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球界の知将・野村克也さんが実践してきた「正しい努力」とは

2020年02月14日 06時00分更新

文● 野村克也(ダイヤモンド・オンライン

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先日、プロ野球解説者・野村克也さんがご逝去されました。プロ野球界屈指の強打者・名捕手・知将として数々の実績を残された野村さんですが、試合後の会見やインタビューでの名言・名文・ボヤキも、「野球のみならず人生、生き方に通じるものがある」と、多くの人たちを勇気づけてきました。そこで今回は、野村さんが65年を超えるプロ野球の世界でたどってきた軌跡、実践されてきたことをまとめた『野球と人生 最後に笑う「努力」の極意』(青春出版社)より、“野村イズム”があらわれている名言を厳選して紹介します。

ノムさんが65年超の野球人生で学んだ“大切なこと”

1997年、セ・リーグ優勝インタビューを受け、ファンの声援に応えるヤクルト・野村克也監督 Photo:JIJI

 私は京都の片田舎で育ち、甲子園には縁遠い弱小野球部の出身だ。そんな中で、プロ野球選手になることを夢見て、キャッチャーが手薄な南海(現・福岡ソフトバンクホークス)の入団テストを受けて、プロ野球の世界にギリギリで滑り込んだ。

 そんな底辺からのプロ野球人生のスタートだったから、生き残るために歯を食いしばり、必死に頭を使い、懸命に体を動かした。

 その結果、曲りなりにも甲子園や六大学出身の花形スター選手たちにも負けない実績を残すことができた。それは取りもなおさず、自分が才能にあふれた人間ではなかったからだ。才能がないという自覚があったからこそ、さらなる上を目指して、努力し続けることができた。そうしなければ生き残れない世界でもあった。

 野球というのは奥が深い。弱者が強者に勝つことができるスポーツでもある。頭の使い方、努力の仕方次第では、才能がなくても天才に勝てる。二流でも一流を超えられる。それを実証してみせられたのではないかというのが、65年超のプロ野球人生を振り返っての私のささやかな自負である。

 そして、その土台にあるのは、自分をよく知り、自分に足りないものを見極め、そのために何をすればいいかを求め続ける「正しい努力」だろう。

「正しい努力」はけっして裏切らない。そのことによって最後に笑えるのは、野球も人生も同じだ。

リーダーは孤独なくらいでちょうどいい

 私は南海のプレーイングマネージャー時代から楽天に至るまで、監督時代は一度たりとも選手と食事に行くことはなかった。選手の仲人を引き受けたことも一度もない。グラウンド以外で親睦を深めるようなことはまったくしなかった。

 理由は二つある。一つは、個人的に仲良くなると、監督が持つべき厳しさがゆるむからだ。「かわいがっているから多少打てなくてもいい」。仲良くなれば、こうした人情が働くのは当然のことだ。ならば、最初から互いの距離を近づける必要などない。むしろ近づくことで、いうべきことがいえない関係性を築いてしまうことになるわけだ。

 もう一つの理由は、私の経験が大きい。南海で選手をしていた頃、私以外の選手、とくに六大学の出身者は当時の鶴岡監督によく食事に誘われていた。

 そのときに決めた。自分が上に立ったら、ひいきはしない。グランド以外で特定の選手とつきあい、他の選手の気持ちを揺らし、チームの和を乱すようなことは一切しない、と。

「監督」になってから選手たちに言い続けた2つの言葉

「誰かに支えられて生きている」

 野球エリートではなかっただけに、私には常にそうした意識が野球をしている間、ずっとあった。

 チームメイト。コーチや裏方のスタッフ。応援してくれるファン…「大勢の人が自分を支えてくれている」と認識していると、粘りが違ってきた。ここ一番の勝負どころで、もうひと踏ん張りできる。自分の名誉や成績だけしか見ていない人間は、このひと踏ん張りが出ない。逆に気負って空回りする。

 たとえば、私は現役時代、657本のホームランを打った。それなりの個人記録だ。しかし、ホームランを狙って重ねてきた数字ではない。「俺が俺が」とホームランを狙って打席に立つと、バッターというのは必ず力み、読みもフォームもおかしくなるものだ。

 チームのため、勝利のために「確実にヒットを打とう」と考えるから、全神経をピッチャーの投げる球に集中できた。ムダに力むことなくバットを振れた。

 それがホームランにつながり、結果的にチームに勝利を引き寄せたのだと感じている。「個の成績がチームに対する貢献になる」という考え方がある。逆だ。「チームの勝利を目指しておのおのが取り組んだ結果が、個の成績になる」のだ。

 だから、監督になってからも、私は選手たちに「チームのために戦え」「他人への感謝の気持ちを忘れるな」と常にいってきた。この二つは同じ意味だ。力を出し切り、成果を出し続けるためのモチベーションの火を灯し続けろということだ。

 多くの仕事が同じだと思う。自分のことだけ考えて仕事をする者は長く続かない。人ひとりの力は、それほど強くないのだ。

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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