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ロケーションと専業へのこだわり、ビットアイル買収の意義などすべて語る

エクイニクス古田前社長と振り返る激動のデータセンター20年史

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 世界25カ国で200箇所以上のデータセンターを運営し、年間売上高55億ドル(約6000億円)を超えるエクイニクス(2020年1月時点)。そのエクイニクスの日本法人で10年に渡って代表を務めた古田敬氏が社長を2019年末で降りた。そんなデータセンターの生き字引とも言える古田氏に激動のデータセンター史を振り返ってもらった。(インタビュア 大谷イビサ 以下、敬称略)

ネットバブルで立ち上がったインターネットデータセンターとは?

大谷:私がデータセンターを追うようになってから、エクイニクスと言えば古田社長でした。結局、どれくらい日本で指揮をとってきたのでしょうか?

古田:10年と3ヶ月です。外資系日本企業の社長としては長いですよね。なんだかK点超えた感じです(笑)。

エクイニクスジャパン 前社長 古田敬氏

大谷:昔からデータセンター事業に関わっていたのでしょうか?

古田:もともとは商社の丸紅出身です。当時はFLAGやグローバルクロッシングなど、海底ケーブルを展開していた会社とプロジェクトを立ち上げ、その流れでデータセンター事業者の※アバヴネットとの合弁会社を手がけたんです。

※アバヴネット(AboveNet Communications) 1996年に設立された北米のデータセンター事業者。グローバルネットワークとピアリングが大きな売りで、2000年に日本法人を設立

当時はネットバブルが上り調子だった頃だったので、米国のアバヴネットは丸紅の事業を買い取って、合弁会社から完全子会社にしたのです。そのときに丸紅を辞めて、キールネットワークスという会社に所属しながら、いっしょにアバヴネットの代表をやっていました。これが2001年です。だから、インターネットデータセンター(iDC)第一世代の最後の生き残りという感じですよね(笑)。

大谷:確かに当時はインターネットデータセンターという言い方が一般的でしたよね。

古田:1990年代の後半は、ちょうど通信がインターネットに向けて移り変わっていく過渡期。通信事業者(キャリア)とインターネット事業者(ISP)は、やっぱり対立する関係だったんです。

日本でもNTTが分割・民営化されて、グローバルアクセスなど新興の通信事業者が生まれ、東京電力やビットアイルがインターネットデータセンターを始め、アバヴネットやエクソダス、ケーブル&ワイヤレス、グローバルセンターなど多くの外資系事業者が日本でのビジネスを模索し始めました。

大谷:古田さんにとっては、当時のデータセンターってどう見えていたのでしょうか?

古田:感覚的にはインターネットとエクスチェンジに「箱」がくっついているというイメージでした。あくまでインターネットのインフラなので、不動産業でもないし、IT系のコンピューターセンターとも全然違うんです。

アバヴネットもそういう指向だったので、実は「データセンター」という呼び方はしていませんでした。あくまでインターネットとエクスチェンジが中心。今から考えれば、エクイニクスはこの考え方を忠実に実践した最後の生き残りだと思います。

大谷:生き残りという話だと、数多くの事業者がありましたが、日本からは撤退しています。当時はどんな感じだったのでしょうか?

古田:20年前はやはりネットバブルだったので、会社としては今のWeWorkと同じですよ(笑)。とにかくイケイケだったので、資金を集め、どんどんデータセンターを作れというのは各社とも同じ。ただ、過剰なまでの投資の行き先は各社異なっていて、エクソダスコミュニケーションは不動産に、アバブネットはネットワークに向かった印象です。

実際、アバヴネットは当時の事業者としてはあり得ないくらい海底ケーブルを買いあさっていて、ティア1のネットワークを作っていました。でも結局破綻してしまって、私は買い手を求めて、2002年にソフトバンクに行き着きました。だから、その後2~3年はアバヴネットを続けてましたが、その後IDCフロンティアに統合されています。

大谷:ちなみに当時のデータセンターってまだ残っているんですか?

古田:一部残っているものもありますが、米国の事業者のデータセンターはすでになくなっているものが多いですね。やっぱりスクラップ&ビルドの国なんで、完全につぶしてしまいます。よほどな理由がないと残ってません。

残っている例としては、たとえばDEC配下のIX事業者のPaix(PaloAlto Internet eXchange)はアバヴネットが買収して、その後いろいろな事業者を経由して、今はエクイニクスの傘下にあります。エクイニクスの創業メンバーって、もともとPaixを始めたメンバーということもありますし。

大谷:なるほど。データセンターを動かすのはやはり大変なんですね。

古田:たとえば、大手町のデータセンターは各キャリアのネットワークが大量に引き込まれているので、お客様も簡単には移せません。エクイニクスも結局古い品川のTY2が一番人気。だから、ビルが朽ちるまで運営すると思います(笑)。

エクイニクスジャパンにジョインしたのは「Curiosity」が理由

大谷:アバヴネットの後に、いよいよエクイニクスに移るわけですが、振り返ってどうでしたか?

古田:エクイニクスの設立はグーグルと同じ1998年ですが、日本法人は2001年に設立されています。ただ、始まりはややこしくて、ハワイでデータセンター事業を手がけていたピハナパシフィック(Pihana Pacific)をエクイニクスが買収し、日本ではピハナと三菱系のMIND(三菱電機インフォメーションネットワーク)が同じビルの上下で同時にデータセンター事業を始めていたんです。

ただ、その後いろいろあって、結局10年近く経ってもデータセンターはTY1・TY2の2つだけでした。もちろんオペレーションはしっかりやっていましたが、(本国では)日本での事業どうしようという話は正直あったと思いますよ。

大谷:そんな背景あっての古田さん招聘なんですね。

古田:はい。本国は一定の投資対リターン(IRR)が超えないと、データセンターは建てないという判断でした。その点、日本は正直問題児だったんです。でも、入ったあとでそのことを知ったので、先に言ってくれとは思いました(笑)。

カンボジアのASIA Peering Forumに参加したとき

確かに社内外いろんな人から「なぜエクイニクスジャパンに入ったんだ」と言われましたが、私は「Curiosity(好奇心)」だと答えていました。当時は要求されていた投資対リターン水準を満たすのは無理だと思っていましたが、十年を振り返ると日本でも実現できました。しかも、他のアジア諸国より成績いいんです。だから、あのとき好奇心が勝ってよかったと思います。

大谷:そんな日本法人で、まずはなにからスタートしたのでしょうか?

古田:いつも話していることなんですが、データセンターって、不動産的な側面、電力やエネルギー的な側面、通信やネットワークの側面、そしてITの側面とそれぞれが存在する多面的な事業です。みんな1つか、2つの側面だけで語るんですが、本来は全体のバランスで事業が成り立つものなんです。

逆に言えば、これらをきちんと備えていれば、市場規模が多少小さかろうが、大手企業が相手してくれなかろうが、事業としては成り立つはず。だから、データセンターを導入したいというユーザーが調べたときに、せめて選択肢には挙がるようにしようと社員に言いました。

大谷:じゃあ、なにか奇策があったわけではないと。

古田:そうです。当時はみんな目の前のことに精一杯で、全体像を見られる人がいなかったんです。まして外資系のデータセンター事業者に市民権なんてなかったので、経験者もとれません。スタート地点が低いのは、しようがなかったんです。

だから、社内でのディスカッションのレベルを多少上げるくらい。先ほど話したデータセンター事業の全体像が見えていなかったので、社員にはとにかくかみ砕いて説明しました。当時は20~30人規模だったので、直接コミュニケーションできたので。

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