このページの本文へ

箱根駅伝を席巻した「厚底シューズ」は本当に禁止すべきか

2020年01月07日 06時00分更新

文● 小林信也(ダイヤモンド・オンライン

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷
箱根駅伝2020
2020年の箱根駅伝では、多くの選手がピンク色の『厚底シューズ』を履いていました Photo:JIJI

青山学院でさえナイキを履く
「厚底シューズ」が主役の箱根駅伝

 箱根駅伝は青山学院が2年ぶりの優勝を飾った。

 初日の往路が始まった直後から、箱根駅伝を伝えるネット記事の主役は大半が『ナイキの厚底シューズ』だった。パッと見たところ、ごく一部を除いてほぼ全ランナーがナイキの厚底シューズを履いている。昨年のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC、東京五輪2020マラソン代表選考会)で旋風を巻き起こしたピンクに代わるオレンジとライトグリーンのニュー・モデル(ヴェイパーフライ ネクスト%)が嫌でも目立つ。騒ぎになるのも仕方がない。

 アディダスと使用契約を交わしているはずの青山学院でさえ、全員がナイキを履いて走った。これでは、「アディダスだから去年は勝てませんでした」「今年はナイキで勝てました」というメッセージが伝わってしまう。それをやむなしとするくらい、監督、指導者、メーカー関係者たちの間でも『ナイキの厚底シューズ』の優位性はこの1年の間に認められ、浸透した。

 青山学院は、10月の出雲駅伝で5位、11月の全日本大学駅伝では終盤に東海大の逆転を許し2位に甘んじた。この時まで、彼らの足下はアディダスだった。それだけに、箱根に登場した選手全員がナイキの厚底だったことは衝撃的だった。

 原晋監督はレース後、シューズについて訊かれて「ノーコメントということにさせてください」とすり抜けた。シューズは各選手の選択に任されているといわれるが、よほどの差がない限り、契約のあるアディダスを使う選択が優先されるところだ。つまり、それほどの差がある、という意味だろう。

 表彰式に臨む青山学院の選手たちは全員がアディダスのシューズに履き替えていた。ここにも、学生スポーツでありながら巨大なスポーツビジネスの一端を担う箱根駅伝の現実が浮かび上がって見える。学生ではあるが、広告塔であることを自他共に認識している。それが箱根駅伝だ。

『2020年の日本』が見える
箱根駅伝報道の一極集中

 果たして区間新連発の要因は、本当に厚底シューズか?

 往路は第2区から第5区まで区間新が出た。往路優勝の青山学院から4位東海大まで従来の往路最高タイムを更新。復路でも6区、7区まで区間新が続いた。さらに10区では2選手が区間新。高速レースになった要因が『厚底シューズ』といわれるのも無理はない。だが、こうした世論の形成や報道傾向にも、『2020年の日本』が浮かび上がって見える。

 何か象徴的なモノや人にフォーカスを当てて、誰もがわかりやすいターゲットをメディア全体が暗黙の協働で作り上げる。先駆けはSNSである場合が多い。ネットで形成された世論のようなもの、みんなが「いいね」する素材で一定期間商売をする。そうした傾向がここでも顕著に表われている。

 ちなみに、区間新をマークした選手の中で一人だけ、10区の創価大・島津雄大選手だけは、ミズノの白い厚底を履いていた。これはミズノが試作しているカーボン入りのシューズではないかと見られている。ナイキ一強の様相を呈しているシューズ戦争だが、各社が急ピッチで対応している様子も垣間見える。

『厚底』が快走できた
大会前と当日の気象条件

 スポーツライターとして、関係者に取材してみると、もちろん厚底シューズの効果は認めながらも、他の要因があるとの指摘もあった。

「昨年の秋から暮れは温暖で気候が安定していました。12月に入ってもいまのところ暖冬で、練習がしやすく、箱根に向けた練習が順調にできたチームが大半だったのではないでしょうか。体調が悪ければ、ナイキの厚底シューズを履きこなすことも難しい。シューズを生かせる万全の調子でレースを迎えた選手が多かったことも忘れてはいけません」

 駅伝チームの監督経験者は、こう教えてくれた。確かにブレーキ(不調に陥り、大幅に遅れる選手)も少なく、多くの選手が生き生きとした表情で走る姿が印象に残る大会だった。

 また、当日の気象条件も例年になく安定していた。暑くも極端に寒くもなく、風も穏やかな区間が多かった。こうした条件が揃ったことも、厚底旋風の下支えになっていたのだろう。

 だが、こうした目に見えない要素は、メディアやSNSで指摘されないかぎり、うっかり見逃され、話題にならない場合も多い。

 どんな走者が『厚底』に向いているか?

 今大会、金栗四三杯(MVP)に選ばれたのは、“花の2区”で史上初めて1時間6分を切り、1時間5分57秒の区間新をマークした東洋大・相沢晃(4年)だ。大学ナンバーワンの期待に応える快走。卒業後は旭化成入りが決まっている日本長距離界の星。相沢もまた、足下にオレンジとライトグリーンの『ヴェイパーフライ ネクスト%』をまとっていた。

 相沢晃選手と厚底シューズの相性について、ケニアのカプサイト・キャンプ(ケニア選手が集まる有名なトレーニングスポット)に滞在してケニア選手の身体や走りを研究した実績もある陸上関係者に聞くと、こんな答えが返ってきた。

「相沢選手は元々、爪先側で着地して、そのまま前に進むタイプのランナーですから、ヴェイパーフライがすごく合っているのだと思います。

 日本の長距離選手はほとんどが、『かかとで着地し、足裏全体でなめるように地面を転がし、最後は爪先で蹴って出る』という走り方を教えられています。ところが、アフリカの選手たちは、かかとを着かない短距離型の走りがほとんどです。ケニアに行ってみるとわかるのですが、彼らが子どものころから学校の行き帰りに走っている道は凸凹で、かかとを着いてスムーズに走る環境にないのです。だから自然に爪先で入って弾むように走るスタイルが身についているのです。

 日本選手がこの走り方を無理にやろうとすると、疲労が大きく、長い距離を走りきれません。ところが、カーボンプレートが内蔵されているナイキの厚底シューズは、この走り方をサポートしてくれるので、うまく使いこなせると相沢選手のような爪先走りが楽にできて記録が伸びるでしょう」

新しいテクノロジーで見えてくる
古い日本の美学への疑問

 かつて世界のマラソン界を席巻した瀬古利彦さん(日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダー)は、典型的なかかと着地のランナーだった。足下は薄底の、足袋にも近いシューズだった。一方で、当時、最大のライバルだった中山竹通さん(ソウル、バルセロナ、五輪二大会連続4位)は、まったく走りのタイプが違った。上記の関係者は、こう語る。

「中山さんは当時からかかとを着かない爪先走りを実践していた。指導者になってからも、接地時間が短い爪先走りを提唱していました。現役時代、もし中山竹通さんがヴェイパーフライを履いて走ったら、とんでもない記録を出したのではないでしょうか」

 その「もし」が、中山さんと似たタイプの相沢によって現出されたら、今後のマラソンを見る楽しみがふくらむ。

 しかし、これらの証言に接して思うことがある。日本の長距離シューズは、長く特定の「名人」と称されるひとりの人物の影響を強く受け続けてきた。五輪のマラソンに出場する選手たちの足下には彼が作ったシューズが提供される時代が長くあった。

 コンセプトは足袋のようなシューズ。いずれも薄底だ。その功績には敬意を表するが、時代とともに道具の果たす役割が大きく変わっている。それなのに、従来の価値観や哲学に固執し、あるいはそうした長老の言い分に支配され、変革が遅れたとすれば、そこは大きな反省とすべきだろう。

国際陸連はこのシューズを禁止するのか?

 長距離界の記録ラッシュは、箱根駅伝に限ったことではない。昨年10月には、世界記録保持者のエリウド・キプチョゲが、2時間切りを目的としたレースで1時間59分40秒22をマークした。この時もキプチョゲはもちろん、一緒に走ったペースメーカー全員がナイキの厚底だった。

 かつて水泳界が新素材の水着『レーザーレーサー』に席巻されたとき、「着れば記録が短縮される」というこの水着は禁止の道をたどった。厚底シューズにも同様の批判と検討を求める声が上がっている。果たして、カーボンプレート入りの厚底は禁止されるのか?

 関係者によれば、「一般に市販され、通常のランナーが入手できるものかどうか」が禁止になるかどうかの1つの判断基準だという。『ヴェイパーフライ ネクスト%』は日本のナイキショップでも普通に市販されている。ただし、価格は約3万円だ。通常、レース用のハイレベルシューズでもせいぜい1万8000円くらい。3万円が一般的と言えるのかどうか。耐久距離が400キロ程度という消耗品的側面もどう判断されるだろう。

 しかし、スポーツの普及や技術革新は、道具の進化とともに発展してきた。エンジンが付いているならともかく、メーカーが選手たちの身体の安全と健康、そして技術のサポートを目的に開発した商品に「ノー」が言えるだろうか。

 着用した多くのランナーが(一般のジョガーも含めて)、「履くと、走るのが楽しくなるシューズ」と口をそろえる。走るのが楽しくなるシューズは、歓迎こそされ、これを禁止せよというのも古いスポーツ観ではないだろうか。

(作家・スポーツライター 小林信也)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

カテゴリートップへ

最新記事
最新記事

アスキー・ビジネスセレクション

ASCII.jp ビジネスヘッドライン

ピックアップ