理の写真とともにおじさまの顔をぜひ見たい、なんて思う人は基本的にはいない。

 友人とだけ繋がっているFacebookやLINEのタイムラインであればまだ、「あ、相変わらず元気そうだな」という感想は引き出せるかもしれないが、それもまた何かの記念の集合写真程度で良い。

 自撮りは若い女の子が、ああ世界って可愛い、そんな可愛い世界にいる私って最高に可愛い、と若さ特有のナルシシズムに浸るため、またその若さ特有のナルシシズムを愛でる男たちのために存在する。

 似たように、毎食毎食、食べたものを必ず写真に撮って、その簡素な料理写真を飽きもせず日々Facebookにアップしている様子もまた、その情報は誰が必要としているのでしょうかという感想しか引き出さない。

 ものすごく豪華なものを食べたから自慢したいとか、珍しいものを食べたから聞いてほしいとか、知る人ぞ知る名品だからぜひお勧めしたいとか、ものすごい量を食べるとか、それならまだ100歩譲って許容範囲だが、本当にごくごく普通のレストランのディッシュやラーメンの写真、あるいは別に大して面白くもない自分の料理したものの写真を見せられると、いや私あなたのライザップトレーナーじゃないから…という気分になる。

 今日何食べたよとか昨日何食べたとかいうのは、恋に落ちて批評能力を失ったアホな恋人たちが、どんな些細なことでもあなたの話なら聞きたい、という状況に陥って初めて需要が生じるようなことなのだ。

 これらは2つとも、若いおしゃれな女子のインスタを参考にしているように思える。

 確かに女子のインスタは自撮り写真やおしゃれな料理写真がたくさん登場し、レシピなどを公開している人も少なくない。外出自粛が続く今日この頃は尚更、普段より凝った料理に腕を振るって、出来上がりを全世界に発信している若者たちは多い。

 しかし、女子のインスタは、ものすごく気を使った画角や素敵なフィルター機能などを使って、こんな暮らしをしている私っておしゃれ、とか、私ってほんと可愛い、といったメッセージを発信していて、なおかつ悲しいかなそこに結構な需要があるのだ。

 若い女子に世界が求めているものと、頭もハゲ尽くしたようなおじさんに世界が求めているものは、不公平にも全然違うので、撮影する対象物だけ真似てみても、そこに似たような需要は全く生まれない。

上から目線の
説教的な長文

 第二に、前出のように、ツイッターやFacebookに長文で書かれる説教的なものである。

 これは個人差があり、謎めいたポエムのような独り言を綴る人から、自民党の悪口を長々と語る人までいるのだが、いずれにせよ、この人の意見が聞きたいという論客でもない限り、場違い感が漂ったり、偉そうな口調に嫌悪感が生まれたりする。

 これもまた悲しいかな、若い女の子が若い女の子であるというだけで、そこに良くも悪くも価値が生まれるようには、おじさんがおじさんであるというだけで、そこに聞く価値というのは生まれないのだ。

 それが特別敬意がなかったり人を傷つける内容でない限り、思ったことを発するのは誰にも認められた権利であるが、そういうどこか上から目線で、「皆のもの、俺の意見を拝聴したまえ」みたいな発言にオエッとなるこちらの権利もまた保証されたものであるし、大仰なことを言えば言うほど、「お前にそんなこという資格はあるのか否か」という自らの人間性のハードルを無駄に高く高く上げることになる。

 顔の見えないコミュニケーションや発表では尚更、人は名前と発言内容だけを受け取るので、そこにひとしおの可愛げや謙虚さがなくては、「自分も大したことないくせに」と言われなくてもいい屈辱的な発言を、自ら引き出していることになる。

 おじさま方だって、ほんの数十年前には、朝礼の校長の話が長い、結婚式の主賓スピーチが長い、と文句を言っていたのではなかったか。SNSを流暢に使いこなす若者にとって、年長者の懐古主義、あるいは若者を導こうとするような説教ほど鬱陶しいものはない。

 ただでさえ、若い部下やキャバクラ嬢に対して酒に酔った勢いでちょっと説教じみた口調で語りかけてしまうおじさんは多い。

 その嫌われる要素を、SNSなどという自分で完全にコントロールできるはずの世界で発揮する必要はないのだが、どうやら酒に酔うよりよっぽどタチが悪い、自分に酔うという状態に陥る人は多いらしい。

好かれる人の
SNS活用方法

「嫌われるSNS」で第一のパターンが、若者の作法を真似ることで若者に媚びる姿勢だとすれば、第二のパターンはおじさんくささを隠さない姿勢である。このどちらも、若い女の子がついつい冷笑的に見てしまう所以である。

 前者には「おじさんのくせに」という蔑視、後者には「おじさんくさい」という落胆がついて、いずれにしても惹かれるきっかけにはならない。

 要は、「おじさんのくせに」と「おじさんくさい」の隙間を縫った態度こそ必要とされるのだ。それは若者に媚びず、自らの信念に従い、そこにひとしおの「おじさまらしさ」を加えた態度に他ならない。

 おじさんたちがSNSネイティブでないことなど、見るほうだって百も承知。人間関係の当たり前のことさえ気づいていれば、ハッシュタグや添付機能の使い方が間違っている程度で人は嘲笑したりしない。

 要は、相手の立場に立つということ、つまりは自分が何かを言って気持ち良くなりたいとかすっきりしたいとかいうことではなく、見ている人がどう感じるか、何を求めるかを考えることだ。

 良いSNSの使い方をしているおじさまの例は少ないが、私は少なくとも3通りの例があると思っている。

 第一に、写真や読書、陶芸、釣りなど趣味の成果報告に特化した使い方。

 写真が趣味の人が、練習や撮影会などで写した作品をインスタグラムに粛々と載せる。釣りが趣味の人は、釣った魚の写真や釣り場の情報をFacebookやインスタグラムに日記のようにしたためる。陶芸作品をちょっとしたうんちくとともに披露する。読んだ本をレビューしていく。

 どれも誰に対しても不快感がなく、同じ趣味で新しい人と繋がることもあれば、興味を持った人が参加したがることもある。

 そして趣味のあるシニアは、日々特にすることもなく女を追いかけたりテレビを見ていたりする人よりずっと好感度が高い。

 第二に、内輪で楽しむ使い方。

 Facebookなどで、趣味の集まりや飲み会などで撮影した写真を共有する。外部から見たら知らないおじさんおばさんの集まりとはいえ、仲間に恵まれ、社交的な人柄などが透けて見えるので人物に対する安心感が高まる。

 SNSを通してその人の交友関係や日常生活を感じ取る癖のある若い世代に「楽しそうな日々を送っていそうだ」と思われると、孤独な怪しい老人という評価を免れる。

 第三に、食レポや旅レポとしての情報価値を重視する使い方。

 若い女性はレストランやカフェでしきりに写真映えするメニューを撮影しているが、おじさま世代はそんな彼女たちの一歩先を行かなければ、単に若者の真似、あるいは自分の贅沢自慢のように見える。レストラン情報、ゴルフ場情報、旅先のスポットなどを、比較的わかりやすい客観的な指標で紹介すれば、見た人は食べログ的な付加価値を得られる。

 SNSは確かに自由に自分をアピールし、また思いを発信できるツールであるが、対面でのコミュニケーション以上に浮かび上がってくる人物像に冷笑や怒りが込み上がりやすい。

 ちなみに冒頭のCMでは「いいこと言いたくなっちゃう」という緒形拳に対して、奥田瑛二が「やめてよ」と制止する。

 アウトドアでの焚き火前の緒形拳だって制止されるのだ。SNS前のあなたには全世界が「やめてよ」と言っている。

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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