米どころとして知られる山形県庄内平野の湊町酒田市。ベンチャー不毛と言えるこの地で、ユニークな再生可能エネルギーサービス「CHANGE」を立ち上げたのがチェンジ・ザ・ワールドだ。「庄内を日本の西海岸に」すべくUターンした代表取締役の池田友喜氏と、酒田市をプログラマーの楽園にしたいと構想するCTOの玉置龍範氏に話を聞いた。(インタビュアー アスキー編集部 大谷イビサ 以下、敬称略)
詐欺の憂き目にあった東京時代、そして地元の酒田市に戻るまで
大谷:まずは池田さんの社会人プロフィールから教えてください。
池田:もともと僕はここ酒田市出身。高校卒業と同時に上京し、社会人になって2000年から3年はソフトウェア開発のベンチャー企業、4年間はTVショッピング会社のシステム運用・管理する部門で働いていました。そこで今のチェンジ・ザ・ワールドのCTOになる玉置と知り合い、2006年末には2人でソフトウェアの開発会社を立ち上げました。「ITの力で世界を変えるんだ!」と意気込んで、社員も30名規模にまて膨らんだのですが、2011年の東日本震災後に再生可能エネルギー事業に手を出して、会社をたたむという憂き目を見ます。
大谷:なにが起こったんですか?
池田:再生可能エネルギーは儲かるという話と東北出身であることの社会的な使命感にかられ、とある会社から営業部隊をまるごと買ったのですが、実際は詐欺だったんです。会社として大きな損失を被り、結局会社は清算しました。その後2~3年、裁判で戦ったり、清算の手続きをしながら、僕は自ら生きる使命を考えました。「人生をかけてになにをやればいいのだろう」と。そこで行き当たったのは、地元である山形のことでした。
地元山形は、若い人がみんな東京に出て行きます。僕自身も都会に憧れて上京した口ですが、戻りたいと思っても地元に若い人が働きたくなるような魅力的な仕事が少ない。この状況を変えられないか、若い会社が集まって地方がプラスになる方向に持って行けないかと考えた末、2014年に酒田市に戻ってきました。
大谷:地元を盛り上げる地方創生の使命を抱えて、ここに戻ってきたんですね。
池田:そうですね。もう1つ考えたのは、ネガティブイメージをもたれがちな庄内の日本海側を、シリコンバレーのような西海岸にする夢です。
日本海というと、なんだか寒くて、暗くて、つらくて、悲しみの日本海みたいなイメージを描きます。東映の映画で波がザッパーン!という風景(笑)。
大谷:確かに、そのイメージありますね(笑)。
池田:でも、実は全然そんなことなくて、夏は海もきれいだし、食べ物もおいしいし、とにかく最高の環境なんです。だから、酒田出身の私は東京にいたときから「庄内の日本海側を『日本の西海岸』と呼ぼうぜ」と言っていました。
でも、会社を清算しながら、最初に冗談で言っていたこの日本の西海岸を、本当に作りたいと思うようになったんです。ライフワークとして。
大谷:だから、オフィス内に「日本西海岸計画」という立て看板があるんですね。
池田:山形の酒田市という田舎から東京に出ていって、いったん大きく失敗したやつが、再び地元でベンチャーを成功するという姿があれば、日本の西海岸を作るためのマスコット的な企業になれると思ったんです。そして、このムーブメントを牽引するようなベンチャーを立ち上げ、同じような仲間を巻き込み、サポートしていくために戻ってきたわけです。
このオフィスも1階はコワーキングで、2階がシェアオフィスになっています。起業しなくても、何か始めたいときにここを使ってもらえばいい。夕方くらいから副業や趣味の人も増えてきますし、「米フォワード」なのでチャレンジャーは無料で米食べられます(笑)。
大谷:ペイフォワードじゃなくて、米フォワード(笑)。
池田:誰かしらがおかず持ってきて、みんなで夕食になります。
田舎って、なにか始めようとすると「絶対やめとけ、うまくいかないから」って変な自慢をする先輩がけっこう多いんです(笑)。でも、ここにはそんな人はいません。
もちろん、地元に貢献したいと思って帰ってきているのですが、チェンジ・ザ・ワールドは地元を商圏としていません。県外や首都圏、もしくは世界をターゲットにしています。地元のお客さんを奪い合うわけではないので、地元の人たちの顔色伺う必要もありません。
世界を変える仕組みをゼロから作ろう
大谷:チェンジ・ザ・ワールドはどのようなビジネスをやっているのでしょうか?
池田:再起をかけるビジネスとして選んだのは、2012年に苦渋をなめた再生可能エネルギー事業です。地球温暖化が問題となる現在、再生可能エネルギー自体は絶対に必要で、将来にもつながります。でも、怪しい連中がいて、実際に私も詐欺でだまされました。だから、B2Cの仕組みで、こうした怪しい業者が介在できない仕組みを作れないかと考えました。お金の亡者みたいな人だけではなく、誰でも気軽に環境問題や地球温暖化、再生可能エネルギーに関われるサービスを作りたかったんです。
こうした構想を持ちながら、酒田に帰ってきました。創業時は、普通に太陽光発電の事業から始めましたが、2年くらい経ち、ある程度、事業基盤が安定してからいよいよサービス開発に着手しようと思い、玉置に声をかけました。「たまちゃん、そろそろ出番ですよ」って。
大谷:玉置さんにもチェンジ・ザ・ワールドにジョインするまでの経緯を聞きたいのですが。
玉置:私は東京出身。池田と出会ったTVショッピングの会社では、受発注システムのリプレースを担当していました。1000台くらい電話が鳴りっぱなしで、24時間運用なので、大変な仕事でしたが、ITの将来性をすごく感じたんです。
そこで池田といっしょに会社を立ち上げたのですが、詐欺事件がきっかけで事業が立ちゆかなくなり、開発部隊をスピンオフして別会社にしました。結局、そこでは4年間社長をやってたんですけど、なんか経営者向いてないなと思って、会社をたたむことにしました。そんなタイミングで大手企業の情シスとしてお声がけいただていた矢先に、池田から「いっしょに世界を変えないか?」と声がかかったんです。
池田:玉置に連絡したときは、ちょうど会社をたたむときで社長の送別会やっていました。社長の送別会ってあんまりないですよね(笑)。
大谷:確かに(笑)。
池田:他人が作ったシステムのおもりがいいのか、世界を変える仕組みをゼロから作るのとどっちがいいのかと決断をうながしたんです。で、玉置から「本気なの?」と言われたので、「本気だよ」と答えました。
大谷:さすが口説き方がうまいですね。
玉置:私は東京出身だったので、酒田に行くのかも含めて迷いましたが、結局チェンジ・ザ・ワールドにジョインしました。今はCTOとしてシステムの構築や運用などを手がけています。

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