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「非厚底シューズ」での優勝が称えられる日本女子マラソン界の限界

2020年01月30日 06時00分更新

文● 小林信也(ダイヤモンド・オンライン

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大阪国際女子マラソンで優勝を果たした松田瑞生 Photo:JIJI

 1月26日に行われた大阪国際女子マラソンで、松田瑞生選手(ダイハツ)が2時間21分47秒をマークして優勝。東京五輪出場への設定タイムも突破して、3人目の東京五輪代表に最も近い選手となった。残る対象レースは3月の名古屋ウィメンズマラソン。ここで松田の記録を超える選手が出なければ、松田が五輪代表に選ばれる。

 松田がナイキの厚底シューズでなく、普段から履き慣れているニューバランスの『従来型』というか『非厚底』シューズを着用して勝ったことが大きな話題となった。

「常勝ナイキを破った勇敢なヒロイン」「やはり日本人には日本人に合った靴」「シューズ作りの名匠健在」といった持ち上げようで、メディアはこぞってナイキ以外のシューズで勝った松田を称えた。

 私がスポーツに関する記事を執筆しながらも、「スポーツ・ジャーナリスト」を名乗らない理由は単純だ。日本には、スポーツ・ジャーナリズムが存在しないと思うからだ。日本のスポーツ報道は「応援」が基本。「ニッポンがんばれ!」というように、サッカーでも五輪でも、NHKだって日本贔屓(びいき)が当たり前。客観報道は少ない。商業主義が蔓延してますます勝者や人気者に乗っかり、テレビは視聴率を、新聞や雑誌は購読数を増やすことに主眼が置かれ、真実の報道を追求する姿勢は肩身が狭い。

 当然、私も応援報道を基本にしている。魅力的な選手やチームとの出会いを求め、その挑戦にエールを送る。大切にしているのは「応援し発信する意義があるのか?」。その観点から言えば、「松田瑞生が非厚底シューズで勝った」ことは、メディアがこぞって賛美するに価するのか?

設定タイムの基準は男女で大きな差
「厚底前提」の男子、「厚底不要」の女子

 改めて事実を確認しよう。女子のマラソン代表3人目は、設定タイム2時間22分22秒を指定レースで突破するのが前提だ。もし突破者が複数いたら、最もタイムの速い選手が選ばれる。

 注目すべきは、この設定タイムだ。男子の設定タイムは2時間5分49秒。これは大迫傑が2018年にマークした日本記録よりも1秒速いタイムだ。これを突破するには、過去日本選手が経験のない領域に踏み込む必要がある。大迫はナイキの厚底シューズを履いて日本記録をマークした。その前に設楽悠太が日本記録を出したときも足元はナイキの厚底シューズだった。つまり、厚底着用を前提にしなければ、設定記録突破は難しいと見ていいだろう。

 ところが、女子の設定タイムは日本記録を参考にしたものではなく、この2年間に日本選手がマークした中でのベスト記録より1秒速いタイムが選ばれた。そのベスト記録が奇しくも松田瑞生自身の2時間22分23秒だった。

 五輪代表選考なのだから、前回リオ五輪後の最高記録2時間21分36秒(安藤友香、2017年3月名古屋ウィメンズマラソン)でもよかったと思うが、このところの日本女子マラソン界の低迷に配慮し、日本陸連はハードルをかなり低く設定した。この設定タイムは、日本記録より3分10秒も遅い。

 日本記録は2時間19分12秒。野口みずきが2005年ベルリンマラソンで出したタイムだ。以後15年間、破られていない。いずれも非厚底で走ったのは言うまでもない。

 男女とも高速化がエスカレートする世界のマラソン。男子はその背中を追いかけろと叱咤される形の記録設定。女子は低迷を打開して少しでも希望の光が見えればいいという設定。現状、記録突破には厚底シューズが前提の男子。厚底不要の女子。この点を理解せず混同するから、松田の『非厚底V』を過剰に礼賛する報道があふれている。

「非厚底V」を賛美する状況では
とても世界では勝負にならない

 松田瑞生は、自分の過去最高を突破すればそれでよかった。そのレベルのタイムなら、大阪で一緒に走る福士加代子もマークしている(福士のベストは2時間22秒17秒)。いずれも、非厚底で記録されたものだ。

 今回の女子3人目争いにおいて、世界は視野に入っていない。

 本来スポーツは「自分との戦い」であり、日々自分を超えることが目標という姿勢は最も健全で意義のある取り組み方だといえるだろう。その意味で、従来どおりのシューズを履いてレースに臨んだ松田瑞生の選択と決断にはまったく異論はない。だが、東京五輪で「世界に挑む」観点から見れば、まったく不毛、松田瑞生自身や家族、応援するチームにとっては歓喜だろうが、日本代表としては何も生み出さない仕立てに思える。

「非厚底シューズで優勝した」のは事実だが、「非厚底で厚底の記録を上回った」わけではない。厚底シューズを履いて挑んだブリジット・コスゲイ(ケニア)が昨年10月のシカゴマラソンでマークした2時間14分4秒の世界記録には7分以上も及ばない。

 日本記録においてさえ、ようやく歴代6位にアップしたにすぎない。ちなみに、松田の今回の記録は世界ランキングでは88位。世界陸連の記録サイトを見ても、松田瑞生の記録は2019年から2020年の間でも33位でしかない。現在の記録では、およそ世界では勝負にならない。

 メディアはことさら『非厚底V』を賛美し、「ニューヒロイン誕生」や「薄底の市民権回復」でひと商売しているように見える。その背景には、ナイキ一強への居心地の悪さ、当然広告主でもある他のシューズメーカーや、メディアがこれまで賛美してきた『名匠』に対する忖度や配慮の都合も見える気がする。

 記録を1分1秒短縮することにそれほど意義のない市民ランナーに対して、「厚底でなく非厚底という選択もある」というメッセージはあっていいだろう。日本人の元々の走り方や足型を研究し尽くして開発された日本製のシューズの快適さは多くの人が知っている。

 だが、レースにおいて、世界の舞台は従来型の薄底シューズでは到達しえない高機能ギアによるスピード勝負の領域に入っている。おそらく、従来型の薄底シューズではこれに太刀打ちできない。それなのに、賛美して何が始まるだろう。

 厚底シューズは、爪先着地のスタイルで走るアフリカ選手の足を守り、記録をサポートするために開発されたという。それならば、新しい発想を持って、日本選手に合った「超高速モデルの薄底」を開発してほしい。

 松田瑞生の優勝で過去のコンセプトを自画自賛し、古い伝統に固執するのは違う。伝統は大事だが、残念ながらスポーツの世界は技術革新とともにある。名匠にも、世界をアッと言わせる新しい快適高速シューズを生み出してほしいと期待している。そうでなければ、暑さによる上位陣の総崩れ以外、松田瑞生がこの夏、札幌で満面の笑みを浮かべる未来もないだろう。

(作家・スポーツライター 小林信也)

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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